予兆 - 2
半分開かれた眠たげな瞳が、鈍く空を映して光る。
本当に眠い訳ではない。一日の大半を、クレストはこんな目をして過ごしている。
瞳の輝きの鈍さ同様、その心もまた滅多な事では動かされないように思えた。
風格や貫禄故にではなく、隠そうともしない無気力さによって。
実際にはそこまで怠慢でないとしても、何事につけても鈍重さの漂う動作が、見る者にそう感じさせる。高い背丈は常に背中が曲がり気味で、その姿勢でのんびりと歩く。どことなく蜥蜴のようだ。
が、印象程に何も考えていない訳では、ない。
事実クレストは焦っていた。いつになっても、フィリアを人間の暮らす世界へ戻す手が見付からない事に。
単に戻すだけなら簡単だ。森の外まで出れば、極論そこはもう人の世界。手近な町に放つだけでも済む。しかし、それでは本当の意味で返した事にはならない。クレストが求めているのは、フィリアが、人の世界で幸せに生きていける事である。
幸せに生きる。言葉にすればごく短いそれが、いざ探し始めるとなんと難しい事か。
金さえあれば良いというなら、持ち得る限りを渡してやれる。だが現実はそうではない。人が人の世界でまっとうに生きる為には、まず人の社会における居場所を確保する必要があるのである。そしてそれは、魔物であるクレスト達にとって最も縁遠く、入手するのが困難なものであった。
焦りは、日によって大小の程度を変える。
だが大きさ如何に関わらず、頭にこびりついて消えない。
特に大きい日は、早く何かしなければと居ても立ってもいられない心境に陥る。
かといって、具体的な方法となると判らない。結果、役に立たない焦りだけが表に出て、フィリアに慰められる事になる。
クレストはいつしか、瞳を閉じていた。
自分の無力さを思い知らされる。自分と、従者達の無力さを。
メイトリアークとパトリアークを過小評価するつもりはない。
従者達は本当に良くやってくれている。感謝している。
しかしやはり、魔である限界があるのだと彼は痛感していた。
どちらも彼と比べればずっと人の世界に明るいとはいえ、やはり魔物は魔物であり、人間の世界で暮らした経験が無いのには変わりなく、ましてや人の社会の仕組みや抜け道に明るい筈がない。食事や趣味で、たまに覗き見る世界の事を何から何まで熟知しているかといえば、そんな訳がなかったのである。
優秀な者達だから、時間さえかければ、いずれ人並み以上に知る事はできるだろう。
だが、人間であるフィリアには時間がない。
まごまごと帰す手段を探している間に、子供から大人に、大人から老人に変わり、死ぬ。
成人してしまってからでは、教育や適応面を含めて、余計に人の社会へ戻すのが難しくなる。子供のうち、それも可能な限り早期に帰還させなければならない。それがフィリアを預かった己の義務だと、彼は考えていた。
何か、方法はないか、何か。
気が付けば、そればかりを考えている。
思い付く当てもなく、ただ無為に考えていた。
「暑いよう」
と、これはフィリア。
「暑い……のかな」
クレストは片手を大気にかざしてみる。
言われてみればそうも思える。今はそんな季節だったのだろうか。
フィリアが来てから、だいぶ時間の流れや外気の変化には気を配るようになったつもりだったが、所詮は以前の彼自身と比べてで、人間からしたらまだまだ鈍感なのかもしれない。
ただ、それにしては理解できない行動がある。彼のマントの中に、すっぽりと埋もれているフィリアの意図だ。
「暑いのなら離れたら……」
「クレストのマントの中、すずしいよ。
わたしすずしい場所見つけるの上手ね」
「なんで片言になってるの……君がそれでいいなら構わないけど……涼しいの?」
閉じたマントから返事がある。
前にフィリア、後ろにクレスト、身長差がありすぎて、おかしな二人羽織になっていた。フィリアのこういう所は、前にも思ったが猫めいている。子犬をベースにして、子猫が同居している具合である。
ともあれフィリアが暑いというからには、こうしてチェアに寝そべっている外は暑いらしい。屋敷内へ移動すれば暑さは多少紛れるだろうが、生憎フィリアが上に乗っているせいで動くに動けなくなっている。
この点でも、猫と極めて近かった。
「いかがでしょう真祖、庭園にプールを設けてみては」
脇に控えていたメイトリアークが歩み出る。
耳慣れない単語に、クレストは従者へと顔を傾け、目を瞬いた。




