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君のいる世界  作者: 田鰻
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迅雷 - 1

矢継ぎ早に報告が飛ぶ。

伝令はおらぬ。早見の馬も駆けぬ。されど魔の支配する森においては、たった二人の少年少女が居るだけで全ては事足りた。

もたらされる報告は、迅速かつ的確であった。間違いなど起こりようがない。その眼を戦場に向けるのが、人を超えた存在であるならば。

さながら作戦司令室じみているのは侵入者の現況報告のみであり、する側の従者達も、それを受ける側のクレストも至極落ち着いている。穏やかでさえある。部屋は和やかに工作をしていた時のまま、壁には地図さえ貼られる事がなく。

当然であった。彼らには慌ただしくする理由がないのだから。

誰が攻めてきたのであれ、最終的な敗北など有り得ないと、この場の誰もが知るが故の余裕だった。


だが、それはあくまでも表面上のもの。負けないが故に崩れぬ冷静さはあるとしても、この事態に臨むに当たって何ひとつ心動かされぬのとは異なる。程度と種類の差こそあれ、それはクレストもメイトリアークもパトリアークも同じである。

思う所は皆ある。ただそれを、この場面で表に出さずにいるだけだった。

メイトリアークは、そうする事の無意味さを知るが故に。

パトリアークは、己が享楽を追求するという、現世に留まる理由が為に。

唯一この場にいないフィリアの心情は判らぬ。クレストは、更にそれを超えて測れない。眠そうな、呆けているような鈍い瞳は、ともすると事態を把握できているのかさえ疑わしくなってくる。


無論そうではなく、彼は何が起きたかを理解はしていた。

メイトリアークの最初の報告が生んだ一瞬の静寂を誰より早く破り、フィリアを寝室に下げさせるよう命じたのは彼であった。命じる声に、特に慌てた様子はなかった。彼が自己主張に似た真似をする際に発する、弱腰で申し訳なさそうな普段通りの声だった。

ウィルが戻ってきたという、それも大勢の人間を引き連れて。

子供でも判るその意味は、森を去る許可を与えた当人であるクレストの心に、一体どう響いているのか。傍目には何も読み取れぬ。今はこの場にいないフィリアを案じている気持ちの方が、余程分かり易い程だった。

彼は確かに、少し前の事を思い返していたのだ。


『フィリア様、残念ですがブローチ作りの続きは明日に致しましょう。

どうか寝室へ。このパトリアークと共に』

『……うん、わかった』


パトリアークが工具を置き、席を立つ。

つい先程、それに応じ去っていったばかりのフィリアの事が、クレストはひどく気に掛かっていた。

いつもなら一つの物事に対して最低二、三はぶつけてくる質問を、一つもする事無く促されて部屋を出た少女の事を。


多くを聞かなかったフィリアに、敏い少女だと言いたげに、あの時のパトリアークの双眸は満足そうに微笑んでいた。少女の容姿と才気を慈しみながら、そうした感情の発揮される箇所にやはり多少の歪みがある。これが人であったならば、まず胸を痛めるのが先で、間違っても面白がったりはすまい。

比べればメイトリアークの感情は、まだ人の抱くそれに近いと言えた。

この非常事態に嘆息しつつも明らかに娯楽性を見出しているパトリアークとは異なり、メイトリアークの心には、だから忠告したのにという責めと呆れと、予想の範疇とはいえ信を裏切った者への怒りと、このような暗部をまたも味わわねばならない幼いフィリア、そして主たるクレストへの悼みがある。

両者のどちらが正しいとは言えない。人の基準でならばメイトリアークを選ぶ者が多くとも、彼らは人ではないのだ。闇に生まれ現世を遊び場とし人を遊具とみなす魔物として考えれば、正しいのはパトリアークの方である。


ではクレストは、どちらであるのか。一見したこの無気力さは、中庸に当て嵌めるのすら躊躇われる。自らを裏切り、フィリアの未来へ向けて繋がれたと思っていた糸を断ち切った相手に対してまで、こうも受け流すような態度を保てるものなのだろうか。クレスト、忘却の魔物。不死性とは、言い換えれば決して何にも動かされないという事でもあるのだ。


「散開した二隊の距離、更に離れました。部隊一は森辺縁から距離40の侵入位置に停滞中。数は4、その全者が気配遮断を使用。メイトリアークは、これを暫定の待機部隊と見做します」

「もう片方は……これは、速いですね。移動速度だけで場慣れしているのが判ります。隊列は5対3の縦長を維持。メイトリアークの報告から考えて数は8の筈ですが、時折増減をしています。おそらくは待機部隊とは別種のインビジブルスペルを使用しており、詳細は不明です。ヒトの間で新たに生み出された術式かもしれませんね」

「人間も侮れません。児戯の範囲でならば」

「そうか……。

……ウィルは? 彼がいるのもその、進んできている方なのかい?」

「言うまでもなく」

「おりますね、この一際洗練された気配は、かの御仁のもの」

「彼は何をしに人々を連れてきたのだろう、などとこの上仰らないでくださいませ、真祖。もはや叛意問うまでもなし。解決を。一刻も疾き収束を。その為の命令を僕に」

「……しかしメイトリアーク、これを児戯と呼ぶには少々手練れに過ぎるのでは?

索敵間隔が予定を外れて大幅に大雑把になっています。……おや、また途切れました。なんて途切れ途切れだ。わたくしの張った結界の多くが回避されているようですよ。ああ真祖、断じて手抜きはしておりません、誓って断じて。メイトリアーク、あなたの結界はどうです?」

「恥ずべき結果です。後に僕は自らを罰さなければならないでしょう。

手抜きの有無など、この醜態の前には意味もなし」

「耳が痛いですね、どうやらわたくし達も山籠りで相当腑抜けていたようです。

けれども差し当たっては、そのあなた好みのおしおきの内容よりも、具体策の方に知恵を絞るべきですね」


森には、メイトリアークとパトリアークが張り巡らせた結界群がある。

ウィルに破られた後に修復され、新たに追加されたものも多数あった。

攻撃を加えるものあり、防御を行うものあり。全てに共通するのは、侵入者が結界に何らかの干渉を行えば、異常は直ちに作成者に伝わるという事だ。

それはそのまま、結界が位置感知装置として使える事を意味する。多数点在する結界の感知が不自然に途切れているという事は、それだけ回避されているという事だ。それも単独ではなく、集団で尚である。並大抵の練度でこなせる業ではない。

そして気配の移動を阻め切れていないのは、接触された数少ない結界は悉く破壊されているという事であった。

単なる盗人集団などではない。その気配が着実に近付いてきている。

もはや一刻の猶予もならぬ――という事にはならない。

たとえ彼らがこの洋館まで辿り着けたとしても、クレストに敗北は存在しないのだ。積極的に勝利は求めないが負けない、そういう理不尽な生物を相手にした時点で、敵は初めから詰んでいる。


だからといって、いつまでもこのまま観察している訳にはいかなかった。

侵入を見過ごすのは、フィリアに振りかかる災いをそのままにしておくのと同じ。

掠り傷ひとつ与えられずとも、大切な少女を暴力に触れさせていい筈がない、もう二度と。


なればこそ、来る前に止める。フィリアの心に刻まれる傷が最小限になるように、怖いものを見せないように。

クレストがそう誓う時点で、彼ら侵入者の末路は決まっていた。

それを知らない相手ではないだろうに、どうして、と、いまだに思う気持ちがある。

そう、クレストは確かにウィルの行動を悲しんでいた。そして戸惑っていた。いつものように疲れてもいた。怒りだけは、無かったかもしれない。

しかしそれ以上に、彼は不思議がっていたのである。

風に揺れる蜘蛛の糸に等しい些少な他の感情と比べれば、その疑問はずっと強く感情としての形を成している。

クレストは、ウィルが裏切ったという事実を客観的には把握しながら、その実良く判っていなかったのだ。「なぜ裏切った」の「何故」が、慟哭や憤怒からのそれとは違い、「え、どうしてそんな事をする必要があるの」と、「どうしてそんな事が起こるの」と、まるで高い空を悠々と流れる雲を見上げて仕組みに首を傾げる子供のように、彼はウィルの行為をただ不思議に思っていた。

そのせいだろうか、いつも上の空な瞳が、輪をかけて反応が鈍く見える。


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