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君のいる世界  作者: 田鰻
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帰還、そして - 5

自然と流れたような形になっているが、ウィルは、あえて話をシャムローが触れた点まで戻した。流れたように見えて、流れていないのがこの世界。腕利き程、そうした不自然さに対して目敏い。失敗なのにウィルが微かに笑ったという一見何でもない現象は、それをウィルが別の話に乗せて流したという結果は、シャムローの記憶に常ならぬ出来事として留まるのは疑いようがない。この男ほどのベテランならば、必ずそうなる。利用するしないは別として、見過ごす事はない。

また、この会話はシャムローだけでなく、聞くともなしに周囲の客達の、従業員達の耳にも入っているのだ。


「しくじりはしたが、得るものもあったからかな」

「ほほう」


本物の興味を持ったように、シャムローが白く蓄えた髭の下で唇を持ち上げた。ナッツが浅い皿に乗って出てくる。ウィルは最も脂っこそうなのを摘んで齧った。当然のように、シャムローも手を伸ばす。

勿論、こんなほろ苦い青春の1ページのような話題は、この場にいる誰もにとって食いつきたがる話ではない。シャムローが反応したのは、ウィルのような男がそう言ったからであり、そして「得るもの」とは抽象的でなく、件の仕事内容に関わる具体的な何かであるのが明白だからである。

よってもう一度、シャムローは押す。


「で、どんな仕事だった」

「言えるかよ、わかってるくせに」

「ふむ。まァ、お前さんに回ってくる程のでかくてキナ臭いヤマとなると、ギルドに来てんのも来てないのも含めてだいぶ絞られてくるがな」

「いつもながら鼻が効きやがるな、そのうち削ぎ落とされるぞ」

「そうしたらひとつ、もっと高くて形のいいのを新しく付けるとしよう。

ほれ、あいつなんていいんじゃないかね。最近ツキの落ちまくってる鷲鼻の色男だ。こっそり尾けてって、とうとう死んだところで鼻だけ切り落として持ってくれば誰にも気付かれない、ガハ」

「決行するときゃ一言相談してくれ、祝いの花束を届けさせてもらうよ」


喋りながら、また、一口。

話が再び脇道へ逸れたようで、その実逸れてはいない。それはウィルもシャムローもはっきり承知している。

これは云わば、本題に取り掛かる前の準備運動。

ウィルはそれを意識しつつ続ける。親しくはあるが、油断のならない男なのも確かなのだ。


「失敗じゃあったが、次に繋げられる失敗だった。文字通りに、ね。

挽回は難しいが可能だろうし、うまく言いくるめれば、依頼人から費用と最低報酬以上の金も充分引き出せる」

「ほほう、そいつは確かに笑う。まったく俺達にとって、金が入ってくる以上のいい事はないし、金が入ってくる他にいい事もない。笑うしかないやな」

「完全な失敗で生き延びるのと、いっそ気付きもしないうちに死んでるのと、どっちが幸運なのか分からんな」

「まったくだ、まったくだ。

てことはまだ報告は済ませていないんだな。優雅に酒なんぞ嗜んでていいのかい」

「こっちは危うく死にかけたうえ再挑戦余儀なくされてんだ、ちっとぐらい飲まなきゃやってられっかよ。オレは疲れてるんだ」

「まったくだ、まったくだ。

失敗しておきながらこの言い分、まったく我々の精神は糞のように出来ている」

「やかましい、そういうあんたはどうなんだ」

「よくぞ聞いてくれた。

実は仕事先でたまたま目についた織物の買い付けに成功してね、おかげで比較的懐が温かい」


だったら人のものを食うな、むしろ奢れとは言えなかった。やはり無駄だから言わなかっただけだ。

が、こうしてナッツを分け合って食うのは、ウィルはそう嫌いではなかった。

シャムローと同席した時の、お決まりの儀式のようなものだ。

今よりずっと未熟だった頃からなけなしの注文を遠慮なく横取りしてきた相手に、当初はなんだこいつはと思ったものだったが、あそこで激昂したりせずに呆れるだけで済ませていたのは、後々この男から得られた情報や多少なりともくつろげる酒の席の価値を思うと僥倖だった。

どんな世界でも、親しい隣人からは一定の利益を得られる。ここではそこに、裏切りや敵対が付き物だとしてもだ。


赤すぎる酒をさっさと飲み終えたシャムローは、付け合わせのオレンジを食い始めた。単なる飾りを、実にうまそうに食う。これが目的で、酒は二の次なのではという疑いを抱いた事もあった。

ウィルのグラスもようやく空になる。明日の朝には報告に向かうつもりだから、酒臭さが残らない方がいいだろうと、二杯目を注文するのを迷った。見抜かれ、いくじなしめと突かれる。つくづくうるさい。


「お前も副業は持っておいた方がいいぞ。潤うだけでなく、いざって時の保険にもなる。まあ出し抜かれて痛い目見る事も多いがね」

「そのうちな」


そのうちなど永遠に来ないと言わんばかりに、そっけなくウィルがあしらう。

がっは、と低く太くシャムローが笑った。

ウィルの反応こそ当然なのである。まっとうな仕事でやっていけるような人間が、ベテランの域になるまでこんな場所に留まっているものか、と。


「まあ飲みな。飲んで忘れな小さき兄弟よ」


そう言って、シャムローは空のグラスをかざす。

切羽詰まった様子の窺えない、つくづくこの稼業では珍しい男だ。

誰かが吟遊詩人に金を払ったらしく、静かな喧騒に混じって楽曲が流れ聞こえてくる。「金を出したのはおれだぞ、タダ聴きはするなぁ」と酔った声が遅れて混じったが、誰も相手にしていなかった。

死を背負う者達が集う酒場に、人が途切れる事はない。夜は更けていく。ナッツは数粒まで減っていた。


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