迅雷 - 3
影達が森を往く。渓谷に棲まう野狐のように。あるいは岩間を流れる沢のように。
だがそれは、紛れもなく人間の一団である。
ウィルは、左腰に装着した拳大の白金細工に触れた。
紋章が刻まれたそれは、装飾品ではない。呼吸法や足運びなどで気配を減らすのとは違う、術としての隠形を擬似的に再現する品だった。後方で待機している連中のように完璧にとはいかない、所詮は真似事の域を出ない物だが、あるとないとでは天と地ほどと言って過言ではない差が出る。品質によっては、目の前を通り過ぎても、普通の人間になら気付かれない程の効果さえあるのだ。
それだけに非常に高価で、彼らの稼ぎでは常用するなど出来ず、まず購入自体が困難である。運良く入手できたとて簡易な低品質の物がせいぜいで、それですら高い。依頼主の支援が無ければ、このような上等品を携行するのは不可能だった。ましてや、この人数で。
目的は、ターゲットである貴族の少女の奪還。
作戦遂行過程は、事前に繰り返し打ち合わせた。
編成は、彼を含めた実行部隊が8人。森辺縁近域での待機部隊が4人。
いずれも選り抜きの猛者とあって、飲み込みは早かった。
口頭説明さえあれば、演習すら必要ないと思わせる程だ。
ウィルは元より、同行者達全員が、他のメンバー全員の武器と能力とを心得ている。各自が何を用いるか、どう戦うかを知らなければ、役割を割り振れない。
独自に編み出した秘技、所属団体にのみ伝わる秘術の類まで口外する事はないにしろ、己の戦い方を他者に見せるというのは、それなりにリスクを伴う行為であった。この道に身を置く者が、あまり集団戦を好まない理由もここにある。どこから技の片鱗が漏れるか判ったものではなく、今日の同行者が明日の敵にならぬ保証はないからだ。
それにも関わらず彼らが引き受けたのは、上からの命令という他に、依頼者の地位にあった。有力者からの依頼というのは、上手く乗りこなせれば最上の旨みがある反面、諸刃の剣でもある。そうした依頼を断るという事は、そのまま高額な報酬と依頼主の名に背を向ける事になるのだ。殊に厄介なのは後者であった。
何故断るのか。
それは内容が危険だからであろうが、危険と隣り合わせで日銭を稼ぐ者達にしてみれば今更な事でもある。なのに危ないから断るというのは、腕一本で食っている者達の名声に少なからず損失をもたらす。
自分だけが頼りの世界において、これは痛手だった。
ましてや今回の任務は、既に依頼主が損失を出しており、重ねて更なる多額の投資を決意してのもの。何が何でも成功させるのだという強い意思を以ての依頼を、自分は嫌ですと断れるか。ある意味では、引き受けざるを得ない状況にウィルが持ち込んだと言えた。
一人一人が、単独でも楽に食い繋いでいけるであろう猛者。
真価を見る事は無いにしても、基礎となる技だけでも並大抵の鍛え方ではなかった。歩様からもそれが判る。一糸乱れず、無駄な音を立てる事もない。往来を歩く市民より余程静かである。山道を、装備品を身に付けた状態で無音を保って規則的に歩き続ける事が、どれだけ困難か。それが判らぬような未熟者は、一人とてこの場に居合わせていない。
目的は、集団による敵の捕縛、及び足止め。
視覚の妨害。
聴覚の混乱。
移動機能の制限。
解除手段の阻止。
即ち狙うならば頭部と脚部。移動と索敵に最も影響のある部位を最優先とする。
並外れた再生力こそが敵の脅威であり、逆に身体組織の頑強さそのものは、人間と然程違いがない。どのような傷でも回復するからか、防御が手薄なのを通り越して、防ごうとすらしないのが大きかった。
傷は与えられる。器官が消滅する程の損傷を与えても、治癒してしまうだけなのである。
であればまず優先すべきは殺す事ではなく、動けなくする事。
動きを完全に止めた上で、再生が追い付かぬ大規模な損傷を与え、時間稼ぎが効いている間に振り切る。瞬間的な破壊力の大きさを重視するからこそ、大袈裟なまでの部隊編成となる。これなくして成功はないと、先の失敗を話の軸にして、ウィルはしつこく説いていた。
実際に刃を交え、倒そうとした為に、単独行による火力の不足から命を落としかけた。されば止めて、追えなくして、走れと。無理に殺し切ろうとは考えるなと。
始末する必要は無い。討伐目的でない以上、動作困難になるだけの深手を与えれば充分なのであると。
敵は三体。対処法は全員に共通している。切り抜けてさえしまえば、残るは無力な子供ひとり。攫って帰還するのに何の不都合もない。逃走経路を考慮する心配が要らぬ程、森の造り自体は単純だった。
戦士ではなく盗賊として動く。それはむしろ、彼らのような生業の者の得意分野である。術者の元へ辿り着き、四重のインビジブルスペルを行使すれば、魔物といえど感知するのは不可能に近くなる。
単独で行動する者が多数を占める中から、集団戦の経験を優先して組んだ。
目を引くのは、先にも述べた術者の集団である。正規教育を受けた彼らは、誰でも登録できるギルドなどとは比較にならない厳密な管理下に置かれており、一人二人ならばともかく、集団を借り受けて率いるのは難しい。
依頼主がどう手を回してこれを実現させたのか、ウィルは知らない。
が、ターゲットへの情熱だけは感じ取れた。余程お熱らしいなと、その糸目の着けなさに皮肉げに唇を歪め笑う。
とはいえ、短期間で招集せねばならなかった事が大きく、全員が全員集団戦に長けているという訳にはいかない。
自分と共に前衛隊を歩く男のひとり、その顔と名にウィルは覚えがあった。
とりわけ近接戦ばかりを好んで戦う、この界隈では”狂犬”の呼び名で通している年若い男だ。基本が暗器と魔術道具であるウィルのスタイルとは被らない為、組んで仕事をした経験は一度も無かったが、この道に足を踏み入れたのは同時期であり、噂は良く聞いていた。
本名は知らない。かつて尋ねた人間に、そんな物は生まれた時に捨てたさと嘯いたという。あながちそれは冗談ではなかったのかもしれぬ。親からまともな名を与えられなかった子供など、珍しくもない。
狂犬。文字通りに、狂った犬の如く獲物に食らい付く獰猛さを誇示しているのか。それとも、名前さえ持たず路地裏で残飯を漁ってきた自分は犬に過ぎないという卑下であるのか。
いずれにせよ名うての男だ。ウィルは、この男の扱いが今回最大の鍵になると考えていた。




