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君のいる世界  作者: 田鰻
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少女と読書 - 1

時の刻みの音さえも、この部屋では聴き取れるように感じた。

閉鎖された小空間では、時間の流れそのものが違ってくるような気がする。

まだこの程度しか経っていないのかと思っていたら、予想外の時間経過に驚き、その逆もまた然り。いずれにしろ他一切に左右されず、己のペースを保てるという点は同じだった。

図書室、と洋館の住民が呼ぶ通り、ここは屋敷内のあらゆる書物が蓄えられた部屋であった。とはいえ最初から書物蔵として造られた部屋ではなく、蓄えられたという程大袈裟な蔵書量でもない。個人用の書斎と呼ぶのが正確であり、所詮は小部屋の域を出ない。

が、それが却って落ち着ける空気を作り出している。


クレストはフィリアの隣の椅子に座り、読むでもなく無為にページを捲っていた。

初めは向かいに座っていたのだが、フィリア手ずから読み聞かせたい箇所のある度にクレストを呼ぶ為、早々に隣に移動したのである。

たまに、文字や語句を指さしての質問がある。

どれも彼が最低一度は読んだ本なので、彼なりに答えや意見を述べる事ができた。

文字は、それなりに読めるようだった。教えた事への理解も早い。

育った環境を思えば、悠長に読書などしている余裕はなかったであろうに、こうして一定の学習は済ませているのは、堕ちても貴族としての矜持だけは失わせないという家訓の賜物なのか。

それを感心するべきか悲しむべきなのかは、判断が難しい。

この年頃にしては相当に集中力があるフィリアの読書風景を、彼はちらちらと横目で窺っていた。途中で一度、紅茶でもどうかと聞いたが、特に欲しがる様子もない。ひたすら無心に本の世界に入り込んでいて、読めない箇所、分からない箇所、共有したい箇所がある時だけ、こちら側へ戻ってくる。

そんな姿に、ふと彼はアナスタシアの事を思い出した。

血なのかな、と思う。

ひいひいおばあちゃん――高祖母と呼ぶのだったか。血は薄まっても、意識していれば所々で似た仕草を見せる。単なる偶然か思い込みだと言ってしまえばそれまでだが、血を誰よりも良く知る吸血鬼である彼には、そう簡単に切り捨てられる現象だとは考えられなかった。血は人の形を伝えるのだ、確かに。


飽きもせずに、フィリアは本を読んでいる。

飽きもせずに、彼はそれに付き合っている。

待つのには慣れ切っている彼にとって、何ら苦痛ではない。ほら、もうあと5ページくらいだ。


目算に違わず、読み終えたフィリアが本を閉じた。

椅子を僅かに後方へずらし、伸びをする。子犬めいた動作の目に付く少女だが、これはどちらかといえば子猫だった。そのまま、前方に思い切り伸ばした短い手足を、上下にぱたぱたと振る。ほぐしているらしい。

微笑ましい眺めに目元を緩ませていると、フィリアが突如がばっと顔を上げたので、クレストは一瞬硬直した。この少女の瞳は、受け流すには些か大きすぎ、澄みすぎている。直視するのは、疲れて生きてきた彼にはやや辛い。

結局、僅かに垂れた目は、いつもの困ったような表情に戻ってしまっている。


「本、もうない?」


普通の子供なら、大人にそんな態度を取られたら戸惑いそうなものだが、フィリアは慣れたもので、あるいは初めから気にしていないのか、早くも次を求めている。

彼にしては、素早く考えた。フィリアでも読めそうなもの。まだ何冊か該当する品はある。与えれば喜ぶだろう。

しかし、少々ここに篭りすぎではないだろうかと、続けて考える。朝からずっとでは、体に悪い。余計なお節介であろうと、他にフィリアに対して世話を焼いてやれる事がほとんど無いのだから、せめて目の届く場所にいる時は気を遣って然るべきだと、彼は結論を出した。

期待を込めて見上げてくるフィリアに端から決意を挫かれそうになりつつも、彼は心を鬼にして、まあ元から吸血鬼ではあるが、読書時間の終了を告げる。


「今日はここまでにしておこう」

「えー、まだ読みたいよー」

「う……でも、あまり根を詰めると疲れてしまうよ。慌てなくても、本は逃げないから」

「それじゃ、あと一冊だけ! ねっ?」

「…………ええと……フィリア……」

「ねっ?」

「……うん」


落とし所を得て事態は解決した。これを解決と言って良いのかどうか、従者に聞くのは止めておく方が賢明だろう。

ともあれ、もう一冊渡さない事にはフィリアの気が済んでくれそうになかったので、クレストは椅子から立ち上がり、適していそうな物を本棚から選んで戻る。

机に両手をついて待っているフィリアの姿に、あっさりと「まぁいいか」と思ってしまう辺り、とことん自分は厳格な保護者には向いていないらしい。

己に呆れた後、現実に気付いて苦笑する。ただ遊んだり眺めたりしているだけの者には、偉そうに保護者などと名乗る資格はあるまい。たまに、保護されているのはこちらの方ではないかと思う事さえある。


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