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君のいる世界  作者: 田鰻
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予兆 - 7

(生きてんのか、まさか)


そして守られている。

この森に巣食い、侵入者を壊滅させた獣に、どういう訳なのか。

商品は、森の獣の庇護下に入った。そう考えるのが一番しっくりくるのだ。単に鬱陶しい侵入者を追い払おうとする以上の意思を、これらの守りからは感じる。

商品は森に逃げ込んで、獣に拾われて守られている。追手を壊滅させてまでも、守ってやろうとされている。

その事に男は怒りのようなものを覚えたが、すぐに鎮まる。

厄介だなと、冷えた頭が思った。

地の利は圧倒的に向こうにある。加えて対象を保護しているという事は、保護するだけの知能がある相手だという事だ。

だが厄介だろうと難敵だろうと、受けた仕事は果たさねばならない。

投げればたちまち信用を失い、顧客の質はガタ落ちとなる。

そうして金を失えばゴミ漁りに逆戻りか、何の権力の傘もアテにできない、一介の犯罪者に落ちるしかない。遠からず手が後ろに回り、正義という名の刃によって首は落とされるだろう。


少年時代、男の家は道端のゴミの山だった。

男が生まれそして捨てられるずっと前から、内乱の絶えない貧国。

普通の子供が親に手を引かれて歩く年頃に、人狩りにあった。路地をうろつく物乞いの子供は、格好の獲物だった。

変態趣味の連中に売り飛ばされなかったのは幸運だったというべきだろう。男は無料で手に入る少年兵として、その他多くの集められてきた子供達と共に、玩具の代わりにナイフを、言葉の代わりに人殺しを教えられて育った。

満足な訓練もされないまま舞台に放り出され、面白いように脱落者が出た。少しでも戸惑った子供、泣き言を吐いた子供、技量の低い子供から規則正しく死んでいくのを見て、男は強くなる事に決めた。

暇を見ては体を鍛え、何度うるさいと殴り飛ばされてもめげずに文字を教えてくれるよう頼み、疲れきって眠りにつく前には、夢の中で実戦訓練が味わえるよう願った。

そんな生活を繰り返し、脱走に成功したのは何歳の頃だったか。

国から国を渡り歩き、学べるものには貪欲に手を伸ばし、金の匂いのある場所には積極的に向かった。

金が手に入れば、やれる事が増える。実績を増やせば、より大きな金が手に入る。

学べる事が増えれば、それだけ強くなった。

鍛える事が増えれば、それだけ強くなった。

ずっと一人だった訳ではない。何でも屋として酒場に顔を出せば、同業の顔見知りができる事もある。

強かったり、未熟だったり、彼らは様々だった。男と同じように強さを求めながら、途中で満足してしまう者もいた。生き残る技を磨くのを止めて、運良くそのまま生き残った者もいれば、それで死んでしまった者もいた。

男はその運の幅を広げる為に、立ち止まろうとしなかっただけだ。


多くの地獄を渡り歩いてきた。

だから男は、地獄が当たり前にそこらに転がっている事を知っている。

よって貴族の娘が人買いの手を逃れて生き延びていたとして、それを地獄に落とす事に現実感しかない。

いいも悪いもない。どこにでもある平凡なものだ、地獄なんてものは。

可哀想だと悪を罵る連中のうち何人が、飢えを満たす為に目をぎらつかせて糞便の山を漁った事があるというのか。


男は木の皮を長方形に薄く剥ぎ、胸ポケットのひとつから取り出した塗料を塗り、皮を元に戻す。見た目には樹皮に薄く傷が残った程度だが、特徴的な匂いが嗅ぎ取れる。極力、痕跡は残したくないものの、この先落ち着いて位置を測れる状況が続いてくれる見込みは少ない。となれば、万一居場所を見失った際の目印は必要となる。

塗料は、放っておけば数日で蒸発して消えてしまう。数日内に利用する機会が訪れないなら、おそらく一生訪れる事はあるまい。


やるべき事をやろう。

男は雑念を頭から追い出した。

自分の考えるべき事は明快だ。

森を進み、商品を見つける。

邪魔する敵を殺す。

商品を連れ帰り、依頼者に引き渡す。

限りなく単純だ。

以上の計画は全て、商品が生きているという前提の上で遂行される。

死亡していた場合は、それを示す体の一部なり遺品なりを持ち帰る。

生きていた場合に取るべき他の行動は、無い。

連れ帰るか、ここで自分が死ぬかだ。


男はひたすら生き延びる技を磨きながら、死を恐れてはいなかった。

どうせ、懐かしく振り返って微笑めるような人生ではない。

なかった事にできるのなら、今からでも喜んでそうしたい。その程度のゴミのような代物を惜しむ理由はない。

自分が歩んできた地獄も。

これから標的の少女が連れ戻される地獄も。

地獄はどこにでも転がっている。普通の人間が普通の生活を送る街の、一瞥すらせず通り過ぎるだけの路地裏に。

それと同じく、死もまたどこにでも仲良く並んで転がっているのだ。

距離よし。位置、問題なし。

十数度目のカウントをするのとほぼ同時に、それは男の行く手に突如として立ちはだかった。


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