館と男と淫魔と夢魔と - 4
「……ま、あんたらの関係は何となくだが把握したよ」
更に、翌日。
完成したばかりのプールに浸かりながら、ウィルはプールサイドに集った面々に向かい片手をあげた。声も表情も弛緩していて、本当に把握など出来たのかと疑わしくなるが、目が利かなければ生き抜くのは不可能な世界で名を上げてきた男の言葉である。
パトリアークの手による池を模した形状は、庭園とも良く調和している。広さも大人数人が楽に泳ぎ回れる程あり、遠泳とまではいかなくとも、涼を取り、遊ぶのには充分過ぎる規模である。他に入っている者はおらず、並々と湛えられた極上の清水を、ウィルはこうして我が物顔で独占していた。
逞しい裸の上半身には大小の傷が散見し、強い日光に時折白く光る。凄惨なのは間違いないが、健康的であると言えなくもなかった。
クレスト、メイトリアーク、パトリアーク、と、ウィルは順番に目で追っていく。
関係は把握したが、無論全てではない。その曖昧さを、何となく、の部分に込めて伝えてある。
仕事においては、必ずしも依頼者達について知っておく必要はない。内容さえ完遂すれば良いという場合が大半であり、それどころか依頼者については一切探るなという事も多かった。
だが今回は特例中の特例、おそらくは生涯で最も特殊な連中から引き受ける仕事となるだろう。だったら、知れる範囲で依頼主及び関係者について知っておく方が賢明であった。
視線は、再度クレストへと戻る。暗い瞳が、ウィルを見て緩く瞬いた。
ひとまずこの猫背の怪物が、件の少女を助けたいと心底願っている事だけは本当だと思って良さそうだ。
世界直々の加護か。悔しくもあるような羨ましくもあるような、そんな気分で見つめた少女は、何やら憤懣やるかたない様子である。傍に最強の味方が控えているにしろ、年上の男を相手に威勢の良さが消えない。
「プールから出てよー! ひとりじめしちゃダメー!」
「いいじゃねーかケチケチしなさんな。折角の季節限定施設なんだから、暑いうちに活用してやんなきゃな。だいたい独り占めなんてしてねーよ。こんだけスペース空いてんだから、入りたきゃ入れば?」
「はじめはクレストと入ろうと思ってたの! なのにウィルが先に入っちゃうんだもん!」
「だってよ、愛されてんなおめでとさん」
「う、うん……」
「……おめーの照れるツボはどこなんだよ。
別にいいけどな、オレにゃ関係ない話だし」
もごもごと口の中で聞き取れない言葉を呟いているクレストを放置して、ウィルはざぶりと派手に波を立てた。
使い方が浴場と変わらないのは、馴染みがないため仕方がない。
庭園に設けられたプールなどという代物、横目で見た事はあっても使った事は一度もない。ああいうのは自分のような野良犬には生涯縁がない物だと羨ましく感じる事さえなかったが、実際使ってみるとなかなか良い物だと分かる。
特にこの暑さの下で、清潔な水に広々と手脚を伸ばせるのは爽快だった。
金持ちの収集物全てが、価値の理解に苦しむガラクタばかりとは限らない。
「……なんというか、少し、意外だ」
「ああん?」
「そんな風に打ち解けてくれるとは」
「打ち解けちゃいねーよ」
「そ、そう……ええと、くつろいでるように見えたから。
君は警戒心が強くて、他者の前でそういう姿は見せないのかなと思っていた」
「くつろいでもいないさ」
「そうなのかい」
「……なんで言われた事をそのまんま鵜呑みにするんだ。
そんなんじゃいつか騙されるぜ」
「お言葉ですが、真祖を騙すメリットが無ければ、騙される真祖にデメリットもありませんので。あえて浅慮を悔やむというならば、それはむしろ騙した側にもたらされるでしょう。そして、差し当たり最もその位置に近いのが貴殿かと」
「はーん、そうだな。肝に銘じとくよ」
メイトリアークからの軽い脅しを、更に軽くウィルは受け流した。
「見た目にはくつろいでるようでも、頭の中じゃ忙しく考えてるのさ。
思考を表に出さない、それがこの道のプロってもんだ」
「へえ……すごいね」
「……真祖、つい今しがた言われたばかりだと思いますが」
「あ」
指摘され、しょぼくれた顔で肩を萎めるクレストと、その足元から「もー」とでも言いたげに見上げるフィリア。
これだけなら確かに、くつろいでも不思議はなさそうな平和そのものの眺めである。しかし現実は違う。ウィルは自由意志でここに留まっているようで、実質、囚われの身に等しい。人間相手なら多少の無茶をする気にもなれるが、親玉の実力と出鱈目な不死性は自ら体験済みだ。この状況でリラックスできるのは、余程の馬鹿だけだろう。貴族じみて優雅にプールなど使っているのは、くつろいでいるというよりも、半ば自暴自棄に近い感情の表れである。
かといって、従者に何度も釘を刺されたように、裏切ろうという算段をしている訳でもない。雇われるという事は決めた。ならば、依頼者が怪物だろうと世界だろうと、彼は自分の仕事を果たすだけだ。
そして依頼者の事態解決を願う気持ちが本物であり、かつ依頼に乗じて自分を陥れるつもりが無いのも確かめられた。
だとしたら結局これは、いつも通りにこなす仕事か、もしくは依頼側の裏切りが無いと保証された分、いつもより幾らか安全な仕事でしかない。
そう、何も変わりはしないのだ。
ウィルはフィリアを見ると、またもや風呂に入っている時のような大欠伸をしつつ、間延びした声をあげた。
「さあぁて、これから作戦立ててくとするかー」
「ほんとにやる気あるのー?」
「あるある」
疑わしげな目を向けてくるフィリアに、気楽な調子でウィルは答える。
自分がやる気を出す事が、この少女を楽園から引き離す事になるのだと思ったが、自覚のある相手に言うのも野暮だろうと、その言葉は飲み込んでおいた。
フィリアの脇に、メイトリアークが歩み出る。
「そろそろ昼食の支度に移ります。頃合いを見て食堂へおいでください」
「よ、待ってました」
「……むー、やっぱあやしー……」
プールサイドに半目で屈み込むフィリアに、ウィルは片手のスナップを使い水飛沫をかけた。
わっぷ、と顔を覆うフィリアに、慌ててクレストが駆け寄ってくる。
威厳の欠如している雇い主に苦笑しながら、明日か、遅くとも明後日にはここを発とうとウィルは考えていた。




