始まりの吸血鬼 - 10
道中、全く会話は弾まなかった。
弾むような状況ではないというのもあるが、何よりクレストの話題の出し方と繋ぎ方が下手糞だからだ。例えるならば、いい天気ですね、そうですねで終わってしまい、自然、会話はぶつ切りになる。
そして、とうとう途切れた。
致命傷という概念から最も遠い位置にいる存在にも、致命的な事はあるものだ。
途中からは2人とも無言となり、草を踏む音だけが続く。
それでも、指と指を引っ掛けるように繋いだ手は離さなかった。初めて出会った日、同じ道を今とは逆方向に歩いた日の事を思い出しているかのように。
そろそろか、と思うと同時に、彼は立ち止まった。
まさに丁度今、立ち並ぶ樹木と藪の先から人の声らしきものが微かに聞こえてきたのだ。それは人間の耳で捉えるには小さすぎる音だったが、クレストの反応と表情から、目的の相手を見付けたという事を少女も間もなく理解した。
声はこちらへと向かっていたらしく、やがて少女の耳にも聞き取れる近さになる。
繋いだ手を、軽く引かれる。
見下ろすクレストに、フィリアは小さく笑って言った。
「ここでいいよ。
おじさん、ばいばい。ありがと」
「ああ」
するりと、零れるように手が離れる。
フィリアは振り返らずに、声のする方へと歩いていった。
服は少女が初めに着ていた物だ。洗って保管しておいたのを、わざわざ汚した。
森の中にいたにしては綺麗すぎる服を、不自然に思われないように。
本当に、あの日のままだ。
がさりと奥の藪を掻き分け、少女は完全にクレストの視界から消えた。
「いたぞ! おい、見付けた!」
「ほんとかよ、信じられねえ」
「よく生きてたな」
怒鳴るように交わされる言葉、合図の呼び子を吹く音、ばたばたと駆けてくる複数の足音。
字面だけを見れば、遭難した子供の無事な発見を喜んでいるようである。
しかし、ガラの悪い男達の発する声には、否応なしに人の嫌悪感を掻き立てる響きがあった。あくまで、男達にとって少女は商品に過ぎない。それも高額となれば、まさかの生存に歓喜するのは当然だ。そこに愛情など一欠片も無い。
佇む少女の周囲に、じきに10人ばかりの男達が揃う。
少女は逃げない。代表格らしき一人が、捕縛縄を手に歩み寄ってくる。
自らの運命に戻る瞬間、少女の瞳が僅かに伏せられた。
「ええと、ちょっとごめんね。
これで全員かな」
唐突な背後からの声に、少女はぎょっとなって振り返った。
少女だけではない、人買い達もまた予想だにしていなかった闖入者に、一斉に少女の背後、藪に立つ男を見る。
「な、なんだお前! どっから出てきた!」
「うん、俺はこの先の家に住んでいる者で、その子を保護していたんだ」
クレストの説明に、男達は怪訝な顔をした。
「この森に住んでる奴がいるなんて話は知らねえぞ」
「帰って、古い伝承とかを調べてみるといいんじゃないかな。
とにかく嘘はついてないよ」
要領を得ない上に妙にマイペースな話に、男達は首を捻ったが、確かに少女の肌や髪は森に何日もいたにしては綺麗だ。服の汚れ方も、そう思って見ればどことなく不自然である。この話がなければ見過ごしていただろう。
「その子、売り物なんだよね。
よければ、うちで買い取る事ってできないだろうか」
「ああ?」
訝しげに、リーダー格の男が唸った。
フィリアが目を見開いたが、口を開く事は躊躇っている。
クレストの関心が高価な商品に向いていると知るや、場に剣呑な空気が張り詰めたが、あくまで真面目に申し出ているらしいと知ると、途端に人買い達はバカにしたようにニヤニヤと笑いながらフィリアの手を掴み、頭の上へ捻り上げた。
フィリアが顔を顰める。
「なんだおめぇ、こういうガキが好みなのか?」
「いや……好みというか……。とりあえず乱暴はやめてあげてくれ」
「あのな世間知らずのアンちゃんよ、世の中な、売ってくれって言われて簡単に売れる品物ばかりじゃねえんだよ。
こいつぁ既にまとまった商売だし、こっちにも信用ってのがあるんだ」
「そうか……じゃあどこに交渉したらいいのかな」
彼が本気で言っていると判ると、人買い達の笑みが別の性質を帯びた。
「おめえ、いくら出せる?」
「こういうのの相場を知らないんだけど、このぐらいで」
彼の提示した金額に、人買い達はからかうようにヒュウと口笛を鳴らした。
「ずいぶん金持ちなんだな。
けど口だけなら国ひとつ買う金だって吹ける。悪いが――」
「嘘じゃない証拠に、半分なら持ってきてある」
彼がどさりと地面に下ろして広げた袋の中身に、人買い達の顔から笑いが消えた。
半分とはいえ相当の額だ。中には、美しい大振りの宝石まで混じっている。
「へえぇ、すげえな。
世を儚んで隠遁した御大臣様か?」
「世の全てが儚いのは確かだ。ただ俺は大臣じゃなくて吸血鬼だよ」
きょとんとした人買い達が、やがてげらげらと笑い出した。
クレストはぼけっとつっ立っている。
ただ暫くすると、さすがにこのままでは埒があかないと見て、珍しく自ら話を進めた。
「……それで、これで買えるのかな」
「売るって言ったら?」
「この袋をこの場で渡して、屋敷で残りの半分も渡す」
「屋敷ってのはどこにある?」
「ここを、このまままっすぐ行った所にあるよ」
「おじさんっ!」
明らかな制止の意を込めた少女の叫びは、手首を捻られて封じられた。
ガキの方が利口ときてやがる、と、誰かが小さくせせら笑う。
「ならよ、売れない、交渉させる気もないって言ったら?
そんときゃ力尽くで奪ってみるってか?」
「うん……そうなるね」
とうとう、男達の間で爆笑があがった。
「そうかそうか。でもなぁ、実はもうひとつ選択肢があるぜ?」
「どんな?」
不気味なくらいに友好的な笑顔で、人買いの代表格がクレストに歩み寄る。
一切の無駄な動作はなかった。ならず者なりの、相手に敬意など払わないが故の、洗練された殺しの作法だ。男は素早く腰から湾曲した短刀を抜くや、躊躇せずクレストの胸を突き刺したのである。
刃が肉を破る鈍い音。被さる少女の悲鳴。
一人を無残に殺してみせて、他全員への警告とする統率法がある。
あるいはこれには、そうした意味も含まれていたのかもしれない。
「おじさんっ!!」
「お前を殺して、そのカネを頂いて、屋敷のもんも頂いて、んでガキも頂く、だ」
悪党らしい合理的な思考だった。
闇社会にも闇社会のルールがあるが、適用する必要のない相手に対して遠慮する事はない。
いきなり現れて呑気な交渉を始めた男への、得体の知れない気持ち悪さはあった。この数の武装した男達を相手に、見るからに貧相な奴一人が、なのに恐れる素振りもなく話をしてくるのだから。
しかし少々の違和感など瞬時に霧散する。1対10という人数差、官憲の目を気にする必要もない山奥の森の中。圧倒的に有利な状況は男達を目先の欲に走らせ、クレストを世間ズレした間抜けな金持ちとしてしか意識しなかった。
とはいえ、この判断に関しては誰も彼らを責められない。
何せ目の前にいるのがクレストでは――本人には気の毒な言い草だが、だいたい誰でも同じように判断しただろう。