第四話 魔王の卵
「僕が……魔王の卵……!?」
「はい。あくまで可能性、ですがね」
「でもっ、僕は魔王の卵を倒すために旅をしていて……」
「あの人、そんなところまでやっていたのか……。失礼、こちらの話です」
「とにかく落ち着いて」と、シュトライトは旅人を諭す。
「ほら、ミルクでも飲んでください」
「は、はい……」
ふうふうと、何度か息を吹きかけてから、旅人はマグカップのミルクを飲む。
まだ少し熱かったが、そんなことは気にしない。何口か飲むと、少しだけ落ち着いてきた。
「落ち着きましたか?」
「はい……。ありがとうございます」
「誤解しないでくださいよ?私はあくまで可能性を述べただけで、なにも貴方を殺そうなどというわけではありません。むしろその逆です」
「逆……?」
「私は貴方にお使えしたいと考えています」
シュトライトの表情は、至って真剣なもので、嘘やからかいを含んでいるとは考えにくい。
とりあえず、旅人は彼の話を最後まで聞くことにした。
「私は貴方様の持つ力に感激しているのです。あわよくば、貴方のお手伝いをしたい」
「そのお手伝いというのは、僕個人の目的を?それとも……」
「もちろん……」
再び、シュトライトの口元が歪む。
「魔王の卵としての目的を……ですよ」
「……」
旅人は眉根を寄せる。
たとえ彼が魔王の卵でないとしても、同じ思想を持つならば、その脅威は変わらない。
彼は、この世界を壊そうとしているのだ。
「生憎、僕はこの世界を壊そうだなんて考えていないし、むしろ魔王の卵を憎く思っている。……あなたの期待に応えることは出来ない」
「そうですか……。残念です。貴方とはうまくやっていけそうだと思ったのですが、仕方がありませんね」
シュトライトは残念そうに微笑んでみせた。
「気にしないでください。やはり、世界を壊すなんて、そう簡単にはいきませんよね……。でも、これだけは覚えていてください」
「?」
「貴方は、世界を滅ぼすことは悪いことだと思っているでしょうが、彼らだって意味もなくそうしたいわけではありません。彼らはより良い世界を創るために、今の世界を滅ぼすのです」
正直、シュトライトの言っていることが旅人にはよく分からなかった。
そんな旅人の様子を見て、シュトライトは「分かりませんよね」と苦笑いを浮かべた。
「気にしないでください。今日私が言いたかったのは以上です。冷えてきましたし、もう寝ましょうか」
シュトライトはグラスに残ったワインを飲み干し、席を立つ。旅人も一緒に席を立った。
部屋の出口まで付いて行くと、シュトライトが扉を開けて見送ってくれた。
「温かくして寝てくださいね」
「は、はい。お休みなさい」
「お休みなさい。……そうそう」
「?」
「明日は出張で王都に行くので、なにかあったら使用人に言ってください」
「分かりました……」
シュトライトが笑顔で手を振りながら、ゆっくりと扉を閉めていく。旅人も笑顔を作り、手を振り返した。
「っはあ……」
がちゃりと扉が閉まった途端、緊張から解放されたせいか、旅人は崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
「僕が……魔王の卵……」
あくまで可能性があるというだけでも、旅人はそのことを考えずにはいられなかった。
旅人は今まで、魔王の卵を倒すために旅をしてきた。
その魔王の卵が、もし自分だったら?
自分が世界の破滅をもらたすのか?
「……いや、考えるのはやめよう」
旅人が魔物の卵を倒そうとしているのは、いわば敵討ちだ。
彼があの町を襲ったわけではない。
そして旅人は、世界の破滅なんて望んでなどいない。それで十分じゃないか。
そう、旅人は心に言い聞かせた。
「……よし」
旅人は立ち上がり、ディアのいる部屋へと歩き始める。
彼の歩みに迷いはない。
旅人が部屋に帰ってきたときには、夜はだいぶ更けていた。
それなのに、ディアはまだ眠ってはいなかった。
「あれ、まだ起きてたの」
「ああ。オレはともかく、お前がシュトライトさんに呼び出されるなんて、なんだか裏がある気がしてな」
ディアは、いつでも冷静にものを考えることができる少年だった。
そうでないと、シュトライトの屋敷の三倍もあるディアの家からは抜け出せなかっただろう。
「で、実際どうだったんだ?」
旅人は魔王の卵については言うべきか迷ったが、すべてをちゃんと話した。
魔王の卵である女性を探しているディアにも、少なからず関係のあることだと判断したからだ。
「お前が魔王の卵、か……」
ディアは途中まで真摯にに旅人の話を聞いていたが、さすがにそれを聞いてからは考え込んでいるようだった。
「なあ」
「う、うん。なに?」
旅人は、少し怯えた調子で返事をした。
ディアの判断によっては、最悪殺されてしまうかもしれないと考えていたからだ。
「お前、魔法が使えたりしないか?」
そんなこと出来るわけがない、と言うかのように、旅人は勢いよく首を横に振る。
「だよなぁ」とディアは半ば安心するように言った。
「でなきゃ、あんなしょぼい剣技は見せないよなぁ」
「……」
旅人は不服そうに口を尖らせたが、ディアは気にせずに話し続ける。
「お前も知ってるだろ?魔王の卵の特徴」
「うん。確か不思議な力が使えて、魔物を操れて……」
「最大の特徴は、やっぱり頭の角だよな」
魔王の卵が魔物を操り、人々を襲うという言い伝え。
誰からか聞かされてきたその言い伝えは、世界中の誰もが知っていた。
彼らが魔王の誕生を待ち望み、いずれ世界が崩壊することも。
ディアは、旅人の頭を探るように撫で始める。硬い感触は見当たらない。
旅人の頭に角が生えていないことを確認したディアは、ほっと息を吐いた。
「魔王の卵は人の中に混ざって暮らしているっていうから不安だったけど、やっぱりお前は普通の人間だよな。シュトライトさんのことを信じないってわけじゃないけど、魔力を量れるってのも怪しい話だ」
「よかった……」
旅人は、ほっと胸を撫で下ろす。
本当に自分が魔王の卵だったとしても、唯一の仲間にそう言われると、大丈夫な気がしてくる。
ディアにくしゃくしゃにされた髪を整えていると、旅人ははっとしてディアの方に振り返った。
「そうだ!」
「どうした?」
旅人は、重要なことをディアに言い忘れていたのだ。
「シュトライトさん、明日出張で屋敷を空けるって!」
「……!!」
旅人の言葉を聞いたディアは、驚きのあまりに目を丸くし、動きが固まる。
しかし直後にはばっと旅人の両手を握り、目をきらきらさせて彼を見つめた。
ディアのまっすぐで美しい金色の瞳に見つめられて、旅人は恥ずかしくなり視線をわずかに横へ反らす。
「それ、本当か!?」
「え、うん……」
「ありがとう!ほんっとうに、ありがとう!」
ディアは勢いよく腕を上下に振り、旅人は勢いのまま体が揺れた。
「うわ、あうあう……」
「ん、ああ。悪い悪い」
ディアはすぐに手を離したが、旅人は頭がくらくらしているようで、両手で頭を押さえている。
ディアは旅人のことなど気にせず、寝る支度を始めていた。明日のことで頭がいっぱいになっているようだ。
「そうと決まればさっさと寝るぞ!明日はシュトライトさんの部屋を探検だ!」
「おやすみっ!」と言い捨てると、ディアはベッドにばっともぐり込んだ。
元の調子に戻った旅人は、ディアの様子に半ば飽きれながら、枕元にあるロウソクの小さな明かりを吹き消した。
「おやすみ」
微笑みながら旅人は小さくつぶやき、自分もベッドにもぐった。
「にゃあ」
旅人が寝ようとしたとき、旅人の耳元で小さな声が聞こえた。
旅人はこの声に覚えがあった。ディアを起こさないようにゆっくりと起き上がると、布団を挟んだ膝辺りに小さなネコがちょこんと行儀よく座っていた。
毛並みは全身真っ白だが、よく見ると耳と尻尾の先は淡い桃色をしている。尻尾はネコの体を覆うほどに大きく、きまぐれにゆらゆらと揺れていた。
「やっぱり君か……」
旅人が話しかけると、ネコはその前足で旅人の口をふさいだ。
静かに、と言ってるようだった。
「あいつが起きてしまう」
ネコは小さな声で旅人に話した。
ネコとは、どこにでもいる下級の魔物である。毛並みや大きさなどは住む地域によって違うが、その愛らしい容姿や、それなりに知能を持ち合わせていることから、ペットとして飼っている貴族も多い。
しかしどんなに賢いネコでも、このネコのように話すようなものはいない。旅人も、このネコが只者ではないことは分かっていた。
「……どうしたの、こんな夜更けに」
ネコが旅人に顔を出すのは、実に数ヶ月ぶりのことであった。
「ちょっと、確認をしたいと思ってな」
「確認?」
「魔王の卵はこの世界に滅びをもたらす存在だ。お前は世界を救うために、魔王の卵を倒す。いいな?」
「……分かってるよ」
ネコの言葉は、旅人の意志の確認というより、旅人への指示の確認をするようだった。
旅人は魔王の卵を恨んではいるものの、ネコの都合通りに誘導されているだけのような気がしてならなかった。
「……ねえ」
「なんだ?」
「君は、僕に魔王の卵を倒させてなにがしたいの?」
ネコの尻尾がぴくりと動く。少しの沈黙のあと、ネコは小さく舌打ちした。
「……そんなに聞きたい?」
「君の目的が分からないままじゃ、僕も君の指示には従えない」
旅人の真剣な眼差しに、「しょうがないなぁ」とネコは溜め息をつく。
「そもそも、あたしは人間だったのよ。魔王を卵に呪いをかけられて、今の姿にされちゃったの」
「じゃあ、君はその呪いを解くために、僕に魔王の卵を倒させようてしているわけ?」
「そういうこと」
「ふうん……」
「とにかく、お前は魔王の卵を見つけたら、なにがなんでも倒すんだよ」
そう言って、ネコは旅人の返事も聞かずに、ベランダから外へ飛び出して行ってしまった。
前からネコの言動は理解できないことが多かったが、ここまで念を押してくるのも珍しい。ネコのことだから、何か考えがあってのことなのだろうが、今の旅人には、それが理解できなかった。
エスポワールの夜が更けていく。
シュトライトは、王都へ出かける準備を着実に進めていた。