始まりの吸血鬼 - 12
「森辺縁への幻視、全て張り終わりました」
「内部結界も全て、正常に作動しております」
整列して報告する従者2人に、彼はまず礼をいい、それから心配そうに聞いた。
「森に入ったら、いきなり死ぬような事にはなってないよね?」
「ありません。初め半分眠った状態になり、夢見心地で歩いているうち、知らず外に出てしまっている。そういった、極めて穏便なものにしてあります」
「それを聞いて安心したよ」
あの脅しが効いてくれれば最良だが、また追手が来る可能性は充分にあるという事を考え、彼は、ずっと手付かずだった森に防衛用の備えを施す事に決めたのである。
あれで完璧に騙しきれるとは、何かにつけて流されてばかりの彼でも信じていない。逃がした人買いが真実を話してしまう可能性、疑いを抱いた上層部が新たな追手を差し向ける可能性。考えたくはないが、先に連れて行った孤児院から報告が行っている可能性もある。幾許かの礼金目当てに売るには、うってつけの情報だろう。こうなると引き取り先を探した事が仇になってしまったが、今更言っても仕方がない。まさかこのような結末になるなど、彼は一切予想していなかったのだから。
なったからには、降りかかる火の粉は払うまで。
とはいえ、問答無用で抹殺というのは、甘いと言われようが気が咎めるのだ。
立地上まず無いだろうとは思っても、間違えて迷い込む者が絶対にいないとは言い切れないのだし。
「大変だったろう」
「長年の閑職のおかげで力は有り余っております。
庭木の剪定の方が余程の難事ですよ」
冗談に聞こえて、真面目に言っているのかもしれない。
仕えた時から、クレストには望みもなく、野望もなく、戦いもなく、
よって彼らがこうして魔としての力を振るう機会は、ほとんど無かったのだから。
「クレストー」
たたたた、とフィリアが駆けて来て、あっと思う間もなく彼のマントに飛びついた。少女の重みでマントが下に引っ張られるのに釣られて、彼は頼りなく姿勢を崩しかける。
「あっちにリスが巣、作ってたの!
赤ちゃんの顔が見えたよ!」
「わかった、見に行くよ」
「早くね、隠れちゃうかもしれないから!」
言うだけ言うと、彼にしがみ付いていた手をパッと放し、再び森の方へパタパタと駆けていく。
「このまま、ここに住まわせるおつもりですか?」
「まさか。ここは人間の暮らしていけるような場所じゃないよ。
ただ、あの子がちゃんとした居場所を見付けられるまでは、匿ってあげられたら……」
彼自身は気付いていただろうか。
語る声が、普段の彼のものより若干だが弾んでいるという事に。
メイトリアークからじっと見られている事に気付き、彼は急にしどろもどろになりつつ付け足した。
「ほら、何年か経てば、諦めて外だって少しは落ち着いてくるだろうし……。
あ、その前にまずは傷を消す方法を探してあげないとね、専門外だけど」
あれこれ思いつくままに付け足しながら、どうも言い訳がましいと自分でも思った。出すべき言葉も出し尽くし、彼はもう一度、少女の方を見る。
森での一件以来、フィリアはすっかり彼に懐いていた。
過酷な体験による、幼児らしからぬ世を悟ったような部分も鳴りを潜め、日を追ってまっすぐな快活さが表に出てきている。
それでも彼は、単に自分が、少女の暗い部分を感じ取れていないだけかもしれないと疑っていた。人の心というものに触れた機会が、あまりにも少なすぎて、確証を持つのを躊躇わせる。
本当なら、何不自由ない一生が保証されている筈だった。
この年齢で、家を奪われ、家族を奪われ、命を金で買われ、耐え難い苦痛と屈辱を味合わされた。
これまでずっと、辛い思いをしてきたであろう少女。
痛みも恐怖も知らない自分に、その辛さを実感することはできなくても、せめて想像をして、外の世界で少女を受け入れる環境が整うまでは穏やかな時間を提供できるのではないかと思った。
幸いここは、静けさでは他に類を見ない程恵まれている。
波乱と激動に疲れた身と心を、少しでも癒す事ができたのなら。
「クレスト、クレストー、はやくー!」
いつまでも突っ立っているばかりの彼に焦れた少女が、叫びながらぶんぶんと手を振りだした。
そんなに呼ばなくても聞こえているのだが。
というか、あんな大声を出したら肝心のリスが逃げてしまうのではないだろうか。
ああ、その時は、きっと自分のせいにされるんだろうな。
彼の名を呼びながら手を振り続ける、ちんまりとした少女の姿は、よくわからない例えだが、厚着をした子犬のようだと思った。
「……やっぱりかわいいなあ」
思わず口に出ていた。
はっと横を見れば、自分を凝視する従者の視線が2つに増えている。
「真祖、戯れをお望みでしたらご遠慮なさらず。微力ながら僕の力を提供致します」
「……真意が何処にあれど、わたくしは真祖に従いますので」
「だから、そうじゃないよ……」
どうもいろいろ、非常によくない誤解をされている。
が、それより更に大きな問題がクレストの前に持ち上がりつつあった。彼に向けられる少女の眼差しが、じれったいを通り過ぎて、そろそろ棘と化しつつある。これ以上放置を決めこむと、あらぬ誤解など可愛く思える嵐が庭園に吹き荒れかねないのは明白だった。
彼は差し当たっての弁明を放棄して、屋敷の歴史始まって以来となる本格的な同居”人”の求めに応じるべく、ゆらりとその漆黒の影を動かした。