表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君のいる世界  作者: 田鰻
5/78

始まりの吸血鬼 - 5

世にこれを超える物はそうあるまいと思われる予想外の手荷物を携えて帰宅したクレストを、パトリアークとメイトリアークは揃って動揺もせず出迎えた。

何も思っていない訳ではあるまい。ただ彼らの事だから、屋敷へ向かう人間の気配には早々に気付いていたし、到着までに応対の準備を整える充分な時間が取れただけである。

その証拠に、ちらと少女に視線を投げかけて、まずは身支度を、と言う。

彼にも異論はなかった。


入浴させてやり、汚れた服を着替えさせる。子供とはいえ同性の方が落ち着くだろうと、これらはメイトリアークが行った。浴場はたまに従者が使っているのを知っていたが、一体どこに子供服などが隠されていたのかは彼も知らない。

彼も、というか、むしろ屋敷について一番知らないのは彼だろう。

屋敷内の事は従者2人に一任してあるうえ、普段の彼は決まった数部屋と庭を往復する程度の行動しかしないため、新しく屋敷に加わった物について知るのは、だいたい最後になる。とうとう知らないままの事もある。ひょっとしたら、屋敷ができた時から一回も行っていない場所まであるかもしれない。

尚も細々とした少女の身支度が整えられている間、彼はぼうっとその光景を眺めているだけであった。

身支度という概念を持たない吸血鬼の彼にとって、その作業は、すごいなあ、とは感心しても、手を出せる分野ではない。もっとも、彼に手が出せる分野の方が少ないのだが。


そう、屋敷に少女を連れてくるにあたって、最初にひとつ浮かびあがる問題があった。

主である吸血鬼クレスト、そして従者のパトリアークとメイトリアーク。ここの住民全員が人間ではないという事だ。

まず、このような場所にこのような立派な屋敷と庭園がある事がどうあっても不自然であり、いかに相手が子供だろうと、彼らが怪物だの化物だのと呼ばれる存在であるという事は早々にばれるだろう。

少しは休めたと思ったそばから怖がらせては可哀想だ。だったら先にこちらから明かしてしまった方が良い。混乱するような話をぶつけるのは、相手が混乱しているうちが適している。


……といったような事を、髪を梳かしてやりながら、メイトリアークが少女に説明している。

ご丁寧にも、例の始まりの吸血鬼の伝説の所から。

見ていたクレストも否応なく少女と一緒にそれを聞かされる羽目になり、実に居心地が悪かった。自分に関するお伽噺だか伝説だかを目の前で読み上げられて喜ぶ趣味は彼にはなく、逆に羞恥心を覚える。


「そのお話なら、わたし知ってるよ」


少女が答える。説明を信じたような信じていないような、微妙な言い方だった。

少なくとも、世界創世の伝説が、今の人間社会で全く忘れ去られてしまったという事はなさそうである。

ともあれ、話を含めて一通りの段取りが終わった。

食べ物はすぐに出せそうな物が見付からないという事で、お湯に花を浮かべた物を、少女は大切そうに啜っている。

体を洗い、服を着替えさせれば、少女はごく普通の子供になった。青みがかった髪は腰の上あたりまで伸びていて、先端がくるりと内側にカールしている。変わった癖っ毛だった。人買いに買われるような境遇であるから、若干痩せ気味なのを除いて、背丈も顔立ちの幼さも歳相応である。特に瞳の色が綺麗だ。育てば美しくなるだろう。


が、それはそれで良いとして、クレストにはずっと気になっている事があった。

発見現場では、他の人間達の混ざり合った大量の血の臭いが漂い、少女自身にも他者の血液が付着していた。

屋敷に戻る途中では、加えて森と土の匂いが周囲に満ち、更に彼なりに考えなければならない事に気を取られていた。

けれども、こうして住み慣れた屋敷に戻り、少女の汚れが洗い流されてみれば、もはや隠し立てする物は何もなく、疑惑は増していくばかりである。

どうしても確かめる必要がある事ではない。しかしそれだけに、自分の性格を考えると、この機を逃したら、もう二度と確認しようという気にもならないだろう。


「ごめん、君、ちょっとだけいいかな?」


クレストは少女に歩み寄り、そう言って手を取った。

肘の近くに、小さな傷があった。擦り傷と変わらない程度だが、襲撃の折に付いたのだろう。

血は止まっている。彼はもう一度ごめんねと言うと、傷の上に指先を滑らせた。

そしてあろう事か、舌を出してその指を舐める。次の瞬間、納得したという声をあげた。


「ああ、やっぱりそうだ。

君、アナスタシアの子孫だろう。びっくりしたよ。懐かしいなあ」

「どちら様でしたでしょう。聞いた事があるような、ないような」

「ほら、いつだっけ、けっこう前に、この屋敷に本を抱えて来た人間の……」

「あの人間ですか……」


いきなりそんな事をし出してこっちこそびっくりだという面持ちだった少女が、その名に反応する。


「……アナスタシア……ひいひいおばあちゃんの名前?」

「そうか、もうそんなに経つのか……」


アナスタシア。かつて、単身この屋敷を訪れた人間の女性。

とうに思い出す事はなくなっていたとしても、彼にしては珍しく今でも鮮明に掘り起こせる記憶だ。


「あんな人間は後にも先にもいなかった。呪われてるって評判の森を、大荷物背負って突っ切ってね。

古い吸血鬼がいるんなら、こういうのだって読めるでしょって、大量の古書の解読と編纂の手伝いをさせられたんだ」


今よりもずっと現実味を伴って、人間の間でこの森への恐れが根差していた昔に、女一人でそんな真似をしでかす。とにかく押しが強く、しかも悪意はない。つまりはクレストが最も苦手というか、負けやすい性質の相手だった。

またアナスタシアには、興が乗ると、他者のみならず己の身も顧みないところがあった。

呆れたり困惑したりしつつも、それほど夢中になって打ち込める対象があるのを、彼は眩しく思った記憶がある。


それは、どうしてもその箇所だけ前後の解釈が噛み合わず、丸々3日間の徹夜をした日に起きた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ