第三話 白ワインとホットミルク
シュトライトは早朝から仕事があるらしく、その日の朝食はディアと旅人とノチェの三人だけだった。
今日のメニューは白パンと目玉焼きという質素なものだ。目玉焼きの付け合わせには刻んだ野菜が盛られている。
昨日の夕食では不機嫌でなかなか話しかけづらかったが、今日のノチェは昨日のような膨れっ面はしていない。彼女は二人に話しかけてはこないものの、機嫌が悪いというよりは、話す必要がないという感じだった。
「おはよう。昨日はよく眠れたか?」
彼女に話しかけたのはディアだった。
ノチェはディアの方を向かずに応える。
「うん。昨日はお兄様もいたし」
「ノチェはシュトライトさんのことが大好きなんだね」
そう旅人が言った途端、彼女の目玉焼きを切り分けていた手が止まり、急に顔が赤くなった。
「なっ、何言ってるの!?妹として、お、お兄様を慕うのは当然のことでしょっ!?」
そう言った後、ノチェは熱くなった顔を隠すようにうつむき、さっさと朝食を食べ終えてどこかへ行ってしまった。
旅人はぽかんと口を開け、ディアは「あーあ」と半ばあきれるような顔をした。
「お前、よくあんなこと言えるよな」
「えっ、僕は見て思ったことを言っただけだけど……」
どこの馬の骨とも知らないやつに、自分がまだ兄離れ出来ていないことを知られたくないという、年頃の少女のませた心境が、旅人には理解出来なかったようだ。
「あれくらいの子は素直じゃないんだから、もうちょっと言葉を選んだ方がいいぜ」
「……?」
「ま、お前にはちょっと難しいかもな。ごちそうさん」
「ちょ、ちょっとどういうことなの!?ごちそうさま!」
旅人はディアの後を追って、急いで白パンを口の中に詰め込んで席を離れた。
旅人はともかく、ディアはシュトライトの付き添いがないと屋敷から出ることを許されていない。
ディアは屋敷から脱け出すため、これから屋敷中を探索しに行くと言って、部屋から出て行ってしまった。
特にすることがなくなった旅人は、とりあえず屋敷を出て町を散歩することにした。
使用人に出ていくと一言言ってから屋敷を出ると、すぐのところで大きな教会が目に入った。
白い壁に青い屋根をした教会の頂上には、大きな銀の十字架が立てられており、その威厳を存分にかもし出している。
「どうせなら行ってみようか」
道は分からないが方向なら分かる。旅人はなんとなく教会に行ってみることにした。
「わぁ……」
さすが聖地の教会。近くで見た教会は遠くで見るよりも威圧感がある上に、細部の装飾がよく見えて一つの芸術品のようにも見えた。
教会の手前にある広場には石畳が綺麗に敷き詰められ、白い鳥が辺りを飛び交っている。
お年寄りや行商の人たちがいるところを見ると、ここは町の人たち憩いの場にもなっているのだろう。
教会の入り口に行くと、樫でできた重そうな扉が片方だけ開いていた。
そっと中を覗くと今日はちょうどミサの日のようで、神父らしき男が礼拝堂の一番奥で説教のような話をしている。
旅人は静かに教会の中に入り、いくつも並んだ長椅子の一番後ろの隅に座った。
「こんにちは」
「!」
神父の低い声とは明らかに違う、可愛らしい高い声に旅人は驚く。聞こえた方に目を向けると、そこには自分と同じくらいの歳をした少女が立っていた。
彼女は赤茶色の二本のお下げに橙色の瞳を持ち、おっとりとしたたれ目が印象的な少女だった。
「隣、いいですか?」
「あ、うん」
少女が旅人の隣に座る。旅人は思わず端に身を寄せた。
「わたしはソリア。いきなり話しかけてごめんなさい。わたしはこの教会の施設で暮らしているんだけど、歳の近い子を見かけたのは久しぶりで……つい、話しかけちゃったの」
そう言って、ソリアは無邪気に微笑んで見せた。
彼女が悪い人ではないのは旅人でも分かった。
「あなたは冒険者さんなの?ここらはあまり見ない顔ね」
「僕は旅人さ。冒険者なんて、たいした者じゃない……っ!」
旅人がそう言った瞬間、ソリアは急に目を輝かせ、ばっと旅人の方に身を乗り上げた。
旅人は慌ててソリアを避けるようにさらに身を外に寄せる。そろそろ椅子から落ちてしまいそうだ。
「あなた旅をしていたの!?わたしも、小さいころ旅をしていたの」
「小さいころ……ってことは、親か誰かと一緒に?」
「ううん……」
あまり人に聞かれてはいけない話をするのか、彼女は辺りを見回した。
旅人も釣られて周りを見てみたが、ここに来ている人たちはみんな神父の話に夢中で、二人の会話に気付いている物はいない。
ソリアは声を潜めて話し始めた。
「……旅人のあなたなら知っているかもしれないから話すけど、わたし……魔物と旅をしていたの」
「魔物と……!?」
「今でも本当なのか疑っちゃうくらいなんだけどね。大きさは大人の背丈ぐらいで、頭に角と鳥みたいな翼が生えてる黒い魔物なの。思い当りがあったりする?」
記憶をたどってみたが、旅人は申し訳なさそうに頭を横に振った。
「そう……。気にしないで?わたしも、会えるとはあまり思ってないから……」
「そうなんだ。君も僕と同じだね」
「……えっ?」
ソリアは目を丸くして旅人を見る。旅人は悲しいような寂しいような、かげりを見せた表情をしていた。
「僕もどこにいるか分からない人を探して、ほとんど当てのない旅をしているんだ。……だから、一緒」
旅人はソリアに苦笑いを浮かべて見せた。
ソリアは旅人に微笑み返して言った。
「お互い、探し物が見つかるといいね」
彼がどのような理由で、何を探しているかはソリアの知り得ることではないが、彼女は彼の幸せを純粋に祈っていた。
「ありがとう。……ねえ」
「なに?」
ソリアが旅人の顔を覗きこむ。
彼女と目が合った先にある旅人の目には、悲しみの色はもうなかった。
「また、僕の話を聞いてくれないかな。シスターだからかな、君とはなんだか話しやすいんだ」
旅人の言葉を聞いて、ソリアは思わずくすりと笑ってしまった。
なにかおかしいことでも言ったのかと、旅人は首をかしげる。
「ごめんなさい」とソリアは言った。
「わたしはシスターなんかじゃないよ。確かに、わたしの着てる服は修道服に似てなくもないけど……わたしはここの施設に住むただの子ども」
「ご、ごめん!そうなんだったんだ」
「別にいいよ。わたしもよく間違われるから……」
ふと気付くと、静かだった礼拝堂に少しずつ人の声が聞こえてくるようになった。どうやらミサが終わったらしい。
長椅子に座っていた人々は続々と席を立ち、礼拝堂から去って行く。
「じゃあ、僕もそろそろ行くよ」
「うん、またいつでも来てね。今度はお茶も用意しておくから」
「ありがとう」
旅人が人の波に混じり、消えて行く。
ソリアは旅人を見送りながら小さくつぶやいた。
「あなたにノアルカ様のご加護があらんことを」
日が傾きかけた夕食前に屋敷に戻ると、部屋では疲れきった様子のディアが、ベッドの上でうつ伏せで寝転がっていた。
どうやら彼の予想以上に監視の目が厳しかったらしい。
「絶対に抜け出してやる……」
シーツに顔を埋めながら、ディアはうめく様につぶやく。
と思いきや、いきなりばっと起き上がり、ディアは机の上になにやら大きな紙を広げ始めた。
覗いてみると、それは屋敷の見取り図のようだった。
よく見ると、間取りを示している線まですべて手書きだ。その上窓の位置やその先にあるもの、身を隠すことの出来る場所など、脱走に使えそうな情報がびっしりと書き込まれている。
「一日でここまで書いたの!?」
「前の見取り図に比べればまだましさ。前は少なくともこれの三倍はあった」
「三倍!?」
この屋敷でさえそこそこ広いのに、途方もない量を言われ、旅人はその数字がすごいのかさえ分からなくなってしまう。
混乱した調子の旅人をよそに、ディアはまた新たな情報を見取り図に書き込む。
「あとは、この二部屋か……」
地図には二つだけ、情報が何も書き込まれていない部屋があった。
シュトライトとノチェの部屋だ。
シュトライトは仕事で部屋を使っているし、ノチェも屋敷から出かけずに過ごしているため、なかなか忍び込めないのだ。
「お前、シュトライトさんから出かける予定とか聞いてないか?」
旅人は首を横に振る。
「そうだよなぁ」とディアはため息をついた。
コンコンコン。
「夕食の準備ができました」
扉の外から使用人の声が聞こえる。
「悩んでもしょうがないし、とりあえず行くか」
「うん」
二人は見取り図を片付けて、部屋の外へと向かった。
夕食後に部屋に来て欲しい、と旅人に言い出したのは、シュトライトだった。
一町長として、世界中を旅している旅人にいろいろと話を聞きたいということらしい。
寝支度を終えた旅人は今、シュトライトの部屋の前に立っている。
屋敷の主人の部屋だからか、ディアがいないからか、なんだか必要以上に緊張してしまう。
コンコンコン。
「僕です」
「どうぞ」
思いきってノックをしたが、ちゃんと返事が返ってきて、旅人は胸を撫で下ろす。
「失礼します」
ドアを開けた先の部屋は、白や灰色を基調とした落ち着いた色合いの、書斎のような部屋だった。
奥に置かれた仕事机には、たくさんの書類が山のように積み上がっており、町長の忙しさがうかがえる。
「待っていましたよ。さあ、こちらへ」
シュトライトに案内された先は、部屋から通じるベランダだった。
そこには小さな白い丸机と、二つの椅子が用意されていた。机には一本の白ワインが冷やされている。
「お酒は……だめですよね。なにか飲みたい物はありますか?」
「じゃあ、ホットミルクを」
「分かりました」
シュトライトが控えていた使用人に視線をやると、使用人は一礼してから部屋を後にした。
「どうぞ、座ってください」
「失礼します」
「そんなにかしこまらないで、もっと楽にしてください」
「そう、ですか……」
相手が有名な町長だからか、言動が思った以上にぎこちない。
そうもしない内に、使用人がホットミルクを持って来てくれた。旅人が使用人に軽く一礼するが、使用人はそそくさと部屋から出ていってしまった。
「……さて、これで誰もいなくなりましたね」
シュトライトは冷やしておいた白ワインをおもむろに注ぎ始め、一口飲む。
そして彼は「うん、おいしい」と満足そうにつぶやいた。
「やはりワインは白がいいね。以前に赤ワインを飲んだけれど、あれは重すぎてすぐにやめてしまったよ」
「そう、なんですか……。そうだ。それよりも、なにか用があったんじゃないんですか?たしか、他の町の話とか……」
「ああ、そうだったね」
シュトライトはワイングラスを机に置き、両肘をついて組んだ両手の上にあごを乗せた。
そして旅人に「すまないね」と言った。
「その話は嘘なんだ。あれはただの口実に過ぎない」
「……えっ?」
旅の話を聞きたいと言われて来たのに、それが嘘だと言うのなら、彼は一体、何のために旅人を呼んだのだろう。
まるで親しい友人と話すかのように微笑むシュトライトの顔からは、その意図が一切読めない。
そしてシュトライトは、旅人の疑問に答えるように話し始めた。
「私は少々、特殊な生まれでね。人の内に持つ魔力を量ることが出来るのですよ」
「魔力……?」
「そして、貴方の持つ魔力は、私が見てきた誰よりも素晴らしい。つまり……」
シュトライトの口が三日月形に歪む。
ぞくり、と旅人の背筋が凍えるような感覚がした。
「貴方が『魔王の卵』である可能性があるのです」