嘘でもいいから、教えて欲しい。
ミモザはバスの出口にある階段を降りた。日差しは更に強さを増していた。ちょうどお昼時、ジェフ南東病院の1階にある喫茶店は賑わいを見せていた。
早く会いたいという気持ちと、どんな顔を見せればいいのかわからないという気持ちがミモザの中で混在していた。意を決したはずなのに、病院を目の前にしてミモザはまた迷い始めた。
行かなきゃ。
ミモザは緑色のカーペットを踏んだ。自動ドアはミモザを歓迎し、開いた。
「エリカ・マスタングさんは3階の307号室になります。」
「ありがとうございます。」
ミモザは受付の女性にお礼を言い、エレベーターホールに向かった。ミモザが母に会うのは1年ぶりだった。
「あれ?」
ミモザは見慣れた特徴的な後ろ姿を見つけた。ホール内のベンチにチャコールグレーのスーツ姿がちょこんと座っていた。
「レイ!!」
「あーん?」
いつもの口癖。レイだった。
「ぷっ!!」
レイは気だるそうに振り向いた。そしてミモザを見るなり吹き出して笑った。
「お前なんちゅー髪型してんだ?」
「いいじゃない。」
ミモザは頬を膨らませた。
間に合ったか。
レイはふぅーっと長いため息をついた。
「レイこそ、このクソ暑いのに何でスーツなのよ。」
「ご挨拶だよ。行くぞ」
「あ、ちょっと....」
レイは立ち上がってミモザの腕を掴み、エレベーターまで歩いて行った。
「その前に、マスタングと待ち合わせをしててな。」
「父さんも?」
「先に、2階に。」
レイはエレベーターの2階のボタンを押した。エレベーターには、ミモザとレイしかいなかった。
「レイ、どうしてここがわかったの?」
ミモザはあまりにも話が出来すぎているこの状況を疑った。
まさか、お母さん...
いや、そんなはずはないよね。
ミモザは不吉な予感を感じとっていた。
「着いたぞ」
レイはミモザの腕を引っ張った。
なるほどね。
レイはミモザの左腕にかかる紙袋を見つめた。
朝、店のカウンターにハサミが置きっ放しになっていたのは、それか。ミモザの足取りが徐々に重くなっていくことを、レイはとっくに気がついていた。
もう少しだ、我慢しろ。
「あっ...」
ミモザは足を止めた。
「お母さん」
「ミモザ」
そこにいたのは赤い髪の女性だった。ミモザと違って小柄だった。親父似だな。レイはミモザと母を見比べながら思った。
「お母さん....」
ミモザはレイと手を繋いだまま、母に近づいていった。
「おか....」
「どういうつもり?」
「え?」
母は後退りをした。
「どの顔を下げて私のところに来たの?しかも東洋人と?」
「え...」
「自分はただの付き添いです」
レイはとっさに口を挟んだ。
「違う..」
いいから黙ってろ、レイはミモザの耳元でつぶやいた。
「嘘おっしゃい、付き添いでわざわざジェフまで来るわけないでしょ!?」
「いや本当にそうです。」
レイはパッとミモザの手を離した。
「帰ってちょうだい。」
「え.....」
ミモザの腕から、スルッと紙袋が離れた。
「お前よせ!」
修羅場に颯爽と、マスタングが現れた。
「ミモザの気持ちも考えろ、お前に会いにわざわ...」
「元はと言えば、あなたが悪いじゃない!あなたがミモザを庇ってばかり...」
「娘を庇って何が悪いんだ!」
「行くぞ」
レイはミモザの肩に手を回し、無理やり病院を出た。
ミモザとレイは、ジェフの海沿いの防波堤をトボトボ歩いていた。これからどこへ行くのかもまるでわからないのに、2人は炎天下の中をただ歩いた。
「あっち。」
レイはジャケットの上を脱いでネクタイを緩めた。ミモザは歩きながらその動作を横目で見つめた。
病院を出てからミモザは口を閉じたままだった。レイも話かけようとしなかった。防波堤は途切れることなく続いていた。
ミモザは防波堤を離れ、砂浜を歩いた。貝殻で出来た砂はミモザの汗ばんだ足の甲に張り付いた。
「おい、待て」
レイはミモザを追いかけた。けれども、砂利に革靴が埋れそうになり、うまく歩けない。
あー、また磨かなきゃなんねーな。
普段のレイなら絶対に思うのだが、この時ばかりは思わなかった。
ミモザは透き通る漣に足の親指を入れた。赤く塗られた爪についた砂が、波にさらわれていった。ミモザはピタリと立ち止まった。
「おい...」
「帰ろ。」
ミモザは振り返った。
「お、おう。」
「何よ」
ミモザはサンダルのまま、足を上げて思いっきり波を蹴り飛ばした。そして前屈みになり、両手で海水を救った。
「懐かしい。この砂浜、よく走り回ってた。えいっ!」
「わっ!」
ミモザはレイに向けて、手の中の水を投げた。
レイは慌てて避けた。とは言ったものの水はミモザの足元に落ちただけで、レイには全くかからなかった。
「てめえ!」
レイは革靴と靴下を脱いで、スラックスを膝上まで捲りあげた。
「ははは、ここまでおーいで!」
「このやろっ!」
レイはミモザを追いかけ海に入った。砂は恐ろしいほどキメが細かく、更々して足を飲み込む。中々うまく進まなかった。
「おらぁ、捕まえたぞ!」
レイはミモザの背中に飛びかかった。
「きゃぁっ!」
そのまま2人はうつ伏せの状態でひっくり返り、海に飲み込まれた。
。
「起きろよ」
レイはミモザの体を起こした。
「長く息を止められた方の勝ち!」
髪の毛までぐっしょりと濡らしながら、ミモザは腕を回してレイの頭を海に沈めた。
レイは大人しく海の中に潜った。
お前、本当は泣いているんだろ。
そして少し待って、レイは水面から顔を上げた。