0006⇒Fラン大学生有川の小説を書く理由(居酒屋)
「……っていうことがあったんだけど」
有川はつらつらと、コンビニの一件を愚痴った。あのあと、なんとか一人で乗り切ったのだが、かなり忙しかった。どうして、ちゃんと引き止めなかったのか、店長には怒られるし、散々だった。まるで有川が全て悪いみたいな言い方も気に喰わなかった。
そんなことを、要所だけ。
もちろん、全てまるっと、どこまでも話したわけではない。そんなことになったら、もう、今日一夜だけでは済まない。もっと感情論的な。自分中心に脚色した物語を話したくなってしまっていただろう。一夜どころか、朝までかかってしまう。男と朝ちゅんとか、そんな悲しいことはごめんだ。
「……『っていうことがあった』ね……。まあ、普通にドン引きです」
狩沢は五杯目になる焼酎をぐいっと喉に押し込む。飲んでないとやってられない。めんどくさい奴のどうでもいい話を聴いていられないといった様子だった。
「ああ、そうだろ。後輩のやったことだろ? ほんとに迷惑だったし、ありえないよいな。ああいうのがいるから、バイトも大変なんだよ。ただでさえ人員不足だっていうのに。これでまた新しいアルバイト募集するまで、負担がかかるだろ。憂鬱だよ。どうしてすぐにやめるのかな」
「そのアルバイトじゃなくて、お前だよ。有川。ドン引きなのは」
「えっ? なんで? なにか悪いことした?」
「なにか悪いことをしたんじゃなくて、悪いことしかしてないんだよ、お前は。その子はお前を頼ってくれたんだろ? だったら、その想いに応えてやれよ。その女の子がどんな気持ちでお前に喋ったと思うんだよ。思いやるってことをお前は知らないのか?」
「知らないのはあっちの方だ。思いやって欲しいなら、そんなくだらないことを相談された俺のことを先に思いやって欲しかったな。俺だってちゃんと考えて解決策を授けたんだけど?」
「そうじゃない。お前の解決策なんて求めてないんだ。ただ聴いて欲しかったんだよ。それをしっかり聴いてあげることで、その女の子も嬉しかったはずなんだよ。多少面倒でもね、ちょっとお前が我慢するだけで全てがいい方向に進んでいたんだよ。どうしてもっとお前は我慢しないんだ」
「…………」
我慢ならしている。今も、反論したいことを、言いたいことを我慢している。でも、いつだって封殺されてしまう。どれだけ自分にとって正しいことを口にしたって、認めてもらえない。
きっと誰にも分からないだろうけれど。
こうやって、ずっと否定され、否定され、否定される。
そんなことを繰り返されると、生きている意味が分からなくなる。否定され続けられるってことは、自分の存在を否定されているような気分になって。まるで死んでいるように感じてしまうものだから。
「それじゃあ、狩沢はどうなんだ?」
「どうなんだって?」
「狩沢は我慢しているのか? いや、していないだろ? 今、こうやって我慢せずに俺のことは、きもちよーく、批判しただろ? お前は間違っているって声高々に! そうやって自分は我慢していないのに、他人には強要するんだな。お前の、お前だけの正しさってやつを」
「はあ? 何言ってんのお前?」
その、はあ? には物凄く重圧をかけていて、まるで脅し。今すぐに訂正を入れなければ、俺はどうなるか分からないぞ、と言ってくる。ここで、ごめんなさい! 言い過ぎました! と謝れば全部うまくいく。丸く収まる。
そう。
図星を突かれて、咄嗟に何の反撃もできなかった時に。頭の回転がおいつかなかった時に、こうやっていつも狩沢は睨み付ける。
それは、確かに怖い。
まるで、蛇に睨まれた蛙みたいに有川は脂汗をかく。
だから、
「わるい、言い過ぎた」
謝る。
悪くないと思っていても、謝るしかない。怖いからだ。相手が友達だからといって、関係が対等であるとは限らない。
「…………ふん」
分かればいいんだよ、分かればとでもいいたげな狩沢。そんな不遜な態度をとらせつづけている原因は、有川になる。全て、自分のせいだ。だけど、だからといってなんになる。
お前は間違っている、と殴りかかればいいのか。
そうやって発散させた先に待っているのは破滅しかない。暴力事件をおこせば、刑務所のなかにいれられる。そうじゃなくても、大学に通えなくなるかもしれない。
だけど、人生を投げ出したいと思えるほどに胃がむかついている。
だって、こんなにも我慢しているのだ。
それでも、発散させるだけ有川や、陽子は凄い。
だって、自分勝手に振る舞っていけるのだから。そうやって今まで生き残れてきて、社会的に死んでいない。どうしてなのか。有川は考え過ぎなのだろうか。ほんとうはもっと、自分は発散してもいいのだろうか。
言葉の暴力に屈して、こちらも自衛的な暴力の報復をしてもいいのだろうか。
でも、そんな勇気を持っていない。
誰かを傷つけたくない。なにより、誰かを傷つけたのをみて、自分が傷つくのが怖いのだ。
なにもしたくない。
なにも期待したくない。
陽子と有川は正直に似ているような気がした。要領よく生きていけないところや、こうやって他人を罵っているような、そんな人間クズの本性のところが類似していた。
あれだけ嫌悪していたのは、同族嫌悪というやつだったのだろうか。
違いがあるとすれば、それはきっと『期待』していたということだ。
他人のことを期待している。
だから、発散することができる。
他人に何かを発することができる。
それは、有川にとって無理なことなのだ。
自分はこういう人間で、だから他人に分かってもらえるように人生相談する。そんな発想は思い浮かばない。有川は狩沢にこうやって話したのは別に期待したからではない。
こうして反発してくるのは、友達だから分かっていたことだった。
それでも話をしたのは、たしかに期待したからだ。でも、今。踏みとどまってしまった。気圧されて、ほんとうに言いたかったことは呑み込んでしまった。自分の正しさを、否定してしまった。
だから、きっと、期待なんてしていない。
どうせ、誰にも有川という人間の人間性は理解できないのだ。
だって、自分自身にさえ分からないのだから。
ああ、そっか。
だからか。
だから、有川は小説を書くのだろう。
答えはでた。
まるで意味のないことだと思っていた。この飲み会は始まってからずっと息苦しくて、どうしようもなく逃げだしたかった。自分から企画したというのに、どうでもよくなっていた。
でも、意味はあった。こうやって話していくうちに、どんどん自分の心の中の不明瞭なところが明らかになっていった。
誰にも理解されない。
だから、小説に書くのだ。
今のこの気持ちを、文章にし続ける。そうすれば、口下手で勇気のない自分にも誰かに何かを伝えらえるかもしれない。何かが変わって、何かを変えられるかもしれない。
そう。
自分自身を理解できることが、いつかできるかもしれない。
悩みを。
葛藤を。
苦しみを。
憎しみを。
辛さも。
そうして、できることなら幸せなんかを小説で書くことができれば、きっとそれは幸せなことなのかもしれない。
「金、これで足りるよな」
「お、おい! 有川?」
適当に財布をひっくりかえして、札とか小銭をばらまく。
もう、ここには用はない。
走る。走る。走る。
独りになりたい。
独りになって今のこの心の動きをあますことなく書きたい。書き続けたい。
だって、やっぱり自分は小説が好きなのだから。