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君のいる世界  作者: 田鰻
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帰還、そして - 7

男の眉が持ち上がった。

道具のように表情の動かない護衛達に囲まれているとあって、たったそれだけでとても人間臭く見える。ともすれば、親近感すら抱きかねない程に。


「確かか」

「商業神ジィルスウにかけて。

前任の標的死亡報告は偽りです。虚偽報告であると断言致します」


可哀想に。ウィルは心中密かにあの男に同情した。これで奴の嘘は白日の下に晒されてしまった事になる。依頼主には拷問趣味こそ無かったとしても、こうまでコケにされて黙っていられるような立場でもあるまい。

闇から逃れた先に待っていたのは結局、死という訳か。

望みは薄いだろうが、あの男がさっさと何処かに逃亡してくれている事をウィルは願っておいた。

そしてこう報告すれば、当然ながら、雇い主の矛先はウィルの標的発見後の行動へと向く。


「では生存を確認していながら、貴様が手ぶらで帰還してきた理由は何だ。

途中で土産物でも買いたかったのかね?」

「それは前任の報告と関係があります。

標的の生死に関しては真っ赤な嘘でしたが、全てが出鱈目だったという訳ではありません。閣下、ボードレール商会からの文書には目を通されましたか。捜索隊壊滅についての項目を」

「読むだけならばな。獣がどうこうという戯言は、やはり戯言のままであったか」

「いいえ、獣はいました。言葉を話す獣ですが」

「人間か」

「魔物です」


そう告げた時、無表情を保っていた護衛のうち二人の頬が一度ひくついた。経験があるなとウィルは直感する。魔物と呼べる存在に関わり、少なくともああして生きている。となれば、あの二人は実力者のうちに含まれると考えておいていい。

一呼吸挟んでから、ウィルは先を続ける。

依頼主の表情は動きもしない。豪胆というよりは、馴染みがないからだろう。表に生きる市井の人々と同じく。


「信じ難い話ですが、魔物が件の娘、フィリア・ソローネを保護しているのです。

数は三体。一体は淫魔、もう一体は夢魔。残る一体は吸血鬼で、これが他二体の主に該当します」


今度こそ、他の護衛からも低い声が漏れた。驚いたようであり、荒唐無稽すぎる報告を嘲笑ったようでもある。それは些細な音だったが、水を打ったように静まり返った室内に響かない筈がない。慌てて、声の主と思わしき男が居住まいを正す。

これにはさしもの依頼主も声を荒げる。からかわれていると判断したのも無理はなかった。魔物三体が揃ってたかが人間の子供ひとりを保護しているなどと、それこそ子供でももう少し常識を考慮する。


「馬鹿げた事を!」

「しかし事実です。私が確認致しました。

連中は輸送隊が消息を絶った森の――この森についても、お時間がありましたらお調べください、昔話で充分です。

森の奥に居城を構えており、フィリア・ソローネはそこに匿われております。

いずれの魔物も恐るべき強さであり、ターゲット確保は不可能でした。

潜入を試みましたが発見され、一戦交えた末に殺されかけ、撤退するのが精一杯だったのです」

「くだらん!! 言い訳ならば、もっとまともなものを用意しておくのだな!!」

「私もそう致します、これが言い訳であったならば。ですが事実なのです。

あれでは素人に毛の生えた程度の集団など、ひとたまりもありますまい。相当な手練でも困難です。現に私はそうなりました」

「ぬけぬけと――」


苦々しい呟きが、半ばで途切れる。

報告内容は極めて疑わしいものだったが、しかし嘘と断じられるだけの材料もなかった。

男はウィルという人間の事など欠片も信じていない。それどころか人間として見てさえいない。しかし、ギルドに記録された彼の実績だけは一定の評価をしていた。だから指名したのである。子供にも笑われるような馬鹿げた嘘をわざわざついてまで、積み上げた記録に泥を塗る理由は乏しいだろう。

やがて、男は忌々しげな溜息を吐きつつ聞く。

半信半疑、否、疑いが九割を占めながらも、報告は最後まで行わせなければならないと。

この踏み留まる一線の見極めは、さすがだと認めざるを得なかった。

怒りに任せて処断するばかりではない。悪趣味な悪党なりに、高い地位を保つだけの質は備えているのである。


「目的は何だ」

「愛玩か、気紛れか、食料か。いずれも現状での断言はしかねます。

私が接触できた時間はあまりに短く、どの可能性も、魔物がこれまで人に加えた危害の観測結果に当てはめた推測の域を出ません」

「役に立たぬ奴めが――ふん、だがそれはいい。見るべきは現状、現状だ。

魔物だと? それが商品を奪い、手元に置いているだと?

馬鹿げている。あまりに馬鹿げている!」


男はとうとう椅子を立ち、苛立たしげに周囲を歩き回った。

待ち、耐えるのには慣れていても、無益な損害と敗北を男は非常に嫌う。

あの娘にはかつてない大金を払っているのだ。手に入れる事は、好事家としての一種の頂点でもある。

それを挫かれる屈辱。己が財が塵と化す末路。

全体から見ればさしたる額ではないとはいえ、これまでの調査費と探索費の事もある。

既に相当数が、この件で命を落としている。あのような連中が何十人、何百人死のうがどうでもいい。だがどのような屑の死にも、それを使ったとなれば金銭が絡みついてくる。そしてその中で最も高額を吸っている男によれば、今後それがどこまで繰り返されるかも不明という事になるのだ。

魔物だと。

ふざけている。そんなものは子供の絵本か討伐隊にでも任せておけばいいのだ。

よりによって、人生最上と呼べる希少な品に、魔物などが首を突っ込んでくるとは!

目的は分からない。想像もつかない。だがそんなものは最早どうでもいい。

重要なのは、相手が魔物だろうと何だろうと、横取りされた品を早急に取り戻す事である。諦める気など一切無かった。金を払い、買ったのは自分なのだ。諦めてやる理由が存在しない。

だが即座に具体策が出てこない事が、一層男を苛つかせていく。

人間相手ならば打つ手は幾通りもあるが、これは魔物だ。関わった事がないという意味では、この男といえど街の子供と一緒だった。人は出す。取り返す。そこまでは分かる。が、何人出してどうすればいいのかは濃い霧の中に埋もれてしまっていた。


閣下、と呼ぶ声に、男は思考から引き戻される。

ほとんど存在を忘却しかけていた相手が、こちらを静かに見ていた。

金を受け取りながら役割を果たせなかった人間。無価値な人間。

落ち着き払った目付きが、男には気に入らなかった。下等な連中は、媚びて怯えた目をしていなければならない。なのにこいつらのような者達は、地獄を見ながら、時として堂々とそこを闊歩してみせるような自信を態度に表す。

不遜だ。これならまだ、小銭を求めて足元に擦り寄ってくる乞食共の方が人間らしいと男は思っていた。分相応である事、それを体現しているからだ。下の奴は下の奴らしく生きればいい。間違っても、主導権が自分にあるなどと思い上がらせてはならないのだ。


「畏れながら、閣下にお願い致したく存じます」

「申してみよ、犬めが」


男は嫌悪感を隠しもせず命じる。

やはり椅子には戻らず、立ったまま見下ろす。それこそが、自分と相手との絶対の距離なのだと言わんばかりに。

ウィルは一度だけ瞳を瞬かせると、その場に膝を折り、依頼主を見上げながら言った。


「再度かの地に攻め入り、標的を奪還する許しを。

その為の準備費用と、私の申し上げる条件に沿った戦闘要員の確保を――」


迷いもなく、躊躇もなく、流れるように言葉が生まれてくる。

それが当然であるのだと。それが必然であるのだと。

彼の細められた瞳は、静かな厳しさと歴戦の戦士たる冷徹さを湛えて、ただ遠くを、来たるべき先を見据えていた。


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