第二話 エスポワールの夜
追っ手の騎手たちから逃れたディアと旅人が、シュトライトに連れられて向かった町は、王都から西に行った先にある静かな町だった。
土壁で造られた質素な家が並ぶ町中で、大きく真っ白な教会がよく目立っている。
旅人の記憶では、この教会は国一番の大きさを誇り、熱心な信者たちはこの町を聖地としているらしい。
町に入ったところで、シュトライトはくるりと、後ろについて来ていたディアと旅人の方に体を向けた。
そして彼は、礼儀正しくお辞儀をした。
「ようこそ、宗教の町エスポワールへ」
町長の屋敷は町の中心にあった。
町長の屋敷は広ささえあるものの、民家と同じくらい質素な建物だった。庭も手入れがよく行き届いている。
「おかえりなさいませ、旦那様」
屋敷の扉を開けると、三人のメイドが出迎えてくれた。
「こちらの二人を部屋に案内してくれ。何日かここに滞在することになった」
「かしこまりました。では、お二人もこちらへ」
彼女たちは男と旅人の外套を受け取り、屋敷の案内を始める。
道中、屋敷の主がメイドとなにやら今後の予定などを話している。その様子を、旅人は寂しそうな目で見つめていた。
心配に思ったディアは、旅人に声をかけた。
「どうした?」
「……いや、なんでもないよ。昔のことを思い出しただけ」
「そうか……ってうわっ!?」
前を歩いていたシュトライトが急に立ち止まり、ディアは危うく彼の背中にぶつかりそうになった。
「おやおや、前方不注意はいけませんよ……。お二人のお部屋はこちらです。ディア様には少々窮屈かもしれませんが、なにかあれば遠慮なくお申し付けください」
「ああ。ありがとう」
「では、私は仕事があるので、これで失礼します」
そう言って、彼は来た道を引き返して行った。
彼は去り際に、旅人の耳元で囁いた。
「ずっとお待ちしておりました」
「それでは、ごゆっくり」
「ありがとな」
メイドが旅人の外套をクローゼットにしまい、部屋から出て行った後、ディアは「よし」と椅子から立ち上がり、ベッドで短剣の点検をしていた旅人の隣に座った。
ちなみに、旅人と出会ったときに着ていたぼろぼろの服は、シュトライトの厚意で新しいものに着替えている。
旅人は、さっきの戦いで刃が傷ついたを気にしているようだが、ディアはそんなことは気にせず、旅人に話しかけた。
「なあ。やっぱさ、これから一緒に旅をするってなると、お互いのことをよく知っておくべきだと思うんだよ」
「……確かに、そうかもしれないね」
「今からオレがお前に簡単な質問をするから、それに答えていってくれないか?」
「え、うん。わかった」
旅人は短剣をしまい、ディアも旅人と向き合えるように座り直した。
「歳は?」
「十五……たぶん」
「出身は?」
「分からない……」
「旅は初めてどれくらいになる?」
「三年……くらいかな」
それからも淡々とした質疑応答が続いた。
旅人は出された質問に最低限の回答しか返さない上に、「たぶん」「分からない」などの曖昧な物が多い。
なんだかとっつきにくいやつだなぁ、とディアは思った。
「……ごめんね。僕、人と話すのはどうも苦手で……」
「っそ、そんなことねえよ!じゃあ、今度はお前から訊いてくれよ」
図星を突かれてディアは少し慌てた。彼は意外とめざといのかもしれない。
「そうだな……」と旅人は少し考えた後、彼に質問を始めた。
「歳は?」
「十五。お前と一緒だな」
「へぇ……。出身は?」
「王都だ」
「旅は……初めてだっけ」
「ああ。いろいろよろしくな。……って、オレが質問したこと繰り返してるだけじゃねえか」
「ごめん……」
旅人の顔が暗くなる。
一緒に旅に出るというのに、出会った初日でこんな微妙な距離では、これからに支障が出るかもしれない。どうにかこの空気を変えようとディアが新しい話題を考えていたとき、ふと疑問が浮かんだ。
「どうして旅に出ようと思ったんだ?」
旅人の体がぴくりと動き、彼の表情はさらに暗くなった。
「い、いやっ!別に言いたくないんだったら言わなくてもいいんだ!」
「いいよ。大丈夫」
彼は顔を上げて寂しそうに微笑んだ。
その表情はさっき屋敷の廊下で見た表情に似ていた。
「……僕が暮らした町が、魔物に襲われたんだ」
「……!」
一瞬、沈黙が通った。
「なんか、悪かったな……。これ以上は聞かないよ」
「……ありがとう。君は優しいね」
「そうか?……えっへへ、サンキュな」
二人は、その後も他愛のない会話を続けた。
エスポワールの夜はとても静かなものだった。
窓から外を覗く限り、人の姿は見当たらない。月とガス灯が町を照らしているだけだった。
「そろそろ晩飯みたいだぞー」
ディアが部屋の入り口から旅人に声をかける。
「うん。今行くよ」
旅人は窓の外から目を離し、ディアと一緒に部屋を出た。
「……で、この人たちは誰なの」
ディアと旅人は、ダイニングの長机の下座に座っている。
当然、上座には屋敷の主人であるシュトライトが座り、机の角を挟んで右側には一人の少女が座っていた。
ディアたちより幼く見える少女は、黒の短い髪に桃色の瞳を持っている。それなりの顔立ちのはずなのだが、不機嫌そうな膨れっ面のせいで台無しになっていた。
少女は頬を膨らませたまま、話し続ける。
「今日はお兄様とゆっくりお食事できると思っていたのに……」
「ごめんよ。急なお客が来てしまってね。……お二人方、こちらは僕の妹のノチェだ。ノチェ、こちらはディア様とお付きの用心棒さんだ」
「よろしく」と二人が軽く頭を下げると、ノチェはふん、と顔を反らしてしまった。
兄はその様子に苦笑いを浮かべる。
「すまないね。忙しくてなかなかかまってやれないから、この子は今日の食事をとても楽しみにしていたようなんだ」
「別にいいもん。お兄様が約束を破るのなんて、いつものことだし」
ノチェの声色には、怒りの他にわずかな悲しみも混じっているように見えた。
兄は仕方がないなと言うように、小さく息を吐く。
「では今夜は一緒に寝ましょう。それで許して頂けますか?」
その言葉を聞いた途端、彼に背を向けていたノチェはばっと勢いよく振り返り、その三白眼をきらきらと輝かせた。
はっとすぐに我に帰り、ノチェは照れながらも意地を張ってごまかす。
「べ、別に許してあげないこともないけどっ、また破ったりしたら承知しないんから!」
そんな様子を見てシュトライトはくすりと微笑む。
ディアと旅人も、なんだか微笑ましく思えた。
「ありがとうございます。……では食事を始めましょうか」
そう言って男が軽く手を叩くと、使用人たちは四人の前に料理を並べ始めた。
夕食の時間はあっという間だった。
シュトレライトは、入浴と仕事を少し終わらせた後、あるドアの前に向かった。大きな扉には「ノチェ」と書かれた名札がかかっている。
目の前の扉を三回ノックする。
「どうぞ」という声が部屋の中から聞こえるのをちゃんと確認してから、シュトライトは扉を開けた。
「失礼するよ」
ドアを開けた先の部屋は黒やピンクを基調としたゴスロリ調で、ディアたちの部屋よりも広く、至るところにぬいぐるみが並べられていた。
積み木など、それ以外のおもちゃは、床の上に散らかりっぱなしにになっている。
「また出しっぱなしにして……」
「使用人たちが片付けてくれるからいいもん」
ノチェはまた頬を膨らませた。寝間着は高級そうな白のレースで、腕にはお気に入りのネコのぬいぐるみが抱かれている。
「部屋の片付けは明日にして、とにかく今日はもう寝ようか」
「はーい」
兄がベッドに入った後に、妹もベッドに潜り込む。
ベッドはもともと天蓋付きのダブルベッドなので、広さには問題ない。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
彼は枕元にあった蝋燭を静かに吹き消す。
光を失った部屋は途端に暗くなり、部屋の明かりはカーテンの隙間から入る月明かりだけになってしまった。
この時間になるとガス灯も消えている。
少しの沈黙の後、シュトライトはノチェに話しかけた。
「起きているかい?」
「……なに?」
シュトライトはノチェの方を向いていたが、ノチェは彼に背を向けて寝ているため、彼女の表情はうかがえない。
「今訊くのもどうかと思うんだけど、いい機会だと思ってね。……あの日のこと、君から詳しく聞きたいんだ」
「……」
金髪のシュトライトと黒髪のノチェを見れば分かるのだが、二人は実の兄妹ではない。ノチェは少し前まで教会の施設で暮らしていたのだ。
施設のある少女をどこかに移り住ませてほしい、と修道女が町長に駆け込んで来たのは三年ほど前のことだった。
彼女は以前から我が強く、協調性に欠けていたために施設の子どもたちとよく喧嘩をしていたらしい。
その日も男の子たちと喧嘩をしていたらしいのだが、今までと状況が少し違っていたようなのだ。
彼女は、おもちゃを取られた上に暴力を振るわれた女の子たちを守るために、一人で何人もの男の子たちを相手に喧嘩をしていたのだ。もちろん、勝ち目などあるわけがなかった。
「……ボク、あの子たちを守りたかった。あの子たちを蹴ったやつらが許せなかった。頑張ったんだけど、ボクはあいつらより全然弱くて……。そのとき、もっと強くなりたいって心の中で思ったんだけど……」
修道女ら曰く、騒ぎを聞きつけて庭に来たときにはすでにことは収まっており、芝生が植えられていたはずの地面は大きくえぐられ、周りの遊具は大人でもここまでするのは難しいほどに曲げられ、傷だらけになっていた。
ノチェは庭の中心で気絶しており、喧嘩をしていた男の子たちは全員瀕死の状態で、女の子たちは庭の隅で震えていたそうだ。
「気が付いたら病院のベッドで寝てて、あの時のことは覚えてないんだ……」
「……そうか」
男の子たちは一命を取り留めたものの、人と同じ生活を送ることは難しい体になってしまった。
女の子たちに当時のことを訊いても「大きな黒い化け物が男の子を食べた」などの信じがたい話しか話さなかったらしい。
施設の事件が世間に知られるようになると、いつしか「ノチェが化け物なのではないか」という噂が立ち始めた。当時は魔王の卵が町を襲った事件が起きたこともあり、人々は彼女を恐れ、避けるようになっていった。
そこで施設の修道女たちは、お互いのために彼女を人と干渉させないような場所に移り住ませたいと町長に相談したのだった。
「でも、ここに移り住めたのはよかったと思ってるよ。お兄様がボクに初めて会ったときに言ったこと、覚えてる?」
「ああ、覚えてるよ」
『よく頑張ったね』
「ボク、あの言葉だけですべてが報われた気分になったんだ」
そう言うと、ノチェはシュトライトの方に寝返りを打つ。彼女の表情は、普段の膨れっ面からは想像できないほど穏やかな顔をしていた。
「ボク、お兄様のことが好きだよ。あまり構ってくれなくても、嫌いになったことなんてないんだから」
「ありがとう。僕もノチェのことが好きだよ」
兄が妹の頭をやさしく撫でると、彼女は照れ臭そうに笑った。
「……えへへっ」
「……そろそろ寝ようか。明日も早いからね」
「はいっ、お兄様」