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君のいる世界  作者: 田鰻
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始まりの吸血鬼 - 1

静かな庭園だった。

揺れる枝葉の音、時折舞い降りては土を突付いていく小鳥の他は動く者の存在しない、まるでここだけ時が止まってしまったかのような庭園。

滅びし太古の庭。雰囲気のみならば、そんな言葉が良く似合う。

しかしこれが打ち捨てられた土地ではない証に、生い茂る種々の樹木は見事に整えられており、丁寧に刈り込まれた芝生には、それ自体美しい石畳の道がある。

広い庭であった。とても広い。

こうも行き届いた管理を行うには、どれだけの熟練した人手が要るだろう。

濃い緑たちの活き活きと暮らす空間は、その中央に建つ赤煉瓦造りの洋館によく映えた。


ふっと、庭で影が動く。

真っ黒な影であった。2本の手があり、2本の足がある。

影は、黒を基調とした服装の男性だった。

黒ずくめの衣服に丈の長い外套まで羽織った格好は、この気温の下では少々暑苦しい。それにも関わらず、不思議と男の周囲には、そういった熱気を感じさせないものがあった。

男はどことなく疲れたように歩くと、一本の庭木の前で止まった。

手にしていた銀色の器具を、根本に向けて傾ける。

さあ、と長い先端から流れ出したのは、水であった。

微細な水滴が、きらめく陽光を受けて小さな虹を作る。

水やりを始めて間もなく、背後から、真祖、と呼びかける声がした。

男は、ジョウロを傾けていた手を戻す。


「ああ、パトリアーク。なんだい?」

「真祖御自ら、そのような雑務をなさらずとも。

それは庭師の仕事です」

「うちに庭師はいないじゃないか」

「わたくしが」


男を真祖と呼んだ少年は、胸に手を当て、浅く一礼をした。

年の頃なら16、7歳であろうか、じきに青年に差し掛かる頃合いだ。

薄紫の髪を短めに整えた、切れ長の瞳の端正な顔立ちの、端から端にまで真面目さが滲んでいる。

均整が取れた細身の体を包むのは、青の燕尾服。しかし夜会用の礼服というよりは、手品師のような印象を受けた。頭には、服と同じく青い色のシルクハットを被っている。少なくとも、庭師の格好ではないのは間違いない。


「それに、その樹にはあと2日は水を与える必要がありません。

水分補給に関しては実に煩い種なのです」

「あ、そうなんだ……。

余計な事をしちゃったかな」

「ですから、お任せくださいと申し上げております」

「余計な事の部分は否定しないんだね……」


項垂れる間もなくジョウロを取り上げられ、さあさあ、と男は屋敷の方へ追いやられる。

じりじりと照りつける真夏の太陽が、吸血鬼の血色の悪い肌を焼いていた。


吸血鬼――。

漆黒のマントを翻して夜の闇を行き、うら若き美女の首筋に牙を突き立て、生き血を啜る。昼は棺桶の中で眠り、蝙蝠や狼に姿を変え、十字架と日光とニンニクが弱点で、心臓を杭で貫かれれば死ぬ。

と、そういった世間での認識に、男は概ね忠実といえる姿をしていた。

この男を指さして、彼は吸血鬼です、と言えば、信じる信じないはともあれ、それらしいね、と同意を得られる程度の体裁は保っている。

吸血鬼のようだと認められる事が、果たして名誉か不名誉かは別として。


だがこの男には、それらの伝承とはだいぶ食い違う点も見られる。

典型的な服装は合格点としても、まずは真昼間から堂々と外を出歩いて、あまつさえ庭木に水やりなどをしている事。

次に、闇を闊歩する恐ろしい不死の怪物と呼ぶには、貧相にすぎるその体格だった。

身長は高く、脚もすらりと長いが、いかんせん男として最低限の見栄えがする筋肉というものに恵まれておらず、しかも、いかにも自分に自信がありませんというように猫背気味で歩くものだから、一層頼りなく見えた。

また顔立ちと顔付きもどうにも陰気で、若干垂れ気味の目は常に疲れていた。

総括すると、吸血鬼でもいいが、黒い服を着て久々に外に出てきた療養中の病人といった方が全体に相応しい。

衣服と同様、髪も先端から根本まで、染め抜いたように黒い。ばさりと伸ばした髪は、そろそろ肩にかかりそうだ。お世辞にも長髪が似合う風貌ではない為、ここまで不健康そうな要素が揃っていると、一周回って別種の迫力が出ていなくもない。


庭園以上に生き物の気配が感じられない屋敷内をトボトボと歩いていた男は、ふと無闇に長い廊下で脚を止めた。ゆらり、と羽織った外套の端がゆらめき、黄金の燭台に立った蝋燭の先端に触れる。

火が灯った。

明かりが出来た事で、壁に埋め込まれた巨大な姿見に映る、男の姿がより鮮明になる。吸血鬼だからといって、鏡に映らないという事もないようだ。姿見の外枠には、これまた本物の黄金による装飾が施されていて、この一枚だけでも相当な額になるだろう。

豪奢な鏡に、人間なら三十歳半ばかという風采の上がらない姿を晒して、暫くじっと自分自身を眺めていた男は。


「あ……髪、そろそろ切った方がいいかな」


結局この日、それが彼がした中で、唯一の有益だったと呼べる行為になった。

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