0005⇒コンビニ店員有川の憂鬱(コンビニ)
「いきなり下ネタ投下とか……とんだビッチだな」
「……は? いや、そういうことじゃなくて、寝かせてくれないってのは、あれですよ。殴られるんです。……彼氏に」
「…………」
殴られる。それはそれでどうだなんだろう。良かった良かった。下ネタ的な意味合いじゃなくて、本当に良かった。殴られてしまうだけなんだもの、と胸を撫で下ろせばいいのだろうか。
「あっ、べつにボコボコ殴られるわけじゃないです。機嫌悪い時に、二、三発もらうだけです」
そこまで詳しく聴いてはいない。こちらが沈黙を保っているのは、うー、わくわくわくする! もっと! もっと話を聴かせてくれいっ! ……なんて話を催促しているわけではない。むしろ逆で。お前の話になんか興味ないって意味だ。遠回しに。このトライは何度目か分からないが、とにかく話したくありませんというシャットダウン。
それなのにここまで話を聴いて! アピールはなんだろうか。そんな踏み込んだ話をするほどの仲ではないはずだ。これからもっと仲良くなりましょう! そういうことなのか。あれか。惚れているのか。だから彼氏の話をして、こっちの嫉妬心を煽っているのだろうか。うえっ。冗談じゃない。想像しただけで吐きそうになってきた。
「寝かせてくれないってことは、夜中に殴られるの?」
「そうなんですよ。私の彼氏夜勤なんで。大体深夜に帰ってきて殴られるんですよ」
まあ、そいつの気持ちも分かるよ。殴りたくなるって。そんなイジイジしていて、私は何も悪くありません。だから私は被害者なんですぅ、みたいな態度していたら。一方的に悪役扱いされて、自分の好き放題言われたら、そりゃあ殴りたくもなるだろうよ。
いきなり彼氏に殴られている。きっと日常的に殴られているのだろうけど。そんなものをカミングアウトするような奴は他人の気持ちなんて分かっていない。他人の心の踏込み方を分かっていない。分かっていないのなら、踏み込まなければいいのに。ずっと孤独でいればいいのに、こういうのに限って絡まれる。
昔のあだ名がメンヘラホイホイだったことを思い出す。中学の時に呼ばれていて、それを高校の友達にも知られて、六年間ほどずっとからかわれていた。なんだ、その粘着力のあるようなあだ名は。
だが粘着力のあるのは有川ではない。むしろ周りの連中。何故か粘着のある女性によくからまれる。果てはスカートまがいのような女性にまで付き纏われることだってあるのだ。
なんだろうな。絡みやすいのだろうか。
友達がいない……わけではない、と思う。友達が少ない自分にはきっと話しやすいのだろう。噂話などあまりしない。話せるような人がいないから。そういうのもあって、面倒な方が絡んでくるのではないだろうか。
「……なんで殴られてるの?」
「特に理由なんてないと思うんですよ。皿洗いしてなかったり、洗濯物していなかったりしただけで怒るんです」
なんかよく分からないけど、もしかして……同棲しているのか。ふんふん。なるほどなるほど。高校を卒業していれば、特別珍しいことでもない。
だが、高校生までに家事をしていないなら、結構面倒だ。
同年代の女の子に、洗濯物をしたことがない。米のとぎ方が分からないと告白されたことがあるが、その時は度胆を抜かれた。漫画とかラノベの中だけの存在だと思っていたら、本当にいるのだと驚いた。毎日やっているうちに、コツというか、やり方が分かれば結構楽しいと思えたりするんだが。
「私だって忙しいんです。頑張ってるんです。それなのにひどくないですか?」
「うん、ひどいね。こんなに陽子さんは頑張っているのに」
「そうですよね!」
お前は仕事やってねぇよな!? って皮肉なんだが、やっぱり通じねぇ……。家でどんだけ頑張ってるかは知らないけど、仕事はもっと頑張れって話。プライベートがどれだけ大変だとしても、それは言い訳にはならない。仕事は仕事。誰だってプライベートは大変だろ。
「ああ、やっぱり有川さんに話してみてよかった……。誰も……誰も私の気持ちなんてわかってないんです。親だって、彼氏だって……。私、分かって欲しいんです。私っていう存在を……認めて欲しいんです」
「えっ、じゃあ、どうする? とりあえず、今考えていることを箇条書きにしてみる?」
「……はい?」
「いや、だから認めて欲しいんだよね。だったらまずは自己PRでしょ。面接の練習とかしたよね。その時に言われなかった? 面接っていうのは自分を売り込むためのセールスみたいなものだって。自分という商品がいかに素晴らしいものかを演説するものだって。だったら、ちょうどいいんじゃないの? 自分のことを認めて欲しいんだよね? だったらまずは自分を知らないと」
ロジックツリーというのか。紙の中心に「悩み!」とか書いて、そこからどんどん連想されるものを派生させていく。そうして徐々に答えを明らかにするというやり方。高校の時に授業で習ったものだが、これが意外に役立つ。
ラノベでアイディアが思い浮かばない。自分の書きたいものが分からないとかなった時にこれをやると、とっかかりぐらいは見つけることができる。……と、真面目に相談に乗っているのに、あちらさんは浮かない顔をしている。
「自分が商品って! どうしてそんな人のことを物扱いするんですか?」
あっれぇ? 論理が飛躍しすぎたかな。全然怒るところが違うと思うんだけど。結構丁寧に教えたつもりだったんだけど、そんなにわかりにくかったかな。
あれか! 解決策を模索していたのではなく、ただ単純に話を聴いて欲しかっただけ。同意して、同情して欲しかった。共感してもらいたかっただけか。ははーん。なるほどねぇ。それはそれは。……うーん、だったらなんで相談する相手をもっと考えなかったのかなあ。
自分の考えに自信がないからといって、他人に答えをゆだねる。
それは、ただの逃げだ。
そういう奴に限って、答えが間違っていた時に、他人のせいにする。自分の考えを遠回しにおしつけている癖に、お前が何の考えもなしに同意したから! とか意味不明な責任転嫁をしてくるのだ。
自分の考えを否定して欲しくなかったら。何も考えたくなかったら。事態を解決するつもりがなく、ただ他人に愚痴をこぼしたかったら、地蔵にでもすればいい。それか、何の責任感もなく、うん、そうそう、私わっーかる! とか、言っちゃえる友達に相談すればいいのに。
あっ、そういう友達がいないから、しぶしぶ、しかたなく有川に相談しているのか。あー、なるほどなるほど。ちょっと納得してしまった。
「……あー、そっか。陽子さんってそういう人か。私は頑張りません。自分からは何も行動はしません。だけどそんな私のことを頑張ってますって褒めてくださいって人か。あー、うん、別にそれでもいいと思うよ。でもさ、だったら順序立てた方がいいよ」
ほんとうに頑張るってことは、結果を出すことじゃあなに。結果が出ない時でも思考を止めずに頑張り続けること。
それを頑張るって言うんだよ! それができないんだったら、私は頑張ってますなんて言うなよ。聴いている方が恥ずかしいんだよなあ。
過程よりも結果の方が大事だっていうやつはいるけれど、それは過程を頑張れないやつの戯言だ。
結果を出すことは誰にでもできる。
けれど、過程を頑張れる奴はほとんどいない。
少なくとも、有川は本当の意味で努力ができるような人間ではない。
「陽子さんってさ、話してみると分かるけど、他人の批判をするときだけ威勢がいいよね。陰口叩いている時だけ元気がいいよね。そして、他人のことは滅多に褒めない。そういう人のことをさ、誰が褒めたいって思うかな?」
だって人間だからさ、こっちも。そりゃあ、普段愛想振りまく人の方を褒めるよ。いつも辛気臭い顔している奴のことは邪見にするよ。なんたって、サービス業だし。笑顔大切だし、コンビニは。
うーん。そーだなー。
例えば! ものすげー可愛くて愛嬌ある女の子が、これ重いー! とか荷物整理の時に言ったら、そりゃあ、持っちゃうよ! あ、も、も、持ちます、とかモテない奴特有のどもり具合で持っちゃう。
それを、うわっ、ひいきだわー。騙されてる! あの女は、女の前じゃ、普通に荷物持ってるし、蟹股だし、あなたの悪口めちゃくちゃ言ってたよ! きもっ! とかふつうに一人ごちてた! とかおっしゃる方もいらっしゃるだろう。
うーん。でもさあ、それって努力じゃん? 女の人が化粧するのと同じように、周りにとけこむために……もっといい感じに、らく~に、人生送れるための処世術なわけじゃん? それをどうして否定するの? って話。
じゃあさ、じゃあさ。
休憩中に男の人がお疲れ様! とかイケメンがコーヒー奢ってくれたり、すごいその服センスあるよね、とか褒められたら嬉しくないのかな。それを有川が、あいつは女の前と男の前じゃ全然態度が違う! あいつはずっと俺に仕事をおしつけてる糞野郎だ! とか言ったら、うわっ、もてないやつのひがみだ! とか思っちゃわない? 私は優しくされている。特別なんだって、思い込みしちゃわない? 少なくとも有川はそういう男性を尊敬する。ある意味ね。愛嬌ある女性もだ。
だって、有川には一生できないことだ。
そこまで頑張れない。化けの皮を顔面パックすることはできない。だって、辛いもん。そんなことできないもん。それができるってことは努力家なんだ。それを、頑張らない奴が否定しているのを見ると腹が立つ。
「……ひどいです」
目尻に若干涙が溜まっている。
うわっ、めんどくせ。泣けばいいと思ってるだろ、こいつ。
「暴力です。これは暴力です! 身体の暴力じゃなくて、心を抉るような暴力です! 心の傷は一生癒えないかもしれないんですよ! いったいどんな責任をとってくれるんですか?」
「仕事中に心底興味ない話をされて、今手を止めてる。それで時間内に仕事終わらなかったら、サービス残業だよね? 知ってる? 陽子さんって仕事残っててもさっさと帰るよね? そのあと、俺があなたの分まで仕事しているって、知ってた? それについては、どんな責任をとってくれるの?」
いやいやいや。残ってもお給料なんてつかないからね。ブラック企業とかじゃなくて、きっとどこでもそうなんじゃないの。だって、仕事が終わらなかったのは、ぶっちゃけ怠慢だし。カメラにも証拠残ってるから、なんの反論もできないのだ。
「知らないです! 私は悪くなんてないです!」
金切声をあげて、とっとととんずらしちゃう陽子さん。あー、制止した方がいいのか? と中途半端に手を上げるが、声は出ない。
「あー、核心突かれて逃げたな」
姿が見えなくなる。もしかしたら追いかけてきてくれるかも!? と、物陰に潜んでいるかもしれないが、そんな気力はない。制服着たままだからどうするんだろう。気まずいからクリーニング屋で綺麗にしてもらった後、郵送してくるもしれない。
「どうっすかなー」
いつも一人で仕事しているようなものだから、どうってことはないが。やはり、ここは店長に報告した方がいいだろう。ほうれんそうは大事だと思うのだ。もしかしたら、店長にヘルプ入ってもらえるかもしれないし。でも、確実にどうしてもっと早くとめてくれなかったの? とか怒られるだろうなー。憂鬱だ。はあ。とりあえず、電話、電話っと。