始まりの吸血鬼 - 11
断末魔の呻きと共に倒れると思った獲物が、倒れないどころか相変わらず棒立ちな事に、男の眉根が寄った。
クレストは何よりまず自分の背後に向かって、やめろというように片手を軽く挙げた。男はそれを抵抗か反撃だと早合点し、反射的に身構える。
だが持ち上がったクレストの手は、そのまま下がった。
その間も彼は、苦悶の声ひとつあげずにいる。自らを刺した男を見る眼差しは、始終一貫して変わっていない。
初めて、男の表情に不安の影が走った。思わず短刀から手を離し、数歩後退る。
クレストは、己の胸に突き立ったままの短刀を一度ゆっくりと見下ろし、再び顔を上げた。
「……ええと、見て分かったと思うけど、俺にこういうのは効かない。
俺を殺すなら、この世界を破壊しなくちゃいけないから。
あと、これ以上は攻撃しない方がいいよ。というかしないで欲しい。今だって止めるのに精一杯で……」
凄まじい殺気がふたつ、今にも踊りかからんばかりに森の奥の闇に渦巻いている。
が、所詮は多少訓練したゴロツキに過ぎない人買い達にそんなものが感じ取れよう筈もなく、痛がりも死にもせず話を続けるクレストに、ただ混乱するばかりだった。
「君達にとって最も得なのは、俺の交渉に応じて代金を受け取って、その子は死んだと報告する事だ。
君達は少なからぬ臨時収入を得られるし、無事に帰れる。
でも、これ以上は――」
言葉の途中で、今度は3本の剣がクレストの体に突き刺さった。
男達の掛け声は、気合というより半ば悲鳴じみていた。
「だからさ――ああ、パトリアーク、メイトリアーク、いいからそこにいてくれ。
自分で言い出した無理くらい、さすがに自分で決着させるよ」
クレストは背後の闇に向かって呼びかけると、顔を前に戻した。
何ら力みもなく、長身を包むマントが翼の如く広がり、ヴォン、と音を立てて一回転するように翻る。
クレストの間近にいた、4人の首が飛んでいた。
もはや叫ぶのも忘れて硬直する男達の前で、彼は最初に刺さった短刀を無造作に引き抜く。
「血は出ない。俺が望まない限りは」
言った途端に、塊状の血液がごぼりと漏れた。
血が、地面に落ちる。
ぼ。
低い音が5つ重なった。
土に跳ねた血液から5本の触手が飛び出し、槍のように残る男達の顔面を貫通したのだ。
ただ貫くで済ますには、威力と速度がありすぎた。まるで火薬が内部で炸裂でもしたかのように頭が爆発し、真っ赤な血煙が霧となって散る。
先に斬られた頭と、続けて潰された頭。あまりに早業であった為、残った9つの胴体が倒れるのは、ほぼ同時であった。
1人だけ生き残った男は、這いつくばって腰を抜かしていた。股には染みができている。
クレストは無様な格好の男を見据えたまま、静かに告げる。
「……帰って、君の雇い主に伝えるんだ。
商品は死んでいた、獣に食い荒らされて持ち帰れる状態じゃなかった、他の連中も皆、獣に襲われて死んだと。
君の見た『有りの侭』に。……俺の言っている意味はわかるよね?」
がくがくと、出来の悪い玩具のような動きで、男が何度も何度も頷く。
彼は男の前に屈み込み、その目を覗き込んだ。それだけで、引き攣った声が男の喉から漏れる。
「そう……いい子だ。
けれど、もしもくだらない気を起こしてみろ、その時は」
クレストが言葉を切る。
一瞬、森の時までもが静止したようであった。
「いつでも、殺しに行ってやるよ」
低い、平坦な、無感情そのものの囁き。
途端、あらゆる束縛が解けたかのように男は跳ね起き、切れ切れの絶叫を残しながら逃げ去っていった。
その姿が視界から消えるまで見送ったクレストは、やがて、ふぅと大きく肩を落としつつ息を吐き、立ち上がった。
普段から血色の悪い頬が、今は僅かに赤らんでいる。
(……ああ、恥ずかしかった。言いつけない台詞って、どうしてああ難しいんだろう……。抑揚全然つけられてなくて棒読みになってたし、他の連中も皆、の所なんて少し噛んじゃってたし……)
特に最後の「いつでも殺しに行ってやるよ」は、当分の間は思い出す度に頭を抱えて煩悶する羽目になりそうだった。
が、辺りに満ちる血臭に、いつまで身悶えている場合でもないと気付く。
「ごめん、後始末を頼むよ」
上を見上げて彼が言うと、ざわざわと木の根と土が動き出し、見る間に人買い達の死体を飲み込んでいく。まだ胴体に刺さったままだった剣を順番に抜いて投げれば、それも飲み込まれてしまった。
さしたる時間も要さず、森は凄惨な殺戮があったなど嘘のように元通りの光景と静けさを取り戻し、安堵した彼は、そこでフィリアの目と耳を塞ぐ事を完全に忘れていたのを思い出した。
脅しがぎこちなかったどころではない失態に、彼は固まる。
幾らこれまで酷い目に遭わされてきて、その過酷な経験から達観したようなところがあるといっても、4人が首を切断されて殺され、5人の頭が粉々に吹き飛ばされるなど、子供に見せていい光景ではない。まずフィリアからは見えないように聞こえないようにしておいてから、改めて始末をつけるべきであった。
そんな事は分かっていたのに、まるで慣れない行為に緊張していたせいで、直前ですっぽり頭から抜け落ちていた。
誰かを庇って、誰かを考えて戦うなど、彼にとっては未経験の事でもあったから。
フィリアの気配は、まだそこにある。
先程の男のように、悲鳴をあげて逃げ出してはいない。震えて逃げられないだけかもしれないが。
背中を向けっぱなしという訳にもいかず、彼はおそるおそる背後を振り返った。
怖がられるかな。
そう思うと、僅かに胸が痛んだ。
「……おじさん、実はすごいんだね」
……やっぱり、侮られていたらしい。