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MESSENGER  作者: サリュート
故郷の変化・旅立ち
1/2

01.

 俺は、島の端に向かって駆けていた。左手には弓を持っている。俺だけではない。島に住む一二歳以上の男はみな、各々武器を持ち出し、それぞれの持ち場に向かって走っている。

 俺は、遠く見える雲の端を凝視した。凝視と言っても、常人のそれとは全く違う。俺は魔法力によって、普通の何倍も、遠くを見渡す事ができた。


「来たぞ!」と周りに向かって叫んだ。

魔物だ。ムカデの足を、羽根に変えたような姿だが、大きさはその比較にはならない。人間の一〇倍、時には一五倍もあるようなものだ。数ヶ月に一度、俺たちの国「セイレーン共和国」に襲来する魔物だ。

 弓を右手に持ちかえ、左手で矢をとった。先端の矢じりは、俺の知り合いが作ったものだ。

 魔物を倒すには、その中央にあるコアを破壊する必要がある。狙うのは、魔物が腹を見せる瞬間だ。


 島の端に立つと、足もすくむ光景に出会う。足元の遥か下に見えるのは雲海。落ちたら最後、生きては帰れない。が、魔物の迎撃に失敗しても、死人が出てしまう。

 弓を引いた。まだ、射つには早い。だが、魔物はこちらから遠ければ遠いほど、真っ直ぐに飛ぶ。


「風向左やや後方、かなり強い風だ…もう少し、少し……今!」


 矢を放った。周囲からは、まだ矢は飛んでいない。いつも、一番最初に矢を射つのは俺だ。

 飛んでいく矢を目で追う。矢は、魔物の右の翼を貫くにとどまった。


「外した」


そう言うと、周りは落胆したようだ。俺の矢は、当たりさえすれば必殺の威力をもつ。もっともこれは、俺の腕ではなく、先端の矢じりのお陰なのだが。


 距離を詰めてくる魔物は、一瞬腹を見せた。そこへ向かって矢を射ったが、またも当たらなかった。当たらなかったと言うよりは、避けられたと言うほうが正しい。今日の魔物は、少しばかり手強い。


「盾を準備しておけ!」


誰かがそう言った。ちょうど、俺の家の近くに住む七〇過ぎのじいさんが、ほか数人と共に、荷車数台に木の盾(地面に置いて使うもの)を満載してやって来ていた。バケツリレーの要領で、盾を配置していく。

 魔物は、またもこちらに腹を向けていた。しかし、それは良くない兆候だった。


「来るぞ!」


あの魔物は、腹側の全面から毒針を飛ばして攻撃してくる。その針が当たると、死にはしないが、死にたいほど痛む。

 俺は食らった経験が無いが、さっき盾を運んで来たじいさんが、俺が小さい頃にそう言っていた。ただし、当たり所によっては、人を殺すに十分な威力となる。

 俺が盾に身を隠したその瞬間、毒針が放たれた音が聞こえた。盾に、ガガガッと命中している音がする。


「大丈夫か!?」


見回すと、逃げ遅れた数人が、毒針を食らってしまった様子である。俺は歯ぎしりした。


「ニルス!」


その時だった。駆けてきたのは、隣の家に住む幼なじみのソフィだ。魔物に目を戻すと、攻撃体勢に入っているのが見えた。


「ソフィ、危ないぞ!奴はまだ腹を向けてる!」

「知ってる、分かってる。ニルス、これ使って!」


ソフィは、手に持っていた箱のようなものを投げ、さっさと屋内に逃げていった。俺は、投げられたものをキャッチした。


「えっと、こいつは…」


盾に身を隠しながらも、渡されたものを分析する。

 どうやら、中央部につき出したものが持ち手で、それについているのは引き金だろう。横から見ただけではただの箱だったが、その底面は六角形。その六角形には、縦穴が六つ開いている。本体は、六角形の中心を軸に回転するようになっていた。穴の中身は、何やら先の尖ったもの。多分、こいつが飛び出すんだろう。

 とにかく、魔物に向けて射ってみる。まだ奴は、街の側には侵入していない。今なら、何の遠慮もなく、何でも射てる。


「これくらいか!」


弓の感覚で、魔物の動きを先読みして射ってみたが、当たらなかった。白い尾を引いて飛んでいったそれは、弓とは比較にならないほど、速かったのだ。だが、一発目で感覚は掴んだ。


「こうか」


六角形を回転させ、次の一撃を準備する。魔物の方も、同じようだ。


「だがこっちの方が早い!」


二発目を射った。先ほどと同じく、白い尾を引いて飛んでいったそれは、見事、コアを破壊した。魔物は、先端部から消滅していった。

 肩を揺さぶられながら「良くやった、良くやった」と誉められるが、あまり耳に入ってこない。「ソフィはまた、凄いものを作った」と言う思いだけであった。




 「ソフィ、いるか?」


ドアの脇についたボタンを押すと、家の中に「カランカラン」と言う音が響いた。さっき渡された六角形の箱を返しにきたのだ。

 足音が近づいてきた。それなりに急いで来ているらしい。ドアが開く。呆れたことに、ソフィは部屋着のままだった。まぁ、今日に始まったことでは無いのだが。


「今日は『ライトドライブ』はお休みだよ」

「そうじゃない、こいつを返しにきたんだよ。ありがとな」

「あ、それね。うん、どういたしまして。使えた?」

「十分使えた。じゃあ、これで帰るよ」


今日はこれで帰るつもりだったが、ソフィは「待って」と言う。


「上がっていかない?面白い物ができたんだけど」


またこのパターンだ。何か作っては、俺にコメントを求めてくる。ただ、これを拒んで帰ると、そのあと何日かソフィに拗ねられてしまうので、断るわけにもいかない。俺は無言で、ドアに手をかけた。


 ソフィは、自転車店「ライトドライブ」を営んで生計を立てており、一階が彼女の工房で、二階が居住スペースになっている。

 両親は、ソフィが産まれた次の年に死んでしまった。両親が死んでからは、しばらくうちで預かっていて、その頃はよく遊んだものだ。

 六年間学校に通ったあと、俺は高等校に進んだが、ソフィは家にあった工具を生かし、自転車店を開店した。


 「これだよ。それっ」


ソフィが、何かを投げた。投げた物体は落ちる、かと思いきや、まるで鳥のように空中を飛んだ。大きな翼と小さな翼の前で、何かが回っている。


「すごいな、これは」


ソフィは誇らしげだ。


「ニルス、何を見せても『すごい』しか言わないよね。そういうのは良くないぞ~」


しばらく空中にとどまっていたそれは、やがて速度を落とし、着地した。


 ソフィは、俺や他の人間とは違い、魔法が使えない。学校ではそれを利用されて、いじめに逢ったこともあったと思う。

 魔法が使えない代わりに、ソフィは科学に長けていた。魔法無しでは不可能とされたものを、科学の力でことごとく可能にしてみせてきたのだ。今回見せられたものも、その一つだ。

 そんなソフィが作った自転車は、他よりも断然性能が良いと評判で、売れ行きも順調。安定した収入を得られている。俺の家族よりも安定しているほどだ。


 一階の工房はきれいに片付いている。仕事場だけは整理整頓を徹底しているのだ。仕事場「だけ」は…。

 二階の居住スペースはと言うと、「足の踏み場もない」という表現がまさにしっくりきてしまうような惨状である。まぁ、入らなければ問題はないのだが、入らされるのが問題なのだ。これまで何度か、見てはいけないものを見てしまった気がする。

 ソフィは、ライトドライブの看板娘兼営業兼技師と、自身を前面に押し出した商売をしている。そんなやつの居住空間があれでは…いや、知られなければ問題はないのか。


「ねえ、ニルス?聞いてる?」


突然、耳元に声をかけられた。


「え?あ、ごめん」

「もう一回、さっきとおんなじこと、言ってあげようか」

「うん、お願い」


しまった。余計なことを考えたばかりに、ソフィの話が右から左へ抜けていってしまったのだ。


「今の機械、私は『飛行機』って呼んでるんだけど、いつかあれの大きいやつに乗って、空を飛んでみたいなって、思ってる」

「へぇ」

「『へぇ』って…何も思わない?」

「いや、まぁ、頑張れとしか思わないけど」


ソフィは落ち込んだ表情を作った。いつも、ソフィの性別を意識することはないが、なぜか落ち込んでいる時だけは、ソフィが女らしく見える。

 いや、世間一般の人間からすれば、ソフィはかなり女らしく、それも良い女に見えているはずだ。こいつの内面を知っている俺の目には、いろいろと補整がかかってしまっているのだろう。


「たまにはさ、『手伝ってやろうか』とか、言ってくれても良いのに」


俺のモノマネをする余裕があるあたり、本気で落ち込んでいるわけでは無さそうだ。


「いや、俺は学校があるし」

「やっぱりそうだよね。私のつまんない趣味に付き合うより、学校で可愛い女の子と喋ってる方が楽しいもんね」

「そんなんじゃねえよ。今はしっかり勉強して、先の人生で後悔しないようにする。それが最優先事項なんだよ」

「ふ~ん。私にはそんなことできないなぁ。やっぱニルスは偉いよ」


実際、俺にとって学校はストレスを受ける場所でしかない。学校は勉強さえできれば良いのに、友人関係など気にしなければならない。


「なぁ、ソフィ」


さっきの話を思い返すと、少し気になることができた。


「お前さ、あの飛行機を完成させて、何がしたいんだ?」


ソフィは、明確な目的をもって物を作る。今回も、何か目的があるはずなのだ。


「ねぇ、ニルス。地上の、不滅の要塞の伝説って知ってる?」


不滅の要塞?


「なんだそりゃ」

「へぇ、知らないんだ。ちょっと待ってて」


ソフィは、二階に駆けていった。あんな散らかりようで、探し物は見つかるのだろうか。


 そんなふうに思ったが、意外にも、ソフィはすぐに帰ってきた。


「これ、お父さんの書斎から見つけたんだ。『不滅の要塞・インディペンデンスの伝説』。昔、教会が発行してた本で、内容は題名の通り。

 これによるとね、昔、人間が地上に暮らしてた頃に、魔の者との戦いの中で、インディペンデンスっていう要塞が作られたらしいの。

 そのインディペンデンス、何万っていう魔の者に囲まれても三年間、持ちこたえたらしいの。人間が空に逃げるまで、なんとか時間を稼げた。

 私ねー」


一旦話を切って、持ってきた本のページをめくった。そして、目当てのページを見つけると、俺に見せてきた。インディペンデンスの上空からの見取り図だった。


「いつか、この『インディペンデンス』を探す旅に出たいの。そのためにね、空を飛ぶ機械がいる」

「ちょっと待て、お前まさか、雲海の下に降りるつもりか」

「うん、そうなるね」

「お前、雲海の下がどうなっているのか知ってるのか」

「おんなじ質問、ニルスにしてあげる。雲海の下がどうなっているか、知ってるの?」

「いいや、知らない」


雲海の下は、恐ろしい世界だと聞いている。あるいは、人間が地上から来たというのは単なる伝説で、もとから空で暮らしており、雲海の下には何も無いと言う人もいる。


「でしょう?私は、誰も知らないからこそ、どうなっているか知りたいし、見てみたいって、そう思う」

「それを知って、何になるんだ。命を危険にさらしてまで、知りたいのか」

「ロマンがあるでしょう?誰も知らない、未開の地なんだよ?」

「ロマンはあるかも知れないけど、そう言うのは男が言うことだろう」

「なに、女の子はロマンを抱いちゃいけない?」

「そうは言わないけどさ」


ソフィには、できる限り危ないことはしてほしくない。今のまま、平穏な暮らしを送っていてほしい。だが、ソフィは案外、頑固な面もある。


「とにかく、今は夢のまた夢だろう?空を飛べないと話にならない」

「うん、分かってる。だから、別に今心配することも無いから、安心して」


いくらソフィでも、空を飛ぶ機械など作れるのだろうか。それが作れないと分かった時は、ソフィも旅を諦めるだろう。


 ソフィはふと、カレンダーに目をとめた。すると、何を思ったか、再び二階へとかけ上がっていった。さっきよりも時間がかかっている。まだ何か、俺に見せたいものがあるのだろうか。


「ねぇ、ニルス!」


二階から大声で話しかけられる。


「何だ?」

「今日の夜、ニルスんちに行っても良い?」

「別にかまわないぞ」

「分かった」


少しして、二階から降りてきたソフィは、外出用のシャツにズボン姿で、小さなバックを持っていた。


「ちょっと出かける用事を思い出したから、行ってくる」


ソフィは、壁に掛けてある鏡を見ながら、銀色の長い髪を結び始めた。後ろで一つにまとめ、左から折り返して固定し、上から右に流す。

 ソフィのトレードマーク的な髪型である。以前は単なる団子だったが、髪が伸びるに従い、余った髪を流すようになり、さらに団子からループに変化していった。


「いちいち結ぶのは面倒じゃないのか」


自分の部屋を片付けるのを面倒がるソフィだ。髪にも同じことを思っているかもしれない。


「そりゃ、面倒だよ」

「だったら、切れば良いじゃん」

「そうもいかないんだよ。いろいろあってさ。

 さ、ここから出て」


ソフィに促され、家を出た。ソフィは、俺に小さく手を振ると、隣島の商店街へ向かっていった。




 「はぁ」

隣島へのロープウェーの中。私は、窓の外を見ながらため息をついた。


 このロープウェーは、風の力で動いている。両岸の島に風車を作って、その力でロープを引っ張っているのだ。ちなみに、考案者は私。飛行魔法が使えないと隣島へ渡れないのは、不便だったから。


 ため息の理由は、今日の夜のこと。今日は、ニルスの誕生日だって、さっきカレンダーを見て気づいた。何かプレゼントを買ってあげたいけれど、何をあげれば喜ぶのか、正直わからない。

 それにしても髪のこと、「切れば良いじゃん」なんて、どこまで私が面倒くさがりだと思っているんだろう。切れるわけない。だってニルス、前に言ってたもん。ロングヘアーが好きだって。

 今日はせめて、ケーキでも焼いて、持って行かないと。先にプレゼントを買って、そのあとはケーキの材料を買う。

 きっとニルスは今、勉強のこと以外は頭に無いだろうから、何か勉強用具を買ってあげようか。

 幸い、私はあんまりお金を使わないから、それなりに高価なものにも手を出せる。


「ソフィちゃん」


反対側の席に座っていたおばさんに声をかけられた。この人の息子さんは、ライトドライブの最初のお客さんだった。


「はい?」

「ソフィちゃん、今日は顔が赤いね。熱でもあるんじゃないかい?」

「い、いえ。そんなことは無いですから、ご心配、なさらずに」

「そう、なら良いのだけど。これからの季節は冷えるから、気をつけるんだよ」


そう小さく笑いながら言うおばさんは、きっと私の顔が赤い理由がわかったんだろう。何か、懐かしいような顔をしている。


 そうこうする内、ゴンドラは隣島に着いた。商店街の端に作られた風車の根元に、乗り場と降り場がある。

 まずは、プレゼントの方を買いに行く。勉強用具って言っても、結構幅があるから、何を買えば良いのか悩ましい。文鎮や下敷き、ノート。いや、無難なところでペンにしておこう。ペンならば、良い物を売っている店のあてがある。

 その店は、商店街の一番向こうにある。私が学校に通っていたころ、その店はまだ私の家と同じ島にあった。休日は、その店を手伝っていて、工作のイロハを教えてもらった。

 人通りの多い表通りを避けて、裏通りを行く。元々、人混みは好きじゃない。

 目当ての店は、今日も営業中だった。


「こんにちは」


久し振りに、ここにきた。最後に来たのは、ちょうど一年前の秋だったと思う。


「いらっしゃい」


店主は、もう六〇を過ぎる熟練工。一本一本、魂を込めて作るペンは、美しく、そして使いやすい。値段が高くても、買い手がつくわけだ。


「ソフィか。久しぶりだな。そっちの店はどうだ、上手くやっているか」

「お久しぶりです。店のほうは、なんとか黒字を出せています」

「そうか、なら良かった。で、今日はどんなペンがいるんだ?」

「えっと…」


差し出されたサンプル品を見て、イメージを決める。


「ペン先は、この一番細いので良いんですけど、握りは太いのが良いです」

「それだと、手の大きさに合わないんじゃないか」

「私が使うんじゃないんです」


そう言うと、引き出しをいくつか開けてその条件に合うものを探し始めた。


「こんな感じか」

「う~ん、太さは良いんですけど、この色は好きじゃないんじゃないかな、と」

「なら、無着色のラッカー仕上げあたりか」

「あ、そんな感じです」


多分ニルスは、できるだけシンプルなものが欲しいんじゃないかと思う。無着色の木目調が、一番合っていると思う。


「お代はいくらですか」

「一二ハルだね」


一二ハル。この町の、平均的な高等校卒業生の初任給の、およそ一割にもなる。私が作った自転車の、ほぼ三分の一の値段だ。


「これ、誰が使うんだ」


ペンを包装しながら、訊いてきた。


「秘密、と言うのはだめでしょうか」

「職人としては、誰がこれを使うのか知りたいものだね」

「ですよね…今日は、ニルスの誕生日なんです。それで、ニルスにこれを」

「そうか。ニルスは最近、かなり頑張っているそうだな」


包装を終えると、しわの入った手で、私にそれを差し出した。


「ありがとうございます」

「ん。またのご来店を」




 一体ソフィは、何をしに行ったのだろうか。カレンダーを見て思い出すこととは一体…。

 ソフィと同じように、カレンダーを見てみる。が、何も思い出せない。きっと、ソフィの個人的なことだろう。だが、普段この島から外に出ないソフィに、個人的な付き合いのある人などいるのだろうか。商店街に何かを買いに行ったのか…


「ん?去年確か、何かを買いに行ったような…」


俺は普段、向こうに買い物に行くことは無い。だから、何か特別な目的があったはずだ。もう一度カレンダーに目を通す。


「あ…!!」


思い出した。今日は、ソフィの誕生日じゃないか。毎年、何かしらのプレゼントを贈っていたが、今年は用意していない。これはマズい。今からでも、何か買ってこよう。

 俺は財布の中身を確認した。


「四ハルか…」


あまり高価なものには手が出せないが、何も贈らないとソフィに悲しい顔をされるかも知れない。

 俺は財布を握りしめて家を飛び出し、ロープウェイ乗り場に駆けた。



 「これで全部かな」


果物も買ったし、足りない卵も買ったし、生クリームも調達した。プレゼントも買ったから、これで全部だ。

 ロープウェイ乗り場でゴンドラを待っていると、反対側の降り場に、ニルスらしき男の子がいるのが見えた。私はあんまり目が良くないから、もしかしたら人違いかも知れない。普段、ニルスが休日にこっちに来ることなんて無いから、多分人違いなんだろう。


 家に帰ると、まずはキッチンの片付けに入った。ケーキ作りには多少気合いを入れなければならないので、足を踏ん張れるように、足元をすっきりさせておきたい。

 この間に、オーブンに火を入れておく。うちのオーブンは温まりが遅いから、できるだけ早めに火を入れる必要がある。

 普段は簡単な料理しかしないから、こんな時にでも手の込んだもの、作ってみたい。ニルスは何て言うんだろう。ケーキがちゃんとできていれば、いつもの「すごいな」が聞けるんだろうか。

 片付けの手は少し速めに動いていた。



 一体何を贈れば喜ぶのだろう。毎年、同じことで悩んでいる。確か去年は、冬物の服をプレゼントしたと思う。クラスメートが、女の子へのプレゼントの定石だと言っていたからだ。しかし、ソフィは着るものにこだわらない。多少外観がダサくても、暖かければ良い、と言うような発想の持ち主である。平日は作業着のつなぎで過ごしているし、休日もあまり出かけないので、それでも良いのだが。

 なによりの足枷は、四ハルという予算の少なさである。これで、ソフィの喜ぶ物が買えるだろうか。


 とりあえず、昔ソフィの師匠だった人に相談してみることにする。今も、商店街の隅でペン職人をしている人だ。


「こんにちは、おじさん」


おじさんは顔を上げると、ニヤリと笑って、俺を迎えてくれた。


「ニルス、久し振りだな。元気か」

「はい、元気でやってます。おじさんも元気そうで良かった」

「どんなペンが欲しい?」

「あ、いえ。今日は、ペンを買いに来たんじゃないんです」


おじさんなら、ソフィが好きなものを知っているかもしれない。そう思って訊いてみた。


「今日、ソフィの誕生日で、何か贈ってやりたいと思うんですが、何を送ったら良いかわからないんですよ」


おじさんは、何か格言を授けるように言った。


「良いかニルス。何を贈ればいいかわからないような相手にはな、気持ちさえ込めれば、何を贈っても良い。そう言うもんだ。特にソフィは、お前からのプレゼントなら何でも、嬉しそうに俺に見せてきたものだぞ」


その話は初めて聞いた。ソフィがそんなことを自慢するとは、まだ俺が知らない一面があったようだ。


「そう言われると、ますます分からなくなってきますね」

「分からないのは俺も同じだ。ニルス、お前の方がソフィに近いだろう。お前の勘を信じろ」

「勘、かぁ」



 いつの間にか日は暮れていた。ケーキは、何が幸いしたのか売り物のような仕上がりだ。あとは、私の準備だけ。

 開け放っていた窓を閉め、服を着替える。いつもの服では、さすがに少し気が引ける。


「うーん、これはちょっと違うかな」


お母さんが残した服から、合う物を探す。何がとは言わないけど、こういう時、もうちょっとあればなぁ、って思う。ぺったんこってわけじゃないけど、中途半端な大きさのせいで、強調して良いのかどうか、どうにも判断しがたい。まだ一五だから、可能性はあるけど。


 私は注意していないと、地味な色ばかり選んでしまう。注意していても、気がつくと紺色のカーディガンを手に取っていたりする。結局直感に任せて選んでしまった。

 髪型にしても、作業をしたり体を動かしたりするわけでもないのに、コンパクトにまとめる必要もない。けれど、他にどんな髪型が私に合っているのか、分からない。

 見られることを普段意識していないせいで、このような時に困ってしまうのだ。

 少し経ってから、部屋の灯りは消さずに、家を出た。



 コンコン、と玄関のドアがノックされた。ソフィだ。ドアの向こうで待っていたソフィの姿は、普段の身なりからすれば意外な物だった。


「ソフィ、それは一体…」

「びっくりした?」


ガス灯と月の明かりに照らされているだけなのでよく見えないが、紺色の膝上丈のスカートに、ふくらはぎが隠れる長さの黒い靴下、白いシャツに明るい紺色のカーディガン。相当、無理をしたと見える。

 手には、何かの箱を持っている。


「ニルス、お誕生日おめでとう。私、ケーキ焼いてきたんだ」

「ありがとう。そっちこそ、誕生日おめでとう。上がってくれ」


中に入るように促した。玄関に靴が少ないのを見て、ソフィは訊いてきた。


「今日は、お母さんとお父さんは居ないの?」

「何か、中央区に用事があるってさ。今日は帰ってこない」

「ふーん」


 ソフィをリビングルームに通す。一応、母さんが夕飯を二人分作っておいてくれた。ソフィはケーキの箱を机の上に置いた。


「これは後であけよう。ニルス、改めてお誕生日おめでとう。これ、私からのプレゼント」


小さな紙袋を渡される。開けて良いか確認すると、嬉しそうに首を縦に振った。

 中身を見て驚いた。これは、今日訪れたペンの店で売っているものだ。軽く、一〇ハルはする。そして、店のおじさんがニヤけていた理由を悟った。俺からのプレゼントが、恥ずかしくなってきた。


「じゃあ、夕食、食べようか」とソフィが言ってきたが、さすがに渡さないわけにも行かず

「ちょっと待て」と止めた。

「ソフィ、誕生日おめでとう」


俺のほうも、紙袋を渡した。


「何かの本?」

「開けてくれ」

「うん。

 …えっと、『東方彼方、天空の城』。これは、冒険モノ?」

「昔、長距離飛行をした飛行魔法使いがいて、その人が書いたんだ。だから…」

「実話ってこと?」

「そう言うことだ」


いつか旅に出たいと思っているソフィはきっと、こんな本が好きだろうと思って買ってきた。誕生日の贈り物に本とは、あの時の俺は何を考えていたのだろう。しかし、それでも嬉しそうにするソフィを見ると、あながち間違った選択だったとも思わない。


「ニルス、ありがとう。じゃあ、こんどこそ食べようか」




 心がときめくのをどうにもできない。ニルスの家に、今は二人きり。それだけでも、私には最高のプレゼントだ。そして、ニルスのお母さんが作った料理は、どれも美味しい。今日は私たちの誕生日だからと、腕によりをかけて作ってくれたそうだ。

 外面上、平静を装っているけれど、そのせいで細かなことに気がまわらない。髪が垂れてスープについてしまったり、それを拭き取る手で危うく、飲み物の入ったグラスを倒しそうになったり。誕生日っていうイベントのせいで、ニルスのことをいつも以上に意識してしまうのが問題。いつから、ニルスを見る目が変わってしまったのだろうか。単なる幼なじみだったはずなのに。

 けれど、ニルスと話をするのは、無条件に楽しい。話の内容はあんまり合わないけれど、それでもだ。いつか…いや、そんなことは考えないでおこう。きっとニルスは、私をそんなふうには見ていない。


 誕生日を祝い合える人がいるだけでも幸せなものだ。私の両親はもう、この世にはいないから、私の誕生日を祝ってくれるのはニルスと、その両親だけ。

 学校は私にとって、居心地の良い場所ではなかった。友達なんてできなかったし、魔法科の授業なんてなにもできないから、いつも見学。周りの子が、お互いの記念日を祝いあっているのが、羨ましいと思った。


「そろそろ、ケーキ、食べようか」


私はそう言って、箱を開けた。チョコプレートの文字が下手なのは許してほしい。同じ箱に入れてあった一五本のローソクを、一本ずつ立てて、火を灯していく。


「なあ、ソフィ」

「何かあった?」

「このプレートの文字、『たんじょうび』が『だんじうび』になってる」

「えっ、嘘。私、そんなこと書いた?」


チョコプレートを見直すと、確かに「たんじうび」と書いてあった。肝心なところで私はなっていない。


「ごめん、気づかなかった」

「気にしないで良い。大事なのは本体の味だろ」

「うん…そうだね。じゃあ、ローソク吹き消して」

「俺が八本消すからさ、ソフィは七本消してくれ」

ちょうど半分に分けられない本数なのが少し残念。

「じゃ、せえの」


ふー、と息を吹き掛けた。一気に炎が揺らぎ、光が消える。かと思いきや、真ん中の一本の炎が消えず、残ってしまっていた。何か、嫌な予感がする。今年は何か波乱がある、と言うことか。


 その波乱は、予感とほぼ同時に訪れた。


「何、この音」


最初に、風切り音が聞こえた。ニルスには、まだ聞こえていないと思う。私は耳が良いから、少しの音でも感じ取れる。

 ニルスが席を立って、窓から外を見ている。満月が中天に煌々と輝いている。私もニルスの隣に立って、外を見渡した。風切り音の方向に目を向ける。


「ニルス、あれ!」と、見つけた物を指さした。

小島の一つが、私達の島に向かってきていた。私たちの町・国は、大小数百の島が集まってできている。その中には、今向かってきているような、人の住んでいない小さな島もある。


「まずい、ぶつかるぞ」


そう言うニルスは、慌てて外へ駆け出していった。私も後を追うけれど、スカートだと上手く走れない。ニルスが向かったのは、風車の脇にある見張り用の櫓だ。そこには、住民に危険を知らせる鐘がある。私はとっさに、以前作ったボウガンを手に取った。


「ニルス、できるだけ急いで!」

「分かった。お前は何を?」

「考えはある。とにかく行って!」

「ああ」


私はボウガン照準器を取り付けた。ニルスは足が速いほうだけど、櫓をかけ上がるまでに、あの島はぶつかってしまう。私は、照準器の中心に、櫓の鐘を捉えた。夜は風が凪いでいる。邪魔をするものは無い。

 三本の矢を同時に射った。矢は風を切り、櫓の鐘を三回、鳴らした。三回の鐘は、最も危険な状態を示す警報だ。町の人が何事かと、窓を開けている。そして、接近する小島を見ると、慌てて家の中へ戻って行く。


「もう、ぶつかる…」


私の脳内で、二つのカウントダウンが始まった。一つは、島がぶつかるまでのカウント。もう一つは、その衝突による揺れが島全域に伝わるまでのカウント。

(三、二、一)

島が衝突した。音が先に伝わってくる。岩と岩がぶつかり、砕ける音だ。


「次が来る」と、身構えた。

揺れは、私の体を突き上げ、宙に浮かせるほどだった。揺れの中、ニルスは鐘を乱打した。周辺の島にも、知らせるためだ。この島は、人が住んでいる中で最も低く、小さい。このような事が起きても、なかなか気づいてもらえない事がある。

 揺れは、一瞬の山を越えると、直ぐに収まった。ただしその揺れは、ガス灯を根元から折り、建物に被害を与えるに充分なものだった。


 衝突地点に向かって、自転車で急行した。道には、落ちてきた看板や、折れた街灯が散乱している。その隙間を縫って、出来る限り飛ばした。ニルスも櫓から下りて、同じ地点を目指していた。衝突地点周辺の住民がすでに大勢集まっている。島は、最悪のぶつかり方をしたようだ。


「こいつはひでぇや」


走ってきたニルスが言った。上空からぶつかったそれは、地面を引っ掻くようにして、その道筋の物を引き潰し、止まった。


 島の衝突は、一切無かったわけでは無い。ただ、発生するのは稀だ。それも、今回のように激しくぶつかった例は、これまでに無い。少しずつ接近し、やがて一つの島になる、と言う穏やかなものだ。


 ともかく、衝突の一次災害は過ぎた。次にくる二次災害と、その後の復旧に備えなければならない。


「皆さん、火災に気をつけてください!ガス灯の管理者はおられますか。すぐにガスの供給を止めてください」


ニルスが言うと、住民たちは動き始めた。街の建物は基本的に石造りだけど、今は折れたガス灯から漏れた可燃性ガスが周辺に漂っている。一本間違えば、爆発もあり得る。


 それに、今の衝突の影響は島全域に及んでいる。風車が、引きちぎられたように折れてしまった。衝突の衝撃で、少し島の高度が下がったのだろう。ゴンドラを吊っていたワイヤーに引っ張られた風車が折れたのだ。

 ほんと、生まれてから最悪の誕生日プレゼントだ。神様は、私たちの誕生日だと知って、この日に衝突を起こしたんだろうか。

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