迅雷 - 2
「絞るべき知恵など無いかと」
クレストではなくパトリアークを見て、メイトリアークが言った。
それは根拠の無い自惚れではない。結界は強力な防衛網であるが、云うなれば余興に過ぎないのだ。メイトリアークやパトリアークが制圧に向かえば、わざわざ苦労して知恵を絞るまでもない。単純な力と力のぶつかり合いだけで、人間如き容易に圧倒できる。
メイトリアークの宣言は、王としての自信に満ちていた。
今でこそ従者の身なれど、彼女もまたかつては支配する側の血統であったのだ。
おずおずと上目遣いで割り込んだクレストの方が、余程従者のようである。いや、これでは召使いか下僕か。
「……彼は、その……本当に裏切ってしまったのかな……。
俺にはあまり良く……」
「真祖……お気持ちはお察し致しますが、目の前の現実を直視なされませ。
ただ戻ってきただけなら部隊を率いる理由はなく、協力者を募ったのだとしたら、ああも巧みに結界を回避及び破壊しながら進む必要がありません。ウィルは、敵達は明確な害意を以て進軍を続けております」
「それは……そうかもしれないけど、でも……」
「迷っている間に、外の悪意とフィリアとの距離は詰められているのですよ」
「………………」
「どうかご決断を、真祖。考えるのはそれからでも遅くありません」
「……うん、そうだね」
メイトリアークから次々と厳しい現実を告げられ、クレストは項垂れた。
本当にどちらが主だか分かったものではない有様だが、メイトリアークは溜息ひとつ漏らさず見限りもしない。これもまた彼女にとっては慣れた光景だった。仕えるようになってから、主が主らしかった事など皆無である。だから彼女は伝え、提示し、そして待つだけだ。いつものように、クレストの決断を。
パトリアークが帽子を手前に引く。
「わたくしからの報告は以上です。
真祖、宜しければわたくしがフィリア様と一緒におりましょう」
「君がかい?
一緒にいてもらうのはいいと思うけど、それならメイトリアークの方がもっといいんじゃないかな。フィリアが来たばかりの時みたいに、こういう時には同性が傍にいた方が落ち着くだろう」
「常ならばそうしますが、今は状況が少々特殊です。
フィリア様は何が起きたかを知っておられます。万が一にも、悪い夢など見ないようにと」
「ああ……うん、確かに、そうだね。君ならその点は任せられる。
どうか頼むよ」
「はい。悪夢の芽はひとつ残らず我が蹄にて潰し、食み取りましょう。
そもそもメイトリアーク、あなたがフィリア様の目の前で敵襲を告げたりしなければ、このような気を回さずとも済んだと思いますよ」
「事は早急であると判断してです。今知らずともすぐに知ります。
それでなくともアクセサリー作りが急遽中断され、自分だけが部屋から追い出され、僕達が慌ただしく動いていたとなれば、何が起きたかを察せないほどフィリアは愚鈍ではないでしょう。僕達の急ぐ原因など、ここに居ればひとつしか無いと知っているのですから」
「しかし一旦隠すという選択はあったかと」
「隠蔽がフィリアに対しての裏切りだとしてもですか?」
「それはあなたの価値観でしょう、メイトリアーク」
「待ってくれ。メイトリアークもパトリアークも、どうか喧嘩はしないで欲しい。
君たちがフィリアの事を、とても良く考えてやってくれているのは知っている。
悪いというなら何もしていない……何もできないくせに、忠告を聞こうともしなかった俺なんだろう」
「真祖……」
「すまない」
ようやく、クレストも認めた。ウィルが館へと向かっているのは、穏やかな理由からでは無いのだと。
クレストは静かに詫びた。己が未熟さから、要らぬ負担をかけてしまう事になった従者達に。信じて裏切られた側が頭を下げねばならないとは、世の中はなんと理不尽にできている事か。
今度は、メイトリアークが帽子の位置を直した。話題を変える際の決まり文句のような、彼らに共通する癖。表情を引き締め、誰がというならこの淫魔こそが最もの忠臣は、先程のパトリアークの提案を肯定する。
「それで問題ありません。迎撃戦力は僕のみで充分です」
「いや……俺も行くよ」
クレストが言った。
メイトリアークの実力を疑った訳ではない。
「真祖。真祖はパトリアークと共にフィリアの傍に……」
「話をしたいんだ、彼と」
この期に及んでまだ対話を望むクレストに、メイトリアークが眉を寄せた。
甘い。というよりは悠長。最強たる弛緩。だがそこを詰っても仕方が無い。これがクレストなのだ。
絞るべき知恵が無く、話す事もまた無くとも、主がそうと望むのであればそのように。よって、メイトリアークは諾と応じるに留める。ここからは主であるクレストの領域だった。
ありがとう、とクレストは感謝と謝罪の礼をする。メイトリアークに、パトリアークに。
クレストは、ウィルへの同情からそうしたのではない。彼は彼なりの方法で、主としての責務を果たそうとしていた。主である事というのは、数少ない彼が覚え続けていられる事だったのだ。メイトリアークとパトリアーク、自分などには過ぎた従者達が常に傍にいてくれたから。
ならば、報いられる局面では報いなければならない。
そして、彼自身の中にある疑問を解決する為にも。
クレストが立ち上がる。背がひょろ高いだけの、威圧感も威厳も一欠片もない男。
背は猫背気味に曲がり、細長い手足を覆う、精一杯の見栄のような黒衣すらみすぼらしく映る。だが紛れもなく最強。彼が望みを果たさんとするならば、それを阻む事は有限の生命である限り何者にもできない。
並んで下がり、靴先を揃え、パトリアークとメイトリアークが一礼する。
何かを命ずるでもなく、軽く頷いただけでクレストは部屋を出ていった。
彼は彼のやりたいように動くだろう。その結果として物事は解決する。どのような形であれ、解決する。解決しないという事は絶対にない。彼は負けないのだから、負けようにも負けられないのだから。
有限と無限とが争って、有限の側が最後まで立っていられる道理が無い。
クレストの後に続き、メイトリアークも動き出す。パトリアークには目礼のみを送って。
彼女は知っている。自分の働きはおまけに過ぎないと。いてもいなくても結果には関係ないと。負担から切り離された者に仕えるのは、楽であり厄介である。負担を取り除くという貢献そのものが意味を為さない。最終的に残るのは、主の邪魔をしない事だけだ。どんなにそれが虚しい行為だと思おうと、ウィルと話がしてみたいというのであれば、それを妨げる行為は慎もう。
そのくらいの働きしか、出来はしないのだ。




