表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

東の国の王子と西の国の王女

作者: 黄昏アオ

 二つの隣り合う王国。

 かつては互いに助け合い、民たちは自由に互いの国を行き来した平和な時代もあった。

 しかし世の習いどおり、二つの王国は互いの領地を広げようと戦を繰り広げるようになり、多くの血が広い大地を染めた。

 次第にいがみ合う心は王同士だけのものではなく、民にまでも広がっていった。

 こうして二つの国は連日陣取りゲームを続け、王国は疲弊しきっていた。


 

 辺りは暗く静まり返っており、時折フクロウや小さな生き物が駆け回る音しかしない。森の横の小さな丘の上、地上よりもほんの少しだけ空に近いところで、手を取り見つめ合う一組の男女を、淡く光る月だけが見ていた。

 二人の身なりは平民よりも豪奢で、言葉や動作も洗練されている。

 「ジュリエッタ、今日で最後だ。父上が僕たちの関係に勘付いて、明日僕は戦に行かなければならなくなった」

 東の国の王子が言った。

 「そんな!ジェイムズ、嫌よ。あなたに会えなくなるかもしれないなんて。あなたは王子なのよ、戦になんて行かなくても…」

 ジェイムズは西の国の王女の手をぎゅっと握った。

 「ジュリエッタ、聞いてくれ。民を駒のように扱う王のようにはなりたくない。僕は民だけに血を流させて、安全な場所でのうのうと生きているわけにはいかないんだ」

 ジュリエッタは下唇を噛んで、それ以上子どもじみたことを言わないように耐えた。

 私は王女。第一に考えるべきは民のこと。自分の感情に左右されて国を疎かにしてはならないのだ。例えそれが自ら望んでその役目に就いたわけでなくとも、彼と同じように、彼女にもまた生まれながらにして上に立つものの素質が備わっていた。

 「私もお父様のようにはなりたくない」

 二人は見つめあった。言葉にせずとも瞳を覗き込めば互いの思いは同じだった。

 国が昔のように平和になって、また好きなように民が国を行き来し、互いに語り、歌い、笑あえる日がくればいい。

 その時には自分たちも、横には常に相手がいて、手を取り合い共に国を治められるだろう。

 「ジュリエッタ、今宵、君に誓いを立てる」

 ジェイムズは美しい彼女を見下ろした。月の柔らかい明かりで髪が黄金色に淡く染まり、肌の繊細な血管が透けて見える。

 ジュリエッタは優しい彼を見上げた。そよそよと吹く風が髪をなびかせ、骨格のしっかりした小麦色の額に垂れかけた。

 「僕は必ず君の元に戻ってくる。そして君と、民が幸せに暮らせる国を創る。この心に一点の曇りも無い、僕らを見守るこの月に誓おう」

 「私も誓うわ。必ず貴方が誓いを守ってくれると信じ続けます。一点の曇りも無く、私たちに光を与えるこの月に誓います」

 二人は月を仰いだ。澄んだ二対の目に見つめられて、月は恥ずかしそうにほんの少し身を縮めたが、気づいた者はいなかった。

 「ジェイムズ、貴方の国は東に、私の国は西にあるわ」

 ジェイムズは喉の奥で音を鳴らした。

 「太陽は貴方の国から昇り私の国に沈む。月は私の国から昇り貴方の国に沈むわ。私たちは太陽にも、月にも愛されている。二つは互いに補い合っているのよ、きっと私たちも…」

 ジェイムズはジュリエッタを抱きしめて、彼女の頭を自分の胸に押し付け、彼女の髪に頬をすり寄せた。

 「大丈夫だ。僕がきっと、きっと幸せな国を創るから」

 ジェイムズはそのままつややかな彼女の髪を梳いた。

 明日が来るのが怖くないといえば嘘になる。相手は自分を殺そうとし、自分も相手を殺そうとするだろう。相手に恨みは無い。それどころか一体どんな生活を送っているのか、養うべき人はいるのかどうかもわからない。彼がジュリエッタを愛するように、相手にも想う人がいるかもしれない。そして死ねば悲しむ人がいるに違いない。

 もう戦はたくさんだ。身を引き裂かれて血が流れるのも、心を引き裂かれて涙が流されるのも。

 僕が変えてみせる。

 「愛しているよ、ジュリエッタ」

 彼女の耳元に囁いた。

 広い大地には何の影響も与えない小さな囁きは、ジュリエッタの心にしっかりと届いた。もっと近づきたくてジュリエッタは身もだえした。

 その動きを勘違いしたジェイムズは苦しいのだろうと腕を緩めた。

 ジュリエッタは彼の胸にしがみついて、顔を見上げ囁き返した。

 「私も愛してるの、ジェイムズ」

 ジェイムズは手のひらをジュリエッタの頬に当てて、親指で柔らかい頬をなでた。

 その手に自分の手を重ねてジュリエッタは言った。

 「貴方の一部が欲しいの。離れていても貴方を感じられるものが」

 ジュリエッタは左手の人差し指から月の紋章が入った指輪を抜いてジェイムズに差し出した。

 「これを私だと思って」

 ジェイムズは指輪を受け取ったが、自分のを渡すのは躊躇した。

 「駄目だ。もし持っているのを見つかれば、罰せられるだろう」

 「貴方も同じ危険を伴うわ。私はどうしても欲しいの、お願いよ」

 ジェイムズはしぶしぶ指輪を引き抜いた。東の国の紋章が月明かりに煌めく。西の国の王女の手にそれを乗せると、彼女は太陽の紋章をなぞり大切そうにポケットにしまった。

 「ありがとう」

 にっこりとしたジュリエッタの顔を見ながら月の偉大さを思い知った。

 この静かな二人だけの世界を照らす月は彼女を愛していた。ジュリエッタには華やかなドレスも高価な宝石も必要ない。彼女自身が光物のように輝いていた。

 ゆっくりと顔を近づけると、ジュリエッタは待ち構えるように顔を仰向けた。

 ついに唇が出会うと、彼女は小さな声を漏らし彼に擦り寄った。月には小さな雲がかかり、二人を森に潜む生き物たちの目から隠そうとするかのように、丘にかすかな影を落とした。

 短い触れ合いを惜しむようにゆっくりとジェイムズが顔を上げると、ジュリエッタは彼から目を離さずに赤い唇をなめた。

 ジェイムズはジュリエッタの舌の動きを目で追った。擦れた声でジェイムズは自分に言い聞かせるように言った。

 「夜も更けた。送っていこう」

 ジュリエッタは名残惜しげにジェイムズの引き締まった口元に目をやってから頷いた。

 二人の行く道を雲を追いやった月がそっと照らした。



 何百年後、大きな王国の広場で、民たちが一人の男を囲んでいた。

 「おばあちゃん、何が始まるの?あの男の人は誰?」

 ふわふわした茶色い髪をおさげにした小さな女の子は、祖母の手を引いて輪の中央にいる男を指差した。

 祖母は丸々とした子ども特有の頬を愛情をこめてたたき、対照的な皺だらけの頬を緩めた。

 「あの男は吟遊詩人だよ。いろんな物語を語って聞かせるのさ」

 何の変哲もない男が面白いことをするわけでもなくいるのに退屈して、ふーんと返事をすると祖母の手を離して女の子は飛び跳ねた。

 男はざわつく観衆に囲まれて、ゆったりと小さな木のイスに腰掛けていた。辺りを見回せばさまざまな顔がこちらに向けられている。足元に置いた商売道具を取り上げて、弦をそっと弾く。

 辺りは静まり返り、男の一挙一動を見守っている。

 音を調節すると吟遊詩人は深く息を吸い込んだ。ギターよりも小さく、ウクレレよりも深みのある楽器の調べに乗せて語り始めた。


 昔、二つの隣り合う王国があった。東の王子と西の王女は愛し合い、民は国を行き来して交流を深めていた。しかし王国は戦を始め、国同士のいさかいに引き裂かれた東の王子と西の王女は心を痛めていた。戦は続き、大地を赤い川が流れた。ある時二人の密会を知り激怒した東の王は、王子を戦へ向かわせた。出征の前の夜、月が照らす丘の上で二人は誓いを立てた。王子は、生きて帰り、必ず王女と民が幸せに暮らせる国を創ると、王女は王子を信じて待っている、と。その後、戦は三ヶ月続きようやく国はひとつになった。

 そこで吟遊詩人は語りを止めて、王宮の塔に立てられた旗を見あげた。男の語りに引き込まれた観衆は男の目線を追い、皆が一点に目を凝らした。その中には先ほどはしゃいでいた少女も含まれ、今は祖母の傍で大人びた表情を天に向けている。 

 おとこは再び調べを奏でた。

 戦が終わると西の国は滅び、東の国も滅んだ。二つは一つになり、すべてはゼロになった。

 語りを終えた男の声は風に乗ってどこまでも運ばれていった。

 かつて東の国の紋章であった太陽と、西の国の紋章であった月を思い起こさせる、二つが重なり合った金環日食の紋章の旗が、いつまでも風にはためいていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ