少女と読書 - 2
今日はここまでにしようとクレストが言ったのは、フィリアの体を気遣ったのは勿論だが、もうひとつの理由として、本の数があまり多くないという事もあった。
フィリアに読めそうな本が少ないというのと、実際の数自体が少ないという、両方である。本全体で見れば残っている数の方がずっと多いが、大半は、今のフィリアが読むにはまだ難しすぎる内容だった。
そして、総数。これが、悠久を漂いし魔の館の蔵書などという響きからは拍子抜けもいいところの、せいぜいが人間の小規模な個人収集家に毛の生えた程度なのである。中には相当に古い物もあるが、古物としての価値など彼らにとっては何の意味もない。だったら残り少ないフィリアの楽しみを、急いで目減りさせる必要はないだろうと彼は考えたのである。
すべて、ここにある本はクレストの物だった。クレストの為に、従者が探してきた物だ。
本は好きだが、これまで積極的に蓄えてもらいはしていなかった。あくまで従者の裁量で、時たま――それとて数十年、時には百年単位越しに手に入るに任せていた。
だがこうなると、意識して集め始めた方がいいかもしれない。フィリアの成長に合わせて、順を追って――。
そこまで考えた時、彼は我に返り愕然とした。
自分は、いつまでフィリアをここに留め置くつもりでいるのだろうかと。
彼女を外に帰す時期は、早ければ早い程良い。それこそ、成長に合わせての本など必要がないくらいに、早く。
だというのにこれでは、やっている事がまるで逆だった。
早く早くなどと思っている間に、いたずらに時は過ぎていく。魔にとっては欠伸ひとつ漏らした程度の価値の時間が、人間にとっては、一段階の成長を帯びられる充分な時間であったりもする。
飛ぶように時が過ぎていくとは思っていた。だが、改めて単位を用いて確認すれば、もうあれから人の暦で3ヶ月なのだと従者から聞かされている。そんなに、と、まず驚いた。
ここまで細かい単位で時間を気にかけたのは、彼には初めての経験であった。
フィリアが来てから、屋敷は明るくなった。
苦労をかけっ放しの従者に済まなく思いながらも、少なくともクレストはそう感じ、それに浮かれている。かつてなくはっきりとした感情の動きによって、現状を歓迎しているのだと認識できるのだ。
かといって、泡沫の夢に永続を期待するのは間違っている。許されない。
泡は弾けるもの。ここは、人間の生きる土地ではないのだから。
わかっている。
わかっていた事なのに、その時を考える度に重くなっていく気持ちを抑えられなくなっている。
明かりを知らなければ、暗がりでも暮らしていられた。
得た後で取り上げられたら、元の暗さを元とは感じられない。
こんな事なら最初から知らなければ良かったと、最悪の結論に辿り着いてしまう前に、早く帰さなければ。
じわじわと焦りは募る。しかし焦りを取り払う為に行動を起こしはしない。起こす方法を、彼は何も知らない。知る為に知ろうとすれば、その時が来て欲しくないという気持ちが、手足の動きを、物言う口を止める。
「……スト」
「………………」
「――ねえ、クレストってば」
「うわっ!?」
突然間近に現れたフィリアの顔に、不意をうたれたクレストは仰け反った。背中で押された椅子が、ガタンと鳴る。
物思いに沈んでいて、接近に気が付いていなかった。ふわふわした胸元の飾りが、服をくすぐっている。
素で驚いて叫んだ彼には、フィリアも少し驚いたようだった。距離が近かったから尚更声が響いただろう。
まさか、呼びかけるまで一切意識から外されていたとは思うまい。
「どしたの大きい声だして。びっくりするよー」
「ご、ごめん。なに?」
「クレスト、また元気ない顔してる」
フィリアは、ちょこんとクレストの膝に手を乗せたまま見上げてくる。
本ばかり見ていたようで、しっかり彼の様子も気にかけていたらしい。
その事実に少なからず喜びを感じてしまい、自分は何をやっているんだと思い直す。こんな子供に心配させて、反省するどころか嬉しがるようでは、どちらが保護者だか判ったものではない。
あべこべだ、これでは。
不用意なフィリアの接近と、それに伴う感情の乱れのせいで、余計な事まで思い出した。
まだフィリアが屋敷に来たばかりの頃、メイトリアークが、幾らか厳しい顔で彼に宣告してきた結末。以降も、直接口にされる事は減ったが、彼女から経過を観察されている視線を折に触れて感じる。
男と女が、どうこう。




