なかなか、なれそうもない。
ミモザがレイの元にやって来て数週間が経った。ミモザは道具箱からモップを取り出した。ここ最近の毎朝の日課である。 水と洗剤に入ったバケツにモップをつけ、ジャバジャバと攪拌させる。少し動いただけでじんわりと汗が滲み出てきたが、、ミモザは気にせずに床を擦り始めた。
かれこれ、2週間前のことである。
「どうせ、お前暇だろう?手伝え」
と訳も分からずミモザはレイとともに車に乗り込んだ。
「え?どこに行くの?」
「何ワクワクしてるんだ」
テンションの上がるミモザとは真逆で、レイはクールにハンドルを動かす。ミモザはまだ運転免許を取れる年ではなかった。車はサーっと市街地を均すかのように道を駆け抜ける。
「スコールが来そう」
急に雲行きが怪しくなってきた。真夏の暑さはスッと去り行き、空気は水気を含んでじめっとする。
「だな。急ぐか」
この国ではしょっちゅうである。
2、3分どかっと滝のような雨が降り、そして太陽が厚かましく顔を出す。お日様の休憩時間とセノバでは呼ばれていた。
「もう着くぞ」
レイは街中の駐車場に車を入れた。
「....」
シートベルトをしたまま後ろを向いて、車をバックさせている。かっこいい、とミモザは思いながら見ていた。
「到着」
「どこに行くの?」
「俺の仕事場」
レイはノックのようにごくシンプルに、ミモザの質問に答えつつ車の外に出た。
「どこ?あの建物?」
ミモザは市街地のど真ん中にある、オリオンストリートをテクテク歩く。
「ぶー」
ミモザが指差した雑居ビルは不正解だったようだ。
「ここだ」
「ええっ!?」
ミモザは奇声を発した。レイが入って行ったのは、青い屋根がトレードマークのお店だった。
「何だよ、変な声出すな」
レイは乱暴に鍵を開けて、店の中に入った。甘い匂いがミモザの鼻腔をつく。女の子なら誰でも気分の良くなるような、カラフルでオシャレな世界だった。
「コラゾンってお店、あなたがやってたの!?」
「そうだよ。よく知ってるな」
レイは店内をスタスタ歩いて行った。
「だって、殺し屋なんじゃないの?」
ミモザにはまだ、自分がこの店にいることが信じられないようだ。
「殺し屋だけで食っている奴なんざいない。お前の親父もそうだろう?ほい、これをつけろ。」
「あ、ありがとう。」
ミモザは水色のエプロンをレイから受け取り、紐を腰に回した。
「急げ。営業開始は9時だ。」
二人は早速開店準備に取り掛かった。ドアを開けて、店の前を掃除する。立て看板とバケツを外に出し、人気の花屋コラゾンはオープンした。
「おはようございますー」
ミモザが店内の片付けをしていると、ノロノロと二人の少年が入ってきた。ダボっとしたハーフパンツの裾は解れ、Tシャツは穴が空いている、まだまだあどけなさの残る少年。どうやら双子のようだ、区別がつかない。二人とも痩せ細って頬がこけ、目は金魚のようにギョロッと大きい。二人は大あくびをしながら店内の奥へ進む。
「師匠、おはようございますー」
「おはよ。遅い、早く着替えろ。」
レイは手を動かしたまま、二人の少年に店内奥の更衣室へ行くよう促した。
「あ、初めまして。ちわーっす」
二人の少年はミモザと目が合うと、和かに挨拶をした。
「こんにちは。初めまして。」
ミモザは立て看板にマーカーで文字を書きながら二人に挨拶をした。
「ペテロとパウロ。こいつら、サボってばっかりだからたまに喝を入れてやってくれ。」
レイは忙しなく動きながら簡単に二人を紹介した。
「パウロ、お前は3番地の教会へ行ってブーケを配達してこい。ペテロは水換えだ、早くしろ。」
「はーいー」
二人は更衣室のドアを閉めた。
「ったく。遅刻ギリギリじゃねーか。」
レイはふーっと大きく息を吐いた。
「まだ幼いね。」
ペテロとパウロの無邪気な笑顔を眺めつつ、ミモザはレイの耳元でささやいた。
「あいつらいくつだ?確かお前と変わらないと思ったな。厄介なやつらだ。」
と言いつつも、レイの顔は笑っていた。
「行ってきやーすー。」
配達を頼まれたパウロは、片手に大きなブーケを二つ抱えて店を出た。
「ペテロ、お前は新入りと花の水換え。お客様来たら頼む。俺は取引先と電話してるから。」
今度はレイが店の奥に入って行った。
「ミモザさん。」
「何?」
ペテロはミモザに質問をした。
「殺し屋志望なんすか?」
ペテロはミモザに丁寧に仕事を教えてくれた。二人は作業の手を止めず、2人は少しずつ打ち解けていった。
「ううん。レイはお父さんの友達で。」
「まじっすかー。俺とパウロは殺し屋になりたいんすよ。」
ミモザは驚いて開いた口が塞がらならなかった。こんなに愛嬌があって明るい少年から、この発言が飛び出すとは思わなかったからだ。 そんなミモザをさておき、ペテロは瞳をキラキラさせながら語り続ける。
「師匠はまじでかっこいいっすよ!ハポン(日本)のサムライって本当にいるんすね!」
何を言ってんの、この人...
とミモザは自らがレイの家に駆け込んで来たことを棚に上げて驚いていた。
この国、おかしい。どうかしてる。殺し屋が人気だなんて、どうして?...
「あれ、殺し屋とか興味ないんすか?」
ペテロはあんぐりと顎を外すミモザの顔色を伺った。
「あ、あたしはいいや、向いてないし...」
ミモザははぐらかして笑った。
「まじでー?でも師匠、殺し屋なんてよせ、って言って、まだまだ認めてくれないんすよ。先は長いなー。よいしょっと。」
ショーケースを雑巾で拭きながら笑うペテロの笑顔を、ミモザは複雑な気分で眺めていた。
「どうしてみんな、殺し屋になりたいの?」
ミモザは小さい声で、唇を震わせた。
「え?だって、格好良くないっすか?」
ペテロはけろっとした声で答えた。
「格好良い?んだ。あたし、殺し屋を見たことがないからわからないな。」
ミモザはもう何も言えなかった。そして、人生で一番の大嘘をついた。あたしは殺し屋を否定できない。ミモザはそのことをわかっていた。
でも何で?人を傷つけることに憧れを抱くの?ミモザにはペテロとパウロの気持ちはまるで理解ができなかった。
そして、ミモザが一番会いたいと思った人もまた、殺し屋だった。
ミモザはぼんやりと、手にしていた花束を眺めた。花はミモザの気も知らずに、空を真っ直ぐに見つめて咲いていた。まるで無責任なほど明るく。
帰りたい。
ミモザは涙を必死で堪えた。
「さーてお前ら」
レジからレイがスタスタと出てきた。手には小さい花瓶に入った黄色いブーケを持っていた。
可愛い、ミモザはつぶやいた。
「順番にメシにしろ。もうパウロも戻ってくるだろ。俺は午後配達回りだから、ペテロとパウロ、ミモザの面倒を頼む。」
レイはブーケをカウンターに並べ始めた。
「ミモザさん、メシにしやしょーぜ。」
「あ、はーい。」
ミモザはペテロの後について、店の奥へと走った。
「メシっていったら、ここにありますぜー。」
店の奥の中にある更衣室の奥に、ボンと冷蔵庫と電子レンジが置かれていた。ペテロは今日は何かな?と上機嫌で冷蔵庫を開けた。
「ハポン(日本)のメシって美味いよ!師匠が作ってくれるんだー」
ペテロは冷蔵庫から皿を取り出した。
「お、今日は巻き寿司だ!」
「巻き寿司?」
ミモザは真っ黒な細長い物体をまじまじと見た。スシは日本料理としてよく名前は聞いていたが、実際に食べるのは初めてだった。
「巻き寿司とミソスープだ!」
ペテロとミモザはマグカップに茶色いスープを注いでいた。
「これ何?海藻?」
「ワカメっていうんだって。でも美味いっすよ。」
ミモザは味噌汁からワカメを掬った。初めて見る、食べるものだった。恐る恐る口に運ぶ。
「何これ美味い!」
「でしょー。」
あんたが作ったわけじゃないでしょ、とツッコミを入れたくなるほど、ペテロは得意げに微笑む。
「これ、巻き寿司。切ったりそのままかぶりついたり、色々な食べ方があるらしいっす。」
「んー!中にいっぱい入ってる!」
ミモザは万華鏡のように、黄色と緑、ピンク色の具が詰まった鮮やかな巻き寿司の中を覗いた。そして大きく口を開けて、遥か海を越えた東の果ての国の料理に舌鼓を打った。
「スシって、こういうのもあるんだ。いいなーあたしも日本に行きたい!」
「師匠に連れて行ってもらえばいいじゃないっすか。たまに日本に行きますよ。」
ペテロは大口を開けて、巻き寿司を頬張った。
「俺とパウロは連れて行ってもらえないけど。お前らは手グセが悪いから日本に出せないって言われましてね。あ、やべ」
ペテロは巻き寿司を加えたまま、慌てて外へと飛び出した。
スコールだ。ザーッとバケツをひっくり返したような豪雨が石畳に打ち付ける。
ペテロは壁に取り付けられたボタンを押して、屋根を張り出した。オリオンストリートに立ち並ぶ石造りの洋館から、一斉に人が窓から出て来て手際良く洗濯物をしまった。セノバでは、スコールは日常茶飯事なのだ。ペテロとミモザが店の入り口にいると、
「おーっと待った!!」
配達帰りのパウロが慌てて店内に飛び込んだ。
「セーフ!」
「飛び込むなよ。お客様にぶつかるだろ。」
パウロはペテロに軽い説教を受けた。
「だってさ、雨すげーんだもん。」
パウロはゼーゼーと息を切らしながら、少し濡れた髪を手ぐしでとかした。
「着替えたらメシ食えよ」
「おお。あ、そうだ。再来週の日曜日は、サンストリート広場の地下で、アレをやるってよ。」
パウロは何やら、嬉しそうに話す。その不敵な笑みだけで、ペテロは何をやるかが理解できたようだった。
「まじか!久し振りだな、あ、ミモザさんも、行こうよ。」
とペテロがミモザの肩を軽くとんと叩いた。
アレ?何それ?
ミモザは返事もせずに首を傾げたが。
「おーっと、いいね。はい、確定ね。」
パウロも話に便乗し、ミモザの同行が勝手に確定になってしまった。