02.
「すっかり、遅くなっちゃった」
俺の家のリビングを片付け終わったソフィが言った。
さっきの激震で家の中は散らかり放題だったのだが、ソフィが片付けを手伝ってくれたおかげで、なんとか落ち着いた。自分の家は、元から散らかっているので気にしないらしい。
食器類は、半分ほどが割れてしまった。その他家具も、少なからず損傷している。突然のことだったが、今になってやっと、身の回りの惨状に焦点が合ってきた。
「ふぅ」
そう一息ついてソフィが動きを止めたのを確認してから、ソフィの方を振り返った。
実は、さっきからずっと、目を背けていたのである。
なぜなら、ソフィはスカートを穿いているのを忘れているのか、しゃがんだ姿勢で床の汚れを拭き取ったり、高い足場に片足で上ろうとしたり、いろいろと危なっかしくて見ていられなかったからだ。
普段スカートを穿かないソフィは、そんなところに注意が廻らないのだろう。
ソフィは、三人掛けのソファの隅に座ると、俺の方に目を向けてきた。ただ目を向けてくるだけで、何も言ってこない。
「本当に良かったのか」と、その状況に耐えられず、口を開いた。
「何が?」
「そっちの片付けだよ。手伝ってやれたのに」
ソフィの家が元から散らかっているとは言え、一階の仕事場は片付けなければならないだろう。しかも、ライトドライブの定休日は週一日。明日までに何とかしなければならないはずだ。しかしソフィは、
「大丈夫、心配しないで良い」と事もなさげに言うのだ。
なんで、と訊くと、その理由を答えてくれた。
「私の家、ガス灯の目の前にあるからさ、多分今、一階にそのガスが流れ込んでるんじゃないかと思う。そんなところにローソク持っていく気にはならないし。だから良い、気にしないで」
なるほど。確かに、と相づちを打つ。俺は俺で、注意が廻っていない部分があるようだ。
「明日は、学校だよね」
と、思い出したように訊いてきた。
「ん、そうだけど?」
「じゃあさ…」
ソフィは背伸びしながら言った。
「やっぱり、ロープウェイが無いと不便?」
俺は飛行魔法が使えるが、それでもこの島から学校のある島までは高度差があり、非常に疲れる。ロープウェイがあるに越したことはない。
「魔法は疲れるからな。はやく復旧してほしいものだよ」
そう、愚痴をこぼすように言うと、ソフィが予想外のことを言い出した。
「じゃあ明日、お店は休みにして、そっちの修理を手伝うことにする。ニルスも通学しづらいんなら、なおさら」
「良いのか、それは。お客さん、困るんじゃないか?」
「だって、どうせ島の外からのお客さんはロープウェイで来ることが多いから、あれが直らないことにはここに来ないし、お店開けても赤字だよ?」
今回の島の衝突は、経済活動にも影響を与えているようだ。現に、ソフィの自転車店が打撃を受けている。
しかし、ただ「島がぶつかった」という事実があるだけで、そこまで考えられるソフィは凄いな、と思う。俺よりも少し先のことを見ている気がする。だからこそ、売れる発明品を作れるのだろうか。
ソフィは、早く日常を取り戻したがっているのだろう。今、俺たちの住む島には、局地的だが災害が降りかかった。早く復旧しなければ。
朝日が昇る頃。私は今、風車小屋の中にいる。実は、今日の内に調べておきたいことがあるのだけれど、島を出られなければそれが出来ない。魔法が使えないと、本当に不便な世界だ。
多少の島の移動には耐えられるように設計していたはずなのだが、おそらく想定以上の移動があったのだろう。
今日の夜明け前、ふと目が覚めるとニルスの家のソファの上だったことに少し驚いた。昨日、疲れてそのまま寝てしまったらしい。なんとなく恥ずかしいような気分で、ニルスには何も言わずに、一旦自分の家に寄ってきた。風車の修理のために、一応、作業着に着替えてきた。
まだ誰も、外へは出てきていない様子で、辺りはまだ静かだ。風の吹く音だけが聞こえる。根元から折れた風車小屋に、その冷たい風が吹き込む。
私は、ネックウォーマーを鼻までかけた。
「だいぶ、寒くなってきたね…」
と独り言を言ってから、状況確認に入った。
ギアやその他駆動部分は無事らしい。一応、打音その他の方法でチェックをしていく。
「金属パーツは無事、か。でも主柱がこれじゃ…」
風車は、七脚になっている。見張り櫓などは三脚だけれど、それでは強度に問題があった。
そこで、島の中央の森から、特に太く、丈夫な木を選び出し、それを芯に、周りに六本の支柱を立てたわけだ。
その中央の芯が根本から折れた。これでは、十分な強度は得られそうもない。
「また真柱を探さないと」
森にはまだ、木がたくさんある。その中には、まだ真柱に使えるような木だってあるはずだ。
森の木々がざわめき始めた。セイレーン名物の、秋の強風だ。毎年、この風が吹く頃に、飛んでくるものがある。
「フローツリー、か。秋に、なったんだ」
風船のようなものに、木の種がぶら下がっている。この島の森にも、フローツリーは生えていて、大体三週間ほど前に種を飛ばしていた。
年中、同じ方向に吹く風は、秋の頃、強くなる。それを利用しているのだ。
「あ…」
今、頭に何かが降りてきた。この閃き…フローツリー、風船、風。
「そう言う手があったか!」
胸ポケットに入れていたペンを取り出し、そこにあった木片にアイデアをメモしていく。
フローツリーの種が浮くのは、あの風船の中のガスが空気よりも軽いから。それなら、人工的に袋を作ってその中にガスをためれば、同じように浮くはずだ。
自然とは、時にアイディアを与えてくれる存在。そのアイディアをいかに形にするか。それが良い技術者かそうでないかの違いだと、私は思っている。
町を振り返えると、住民による復旧作業が始まろうとしていた。
久し振りに学校まで飛んで行く。教科書などが入った鞄を片手に、学校のある方角へ向けて、思い切り踏み切った。
ちなみに、飛行系魔法には概ね二種類あり、文字通り空を飛ぶ「飛行系」と、最初の踏み切り以外に効果を発揮しない「跳躍系」とがある。俺の魔法は、後者に近い。
思い切り高く飛んだあとは、風をとらえて上手く下りる。そして着地の瞬間、足に魔力を込め、衝撃を受け止める。
一つ地勢の高い、商店街の島。ここから先は、橋で繋がっているため、歩いて登校できる。しかし…
「ハァ、ハァ…」
魔法を使うと、極度に疲れる。一度休憩しなければ、到底歩きとおせない。近くの飲み物屋台のベンチに座って、お茶を頼んだ。まったく、良い商売を見つけたものだ。
最初に渡された一杯を一気飲みして、代わりを頼んだ。
少し遠く、地勢の低い俺たちの島。魔法力による望遠を使うと、風車小屋の近くで町の人と話すソフィの姿が見えた。多少遠くても、ソフィの銀色の髪はよく目立つ。島に銀髪はソフィしかいないし、おそらく、国中を探しても二、三人しか居ないだろう。
ちなみに、望遠の能力は俺固有のもので、使える人間は少ない。
風車小屋の修理は、こちらの島でも行われている。その進捗率は、どうやら向こうよりも早いらしい。出来るだけ、早く復旧してほしいものだ。
そうこうする内、頼んだお茶が運ばれてきた。
俺はそれを一気に飲み干し、お代を払って学校へ歩き出した。
太陽が最も高くなる時刻。休みなく続いていた復旧作業は一時中断し、昼食を取っていた。
修理は、思いのほか早く進んでいる。私の目算には、魔法の存在が含まれていなかったのだ。
風車を、魔法無しで作ろうと思ったら、外郭を囲む作業櫓を組み、材料を運び、それを細かく加工し、と言った作業が必要になる。
しかし、魔法の力はすごい。慣れた大工が一人いれば、折れた木材が復元できたり、太い真柱がほんの数分で立てられたり、とにかく破格の高速建築ができる。
三日はかかると思っていた風車の修理は、半日でけりがついてしまった。
サンドイッチ一切れで昼食を済ませ、測距の準備を手伝うことにした。距離を測らないと、ロープウェイに使うワイヤーが調達できない。
ワイヤーはかなり傷んでしまっているので新調するしかない。唯一、時間がかかりそうなところだ。金属のワイヤーが作れるのは隣島の工房だけだから、その工房次第で、修理の日程は変わってくる。
少なくとも、今日中には無理だろう。調べものは来週以降だ。
小さい頃は、ニルスが私を抱えて飛んでくれたりしたなぁ、と懐かしく思う。あの頃は、兄妹のような関係だったから、何も思わなかった。ただ、今から振り返ってみると、勿体無いことだ。
魔法が使えなくて得をした、唯一の事例だと思う。
もう一度、作業に意識を戻した。
島の衝突から一週間。夕刻、学校から帰ってくると、俺の家のドアをノックしているソフィを見つけた。
「どうした。今日は何かあったのか」
ソフィは振り向くと、「ううん」と首を横に振った。
「明日の昼には、ロープウェイが復旧するっていうのを伝えたかっただけ。どう?この一週間、疲れたんじゃない?」
「そりゃ、もう」
飛行魔法は、数ある魔法の中で、一番体力を消費する。しかも、俺の「跳躍系」は「飛行系」よりも燃費が悪い。小さい頃は、体が軽かったからソフィを抱えても飛べたが、今は無理だ。自重が重くなったため、自分を飛ばすだけで精一杯。
ソフィのおかげで、どれだけ楽をできたのだろう。
「今さらだけどさ」
俺はそう切り出した。ソフィが「何?」と返してくる。
「ありがとうな。この島の人のために、いろいろ考えてくれてさ」
ソフィは、恥ずかしそうに顔を赤くし、目を反らしながら「うん、どういたしまして」と小さな声で言った。感謝されることに慣れていないのだろう。
「じゃあ、今日はこれで」
いつも、俺が帰ろうとする時は引き留め、俺の家には長居するくせに、今日はさっさと帰っていった。珍しいこともあるものだ。
自分の部屋は、参考書や教科書で散らかっている。俺も、人のことは言えないな。十年は同じ家庭で育っているのだから、仕方のないことかもしれないのだが。
適当に参考書を読み、内容を丸暗記する。いつもの勉強法だが、なかなか成績には反映されづらい。学校でも同じことをしているが、なにより授業が大切だ。
ローロクの明かりは暗く、読み書きには向かないので、本を読むのは明るい内に限る。残り一時間ほど、どれだけのページを覚えられるか、自分とに勝負だ。
昨日は、ニルスが心臓に悪いことを言ってくれた。他意は無いとわかっていても、褒めてもらえたのは嬉しい。それを引きずってしまい、夜は、少し眠れなかった。
それはさておき、昼過ぎになってようやく、風車の羽根に帆を張る作業に移った。風上に向けた羽根に、白いキャンパス地の布を広げる。四枚の羽根が揃うと、風車は風を捕まえて回り出した。
反対側の風車でも同じことが行われていて、回転力は増していく。
風車小屋の中では、無数の歯車が力をワイヤーに伝えている。
「よし、いける!」
歯車の噛み合う音で、その声は掻き消された。周りに集まっていた職人の人たちは、再び回り出した風車に拍手を送っていた。
これで隣島に渡れる。私の住む島の書庫では、満足に調べることができなかった。だから、島を渡るしかない。
一度、家に戻って荷物をまとよう。と、二階にあがってため息をついた。二階は、悲惨な状態だ。もとから散らかっている上に、揺れでさらに、落下物などが散乱し、悲惨としか言いようのない状態になっているのだ。
しかし、それは置いておいて、準備に入る。
普段、絶対に使うことのない勉強用のノートとペン、それをいれる鞄。作業服で行く場所では無いので、さすがに着替える。勝負をかける必要は無いので、いつものシャツとズボン。
どこへ行くのかと言うと、ニルスの通っている学校の図書館。一般解放もされているその図書館は、私の行動圏内では一番、資料が揃っているのだ。
島の衝突に関しては、気になることが多い。島のみんなは、目の前の復旧に追われていて、それどころでは無さそうだ。魔法が使えない上、非力な私が手伝える復旧作業は特にないから、少し悪いけれど出かけることにする。
学校へ行くには、島を四つ渡る必要がある。実は、最短ルートを行こうと思えば、三つ渡るだけで済むルートがある。しかしそのルートの島は、治安が悪いので通りたくない。
私は、修復されたばかりのロープウェイに乗り込んだ。
図書館の裏。人目につかない場所だ。今日、登校すると、下駄箱の中に置き手紙が置いてあった。
内容は、
(今日の放課後、図書館裏に来てください)
だけだった。「図書館裏に来い」ならば相手の想像はつくし、そんな手段に訴えられるようなことをした心当たりもある。だが、「来てください」と書くようなやつは、俺の身近には居ない。
仕方がないので、放課後でもすぐには帰らず、図書館裏で待っている最中だ。あたりには運動部の声が響いている。
「あの―」
俺が見ていた反対の方向から、その声が飛んできた。
「ん?あ、もしかして」
「はい。あの手紙、私が書いたんです」
隣の席の女子だ。名前は、確か…
「あの、今日は、こんなところに呼び出してしまってすいません。しかも待たせてしまったみたいで…」
「そんなに長い時間は待っていないから気にしなくて良い。
えっと、名前は?」
「隣の席のシーヴです。今日、呼び出した要件なんですけど…」
「これ、よかったら読んでください」と、一通の封筒を渡された。昨日のソフィのように、顔が赤い。中身を訊こうと思ったが、それを言葉にする前に、どこかへ走り去ってしまった。
「なんなんだ、これ」
封筒の端を契ろうと、指に力を込めた瞬間、後ろから目を塞がれた。反射的に腕を回し、それを振り払おうとするが、その動きを先読みされてしまう。なかなか振り払えない。
軽く飛行魔法を発動させ、人の背丈ほど飛ぶと、ようやくその手は離れた。
「なんだ、ソフィか。おどかすなよ」
「まさか魔法まで使って振り払うなんて、こっちもびっくりした。
でさ、さっきの娘、誰?」
そう、上目遣いで訊いてくる。これをされるとき、いつも思うのだが、こいつの上目遣いは危険だ。隠し事があったとしても、なぜか話す気になってしまう。まるで、正直に話させる魔法を使っているかのようだ。別に今回は、隠すようなことではないのだが。
見ていたのか、と訊くと、まるで当然のことにように「うん。で、誰?」ともう一度質問してくる。
「隣の席のシー…何だったか…」
「シーヴさん。名前くらい覚えてあげないと可哀想だよ。しかも、その封筒に『シーヴ』って書いてある」
本当だ。封筒をよく見ると、細い流麗な字で、「シーヴ」と書かれている。これは気がつかなかった。
「可愛い娘だったね。その封筒、中身は何なの?」
「さぁ、開けないことには」
「じゃあ私、向こう向いてるから、その間に開けて読んで」
一方的にそう言うと、そっぽを向いた。
封筒の端をちぎった。中身の便箋は、丁寧に折り畳まれている。そこに書き付けられている文字は、封筒のものと同じ、流麗なもの。内容は……。
「ねぇ、ニルス。あの娘の告白の文章、上手?」
ソフィはそっぽを向いたまま、そんなことを訊いてきた。
「えっ、お前、内容を見たのか」
「ううん、見てない。けど、人目の無いところに呼び出して、手紙を渡して、それで逃げるっていうのは、結構ベタな方法じゃない?」
確かに、内容は告白。しかも、かなり凝っている。
「ニルスって、結構人気ある方だったり?」
「そんなことはないはずなんだけどなぁ。学校だと必要最低限しか喋らないし、むしろ不良に睨まれてるし」
嘘は言っていない。実際、何度か喧嘩を吹っ掛けられたことがある。その喧嘩を、俺はどういうわけか買ってしまい、どういうわけか勝ってしまった。そのせいで、不良連中に睨まれている。
そんな危ない橋を渡っている俺に、人気が出るわけがない。
「どうする?」
「ん…なぁ、これ、返事は早いほうが良いのか?」
初めての経験で、わからないことが多い。どう断るのが、一番相手を傷つけずに済むのだろう。女子の気持ちなどわかるわけが無いので、ソフィに尋ねた。
「そう言うの、他人に訊くのはよくないよ。自分で考えて」
「そんなもんなのか…難しい問題だな。ところで―」
ソフィの視線が戻って来るのを待ってから、質問した。
「なんでここにいるんだ?」
「ちょっと調べものがあって図書館に来たんだけど、ここの裏にくるニルスが見えて。何があったのか気になって、隠れて見てたの。それだけだから」
「ふうん。もう、用事は済んだのか?」
「うん。ニルスも、もう帰るんでしょ」
そうして、帰宅の途についたわけだが、ソフィと並んで歩いていると、どうも視線が集まってくる。俺の方にではなく、ソフィの方に。
ソフィは、甚だ不快そうだ。
「今日、図書館に来るまで、結構な人が私のこと振り返ってくるし、今だってこんなだし…銀髪碧眼がそんなに珍しい?」
「珍しいだろうよ。そもそも、銀髪自体希少だし、碧眼もそうだから、両方揃っているお前はかなり珍しい」
おそらく、通行人が振り返ったのは銀髪碧眼のせいだけではないだろう。だが、その事を面と向かって言う気にはならない。
しかし、何だ。さっきから、後をつけられているような、そんな視線を感じる。気のせいだろうか。
いつも通り、最短ルートを突破した。途中、ソフィが何かに怯えたように距離を詰めてきたが、あれは何だったのだろう。俺には、不良が少したむろっている程度にしか見えなかったのだが。ロープウェイにつくと、さっきまでの視線は感じられなくなった。やはり、気のせいだったのだろう。
翌日。久しぶりに開けた店に、少し変わった来客があった。
「いらっしゃい」
どこかで見た顔だけれど、思い出せない。
「あの、ソフィさんですか?」
「そうですが、私に何か?」
「少し、お話をお聞きしても、よろしいでしょうか」
「別に構いませんが、何についてですか」
「実は…ニルスさんのことで」
そう言ってきたとき、やっと気づいた。昨日、ニルスに告白の手紙を渡していた、シーヴという娘だ。
「まあ、座って」
と、いつもの接客用の席をすすめ、私自身も、その向かいに座った。私にも、気になることが一つあった。
「もしかして、ニルスはまだ、返事をしていなかったりしますか?」
「はい、まだ何とも」
やはりか、と思った。そんな気はしていたのだ。今日は半休の日だから、学校で返事をしようと思えばできたはず。なのに、ニルスは…。身内のことのように、恥ずかしい。
「ニルスに悪気は無いと思うんですけど、返事が聞けるまでは時間がかかると思います」
「そうですか…あの、今日お伺いしたいのは、その、ソフィさんとニルスさんの間柄のことで…。
私、あの手紙を渡した時、ニルスさんの目が、私を誰かと比べているように感じたんです。悪いとは思ったんですが、私の固有能力で、探ったんです。そうしたら、真っ白な髪と青い目の女の子の姿が見えて…それ以上は、怖くなって見られませんでした」
「シーヴさんの固有能力って、まさか」
「はい。人の心を詠むことです」
人の心を詠む能力。非常に強力な能力だ。しかし、強力ではあるけれど、使い道が思い浮かばない。
一応、シーヴさんの心配ごとだけは取り払ってあげたい。
「私とニルスは、シーヴさんが思ってるような関係ではないので安心してください」
「そうなんですか。てっきり、そう言う間柄だと思い込んでいました。
あの後のことなんですが、私がニルスさんの脳裏で見たままの人が、並んで歩いているのを見て、納得してしまったんです。あの人と比べられたら、私にチャンスなんて無いと。それでも諦めきれなくて、いろいろ調べたら、その人がソフィさんだとわかったんです。
それで、私の悪い癖で、ソフィさんってどんな人なのかな、と思ってしまい…」
私は、落ち着きなく動くシーヴさんの目を見て言った。
「それで、どんな人に見えます?」
「えっ?あ、えっと、ソフィさんは、本当に誠実で、真面目で、明るい人に見えます」
「なるほど、誠実で真面目で明るい、ですか」
私の印象って、そんなに良いものなんだ。少なくとも、そう判断する人はいるということだ。
「シーヴさんは、ニルスのどんなところが好きなんですか?」
「誰とでも、分け隔てなく接するところです。私は、固有能力のせいで人に避けられているんですが、ニルスさんだけは、私の隣の席でも、嫌な顔はしませんし、いじめっこが私の席の周りに集まってきても、『うるさいからどこかへ行ってくれ』って言ってくれるんです。私のためじゃなかったとしても、格好いい、と思ってしまって」
分け隔てなく、か。私が学校に通っていたのは三年前までだけど、学校でのニルスは、誰に対しても冷たかった。今でもそうなのだろう。本人は、本当に「うるさい」としか思っていなくて、多分、シーヴさんのことは、脳内に無い。
「そんなことを言って、ニルスは、学校内で嫌われものになったりしてませんか」
「良く思わない人は、それなりにいるみたいです。私ほどじゃありませんが」
「そうですか…あの、一つお願いしても良いでしょうか」
「私にですか」
「はい。もし、ニルスが一人になったとしても、味方になってあげてほしいんです。シーヴさんにあたるようなことは無いと思いますが、そのときは許してあげてほしいんです。その…」
私は、そこまで言って一旦話を切った。店の入り口に、人影が見えたからだ。
「いらっしゃい」
と声をかけて、営業用の笑顔を向けたのは失策だった。相手は、ニルスだった。
(バカ、なんでこんなタイミングで…!)
心中そんなことを叫んだけれど、何も知らないのだから仕方がない。一番気まずいのはシーヴさんだろう。
「何かあった?」
いつも通りの会話を、なんとか始めようとするが、ニルスの目は節穴ではない。シーヴさんに気づき、口が半開きのまま、硬直している。
「あの、ニルスさん。その…」
「昨日のこと、だよな」
「はい。あの手紙、読んでいただけましたか」
「うん、読んだ。それで…」
このやり取り、私が見ていても良いものなんだろうか。でも、今は営業中だし、かといって口は挟めないし…。
「ごめん、付き合うことはできない。本当にごめん」
意外と早く、ニルスはそう、言い切った。シーヴさんの表情が、何かを失ったときのものに変わった。
「わかりました…。すみません、時間を取らせてしまって。では、私はこれで」
シーヴさんは、私とニルスに一礼すると、すぐに駆け出していった。今のやり取りは、本当に見て良いものだったのだろうか。
「なぁ、ソフィ」
「なに?」
「あれで良かったのかな、断り方」
「私は、悪いとは思わないけど。ニルスがあれで正しいと思うんなら、世間一般として、悪いことはしていないってことじゃないかな」
ニルスは、走っていくシーヴさんを見て、頭をかいた。
「ところでさ、何であいつがここに?」
「私からは何も言わない。言ったって、ニルスは女の子が行動するときの気持ちはわからないでしょう?」
「ん…まあ、それもそうか」
「で、ニルスは何でここに?」
「自転車のハンドルが回らなくなったから直してほしいんだよ」
「じゃあ、その自転車を持ってきて」
珍しく、お客様として来たニルス。本当に、珍しいことばかり起きている。そして、まだ誰にも言っていない、私だけが知る変化も、この瞬間に、起きている。
「これだよ。ここのさ…」
考えごとをする間に、ニルスは自転車を持って戻ってきた。見たところ、ベアリングの不調のようだ。
「他社製品は少々高くつきますが、よろしいですか?」
「なんだ急に敬語なんか…少々高くつくって、どれくらいなんだ」
「三ハル。うちの自転車なら一ハルで済むのだけれど」
「高いな。三倍かよ」
「商売ですから」
「俺は、がめついソフィは見たくないぞ」
「っ!もう…」
そう言うことを言われると、私は弱い。しかも、相手が相手だ。
「わかった。二ハルにまけてあげる」
「どうも」
「ベアリングを交換しておくから、もしまたなにか不具合が出るようなら持ってきて。ちゃんと部品を取り寄せて交換するから」
「わかった。ありがとな」
ふぅ。さっきの自転車、やっぱり構造的に無理がある。あんなフレームじゃあ、ベアリングに負担がかかりすぎる。意見書でも提出したほうが良いだろうか。
そういえば、シーヴさん、大丈夫かな。結構純粋に、ニルスに惚れてた様子だし、引きずったりしないだろうか。しかも、隣の席だなんて、そんな相手となるものじゃない。もとから、親しい仲ではなかったのが救いだろう。
今日は、お客さんが少ない。おかげで、自転車組み立てのノルマを達成できた。たまには、こんな日もあっていい。毎日これだと、儲からないから良くないけれど。
今のうちに、調べた内容をまとめておこう。私の感が正しければ、これから、大変なことが起きる。
日が落ちてから、ソフィが俺のところを訪ねてきた。
「どうした、深刻そうな顔で」
「深刻なことだから、深刻な顔してるの。ちょっとあげてもらって良い?」
ソフィを、俺の部屋まで通した。
「深刻なことって、なんだ、それ」
「私が調べた伝説が正しいとすれば…今夜、二度目の衝突が起きる。場所は、ニルスの学校がある島。規模は大きくなる」
「ちょっとまて、それは仮説だろう?」
「うん、仮説。だから、今夜衝突が起きなければ、私の心配は杞憂になる。でも、もし衝突が起きるようなら、そこから先は、もっと大変なことになる」
「もっと大変なことって、なんだよ」
「聞きたい?」
「吹っ掛けたのはそっちだろう、勿体ぶるなよ」
「それもそうか。これを見て」
ソフィは、資料が山のように挟まったノートを俺に手渡した。
「インディペンデンス伝説?」
表紙にはそう書いてあった。ソフィは頷き、「この前の要塞の話に関係してる」と言った。
中身を読み進める。内容は、何も知らなければ、バカが書いたおとぎ話。しかし、これは違う。
「お前、これ…セイレーンが落ちるって、本当か」
「ニルスがさっき言った通り、まだ仮説の段階。ただ、今夜衝突が起きればそれは…」
「確証に近い仮説、と言うわけか」
そのやり取りをしている間に、外から鐘を乱打する音が聞こえた。とっさに窓を開け、望遠を使う。が、暗いのに加え、地勢上、学校のある島が見えない。
「ニルス、行くの?」
「ああ。俺たちの島のよりも、規模がでかいんなら、怪我人も出るだろう?だったら、助けは多い方が良いにきまってる」
俺は、ソフィを呼んで向こうへ行こうとするが、ソフィは首を振った。
「私、飛べないから、ニルスについていけないよ」
しかし、こいつがいたほうが、いろいろと都合が良い。俺は、ソフィの手を引っ張って、玄関までいき、靴を履かせた。そして、ロープウェイの麓までいくと、小さい頃のように、ソフィを抱えて飛んだ。目一杯力を込めて飛ぶと、ギリギリではあるがなんとか隣島へ着地できた。
「ハァ、ハァ…」
普段、気味が悪くて使わない、回復薬を飲む。たしかに、全身の疲労が吹き飛んだ。
「ソフィ、急ごう」
俺は再び、ソフィの手を引いた。向こうの島からは、悲鳴が聞こえてくる。俺は、自分でも信じられない速さで走った。
そして、学校のある島の直前で、足を止めた。
「橋が…」
ソフィが粒やいた。俺たちの島で、ロープウェイを破壊した衝突は、こちらでは橋を落としてしまったのだ。だが、関係ない。
俺はもう一度、ソフィを抱えて飛んだ。
「被害は?」
回復薬を飲み干した俺に、ソフィが訊いてきた。
「さっき上から見た限りだと、建物の倒壊がざっと五〇件。そんで、衝突地点付近では、地形が変わってる」
「そんな、大きな被害が?」
「お前、予測してただろ。行くぞ」
まず、衝突地点へ向かった。小島が地面にめり込み、周辺の土が隆起している。周辺にあった建物は、横倒しになって崩れていた。
「なぁ、ソフィ。インディペンデンス伝説によると、このあと、どうなるんだ」
「何もしなければ、セイレーンは雲海の下に消えてしまうことになってる。もし、そんなことになったら、一度人間を滅ぼしかけた、魔の者のところに行くことになる。そうなったら、この国の人たちは…」
「止めるには、どうすれば良いんだ?」
「インディペンデンスの他、六つの、地上の要塞を廻って、祈りを捧げる。そうとしか、書いていない」
俺は、この瞬間、覚悟を決めた。
「俺、前にソフィが言ってた旅、手伝うことにするよ。世界を救う旅に」
「え…ほんと?」
「ああ。本当だ」
「ニルス……ありがとう。
でも、今は、救助活動に専念しよう」
「だな」
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