帰還、そして - 1
「え……出ていく?」
晴天の霹靂とはこれを言う。
ぼうっとする、戸惑う、放心する。兎角その類のあやふやな表情と共に在るような男だが、今日のこれは極めつけだった。弛緩した目元と下がった口元は、これ以上ないくらい簡潔な内容を、いまだ理解しかねているように見える。事実、その印象通りであるのだろう。
荷物をまとめ終えたウィルは、その日の朝を迎えるや、クレスト達に自身の出発を告げた。
襲撃時と同じ服装、同じ荷物。
服は破れや汚れがそのままで、荷物は使用した分が減ったまま補充もしていない。まったくもって完璧な、来た時のまま、だ。
報告した時には既にここを出る準備を終えた後というのは、いかにも用意周到な彼らしいというべきか。
出し抜けの発言に、クレストは狼狽を隠せずにいた。彼にしてみれば、今日も早いねと挨拶をした直後だったのだ。その反応も無理はない。ウィルが洋館に到着してから、まだほんの数日。正確には5日目の朝なのである。これには、クレストに次いで呆気に取られていたフィリアだけではなく、メイトリアークもパトリアークも驚きを隠せずにいた。
従者ふたりは、こうなるのを予想はしていた。
いや、予想だけなら誰でもしていた。それこそクレストも、フィリアも。ただそれに要する日数が、彼らのうち最も早い予想よりも格段に早かったのである。
まるで捨てられかけの犬のような目をして、クレストがウィルを引き止めた。声音だけなら、今にも縋り付いて懇願しそうである。
「待ってくれ、まだ君はここで何もしていないじゃないか」
「あのな、ここにいて何をするってんだよ。オレに何ができるのか、思い付くなら言ってみろ」
「…………話し合い……だとか。今後の計画についての……」
「外の事情を満足に知りもしないあんたらと、どんな話し合いができるって?」
クレストの申し出を、ウィルはけんもほろろに一蹴してみせた。
確かにウィルの言い分には正しい面もある。発案者はクレストでも計画者と実行者はウィルであり、活動範囲は森の外側なのだ。屋敷に留まっていたとて得られる材料は無く、クレスト達に話せるような事もない。
それでも彼の持つ情報を共有し、全員で考え、協力できる所は協力するくらいまでは持っていけるのではないか。不満とまではいかないものの、クレストが悲しげに突っ立っていると、ウィルは幾らかぶっきらぼうな態度を改めた。
「悪い悪い、いくら何でもこれじゃ乱暴だったな。
さっさと出て行くのはな、ここにオレが長逗留してる方が、あんたの目的にとって都合が悪いからだ」
「と、いうと?」
「それには最初に、オレらの稼ぎについて話しておかなくちゃならない」
子供のように首を捻るばかりのクレストに、ウィルは説明を始めた。
内心、こうなるから避けたんだと苦笑しつつ。
筋が通るように説明しようと思えば、どうしても回りくどくなる。
一旦説明に取り掛かってしまうと、適当に省いて簡潔に済ませる手抜きを彼自身の性格が許さない。口調こそ砕けたままだが、既に彼の心境は雇い主に対して詳細な進捗状況を報告する時のそれに切り替わっていた。
「オレらは単独で仕事をしてる訳じゃない。
単独ってのは、今回のオレみたいに一人で仕事をするしないじゃなく、何から何まで自分だけでやるって意味な。そういうのもひっくるめた完全フリーな奴もいるにはいるが極少数で、大抵の奴はどっかしらの酒場や団体に名前を貸してる。
理由? 単純にその方が便利だからだ。
登録者は名簿で管理され、これにそいつの実績をはじめとした情報が付く。質は団体によってまちまちだ。まともなの、危ないの、依頼はまずそうした団体に集められて、そこから俺達に回されたり、自分で選んだりする。たまーに直の指名がある場合もある。よっぽどの腕利きじゃなければ、依頼殺到なんて夢のまた夢だけどな」
「君みたいな?」
「そう、オレみたいな」
ウィルはすかさずニッと笑って冗談を返し、先を続ける。
クレストは、半ば本気で聞いていた様子だったが。
「メンバーからの連絡が途絶えた場合、一定日数経過で失敗扱いになる。
ま、向こうも仕事だ。いつまで待ってる訳にはいかねーし、しゃあねえやな。
この扱いに関しちゃ、オレらは事前に血の同意が求められるから、後出しで文句は言えねえ決まりになってる。
で、どうなるかっていうと、そいつは死亡もしくは失踪扱いになり、依頼者が望めば次の奴に仕事が回される。場合によっては更に……仕事放棄、規約違反、造反及び逃亡として、生死を問わない追手が差し向けられたりする。ああ勿論、この追手になるのも同じ団体の所属者だ。うまい仕事だからな」
「……うん、なるほどね。少しずつ分かってきたよ」
「そら何より。
んでこの、オレらが失敗しても失敗しても、その度にしつっこく新しく依頼される回数な。こいつはでかい仕事、危ない仕事であればあるだけ、多くなる傾向が強い。内容がやばいって事は、そのぶん複数回の料金を支払ってでも成功させるメリットが依頼者にあるっつー事で、尚且つ、実際に命懸けで働くオレらの所まで降りてくる金は、その利益と比べて悲しいぐらいに少ないからだ。例えば5回依頼して5人死なれた末に6人目で成功したって、得られる利益の3割程度の損害でしたなんて具合にな。たいして損しないなら成功するまでバンバン使い潰した方が得だろ」
「酷い話だね……」
「ついでに言えば登録団体ってのは、仕事上の便宜を図ってくれる代わりに当然見返りを要求する。紹介料とか雑務料だな。ただでさえ依頼内容に比べて安すぎる金額から、それが引かれるんだ。
いつだって搾取されんのは文句の言えねぇ最底辺さ、オレらみたいな、な。
有象無象の命の価値は、たかがひと月の生活費の為にやった危険作業の見返りの、木っ端価格と同じって寸法だ」
「自分で言わなくても……」
「その自覚がなきゃあな、潰されるか笑われるかだぜ、オレらの世界は。
間違っても、自分は生きる価値のある立派な人間ですなんて勘違いしない事だ。
自分は最底辺のゴミクズだと認める事がスタート地点。それが出来ない奴は、カビの生えたパン切れさえ手に入らん。
……ま、オレの話はこのぐらいでいい。
そこの嬢ちゃんの商品価値は、鈍いあんたでもそろそろ本格的に実感できてきてる頃合いだろ? オレ1人如きが死んだって次を、そのまた次を送り込む余裕は、向こうさんには充分にある。だから――」
「一旦帰還して、貴殿が無事を報告しないと、高い確率で新手が来るかもしれない、と?」
締めを引き継いだパトリアークに、そうだ、とウィルが頷いた。
何人攻めてきたとてここの住民なら物ともすまいが、次々に現れる襲撃者をその都度撃退していくのは不毛であり、何よりもフィリアの心理的負担となる。それはクレストが最も望まない展開だろう。
それに経験上こうした事は、話が大きくなっていきやすい。今はまだ悪趣味な大金持ちの道楽で済んでいるが、派遣したハンターが、集団が、尽く失踪もしくは全滅となれば、嫌でも噂は広まっていき、いずれはもっと上層の耳にまで入ってしまう可能性がある。そうなれば、最終的には国が重い腰を上げないとは言い切れない。行き着くところは軍隊の派遣。
実に馬鹿馬鹿しい。しかし馬鹿馬鹿しい事が馬鹿馬鹿しいままに頻発するのが、人の社会の歴史でもある。
そこまで説明してから、最後にウィルはこう結んだ。
自分がやるべきなのは、フィリアを手に入れる為にここへ来ても無駄なのだと、疑いを残さず証明してみせる事だと。




