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君のいる世界  作者: 田鰻
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少女と読書 - 3

彼は小さく首を振った。それだけは無い、と否定する。二重の意味でだ。

まずフィリアが人間という生物として成熟するまで、この洋館に留まる事は、ない。よってメイトリアークが危惧している、人の成長に伴う精神の変容がもたらす混乱も悲劇も、ない。

――だいたい、万一そういう事になるとしたら、自分などよりもパトリアークの方だろう。

日頃からフィリアの面倒を良く見ており、外見年齢も近い。人間でいう異性の恋愛対象に相応しい存在というなら、彼の方が遥かに条件に当て嵌まる。そして仮にそうした事態が発生しようとも、機転のきく彼の事だから、波風を立てないよう上手に解決してくれるだろう。

だから、自分などが余計な心配をする必要は全くない筈だと思いつつ、一旦浮かんでしまった余計な考えは、思考の片隅にこびりついたまま消えない。そういう状況ではないだろうに。

彼は気まずげに、拳を口に当てて咳払いをした。とにかく、今は答えを求められている。


「……そ、そう……かな。そんな事はないよ。部屋が暗いからじゃないかな?」

「暗いのはクレストの顔だと思う」

「……ええと……ごめん……」

「何かあったの?」

「いいや、何でもないから……大丈夫。俺は元からこういう感じだからね、心配なんてしなくていいんだ」

「そっか……」

「………………」

「……あのね、クレスト。

クレストって、うまく言えないんだけど……いつも何か、ガマンしてるよね。

だまって、じっとして、痛いって言わないで。わたし、そういう大人のひとたちいっぱい見てたから、知ってるよ」

「そんな事は……」

「その人たちも、そんな事ないよって言った。

わたしが、どうしたの、何かあったのって聞くと、違うよ、そんな事ないよって。クレストと同じ」

「………………」

「わたしじゃ、なんにもできないかもしれないけど」


そんな事はないと、クレストは叫びそうになった。

ただ、そこにいてくれるだけでいい。そこにいてくれるだけで、どんなに。

胸中で繰り返すだけで、言葉にはできない。今口を開くと、本当に余計な事を言ってしまいそうだったから。


「……苦しかったら、言ったほうがいいよ。わたし、ちゃんと聞くからね。

あの時は、わたしも苦しくて聞けなかった。でも今は、クレスト達といっしょで幸せだから、ちゃんと聞けるよ」

「フィリア……」

「聞くから。いっぱいお話してね」

「………………」

「ねっ?」

「……うん、わかったよ。ありがとう」

「ん。じゃ、こっち」

「ん?」


くいくいと手招きをするフィリアに、クレストは小首を傾げる。


「はやく、こう。頭、下にさげて」

「こうかい?」

「はい、いいこいいこ」

「………………」


言われるままに頭を下げれば、日頃自身がフィリアにそうしているように、頭をわしゃわしゃと撫でられる。クレストが反応に窮している間に、フィリアは自分の椅子に座り直すと、読みかけの本に戻った。

屋敷に来た当初、自らの背負ってきた苦しみを口にしないようにしていた少女は、苦しければ話してくれと彼に言って、本に戻った。

フィリアに気遣わせるような言動は避けようと思った矢先に、結局気を遣わせてしまっている。まるで駄目であった。自己嫌悪は彼にとって珍しくない行為だが、それがまたフィリアを心配させるのは判り切っているので、どうにかこのまま堂々巡りに陥らないように努める。

いちいち深く考えようとせず、からっと接すればいいのだとは理解しているのだが、それが出来るなら最初から苦労はしていないし、そもそも始原の存在唯一の生き残りになどなっていないだろう。

なるようにしてこうなっている、そんな諦めすら浮かんでくる。


(何でも言ってくれ、か……)


言える訳がなかった。

クレストの表情を暗くしていたものがあるなら、それはフィリアがいつかこの屋敷を出ていく未来なのだから。

理由を告げる事は、どうかここを出て行かないで欲しいと懇願するのと同じだ。許されざる願望だ。だから、どうしたって自分は、フィリアの気持ちを裏切り、大丈夫だよと馬鹿みたいに繰り返し続けるしかない。


(大丈夫だから、フィリア)


だが、言葉に偽りはない。

その時が来たら、必ず送り出して、帰してあげるから。本来、君が幸せに生きるべき世界に。

流されてばかりの自分だけれど、それだけは決して流されないと約束できるから。

きっと、とても寂しくはあっても、避けられない事であり、仕方のない事であり、避けてはいけない事なのだ。

君を帰すと、ここに確約する。

我が心は壊れる事はない。

故にこうと”制約”した事が、破られる事はない。

それはルールだった。不老不死が、どうあっても不老不死なのと同じく、絶対にして不変の決まり事だった。

もう、決めた。だからこのルールは壊されない。彼女はいずれ帰る、元の世界に。人の世界に。


それでいい。


卑しくも世界と等価なる者として、たった子供ひとり思うままに幸せを与えてやる事ができない。大した世界もあったものだと、初めて、能動的に世界に対して皮肉めいた心を抱いた。

彼は手を伸ばし、フィリアが本を読みやすいよう、今更ながらランプの明かりと位置を調整する。

読み終わる頃にはどっと疲れがやってくるだろうから、外に連れだそう。

木陰に、フィリアに似合いそうな色のテーブルと、何か甘いものを。そうだ、昨日あたりに熟したと言っていた、野葡萄などが良いかもしれない。

その頃に合わせて支度をしておいてくれるように、彼はそっと従者達に合図を送った。


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