初仕事です。
その日の夜のことだ。俺は、この銭湯の真の恐ろしさを知った。
「い、いらっしゃいませ……」
次々に入口ののれんをくぐって入って来るのは明らかに人ではない。
『おばんですー』
そう言ってお金を置いていったのは、見るからに河童だ。
河童だけじゃない。さっき来たのは思いっきり鳥だった。その前はなんだかよくわからない黒いもやーっとした霧のようなもの……。
あ、だめだ、怖い。
思わず額を押さえる。猫が冷蔵庫の上から俺を見た。
『どうしたのぉ?』
「……なんでもない」
浅く息をついてお金をクッキーの缶へ入れる。
この銭湯は、どうやらものすごい価格破壊な値段でやっているらしい。
さっきからお金はどんどん入ってくるし、缶もどんどん重くなるけれど、実際はそんなに儲かっていない。
まぁ、半分ばーちゃんの道楽のようなものだから、いいんだけど。
「おう、宮ノ佑。ちゃんと仕事してるかい」
「してるよ」
ばーちゃんがのれんから少しだけ顔を覗かせる。
「驚いたろ、変なのばっかり来て」
そう言いながら店の中に入り、テレビの前のソファ(もちろん妖怪も座ってテレビを見ている)にどかりと座る。
『変なんて酷いぞ丁子』
『そうよそうよ、あたいたちから見れば人間の方がよっぽど変よ』
わぁわぁと一斉に声を上げる小さい妖怪を軽く流し、ばーちゃんは俺を振り返った。
「宿題は進んどるかい」
……この状況でどうやって進めろってんだよ。
ムッとした俺の気持ちが伝わったのか、ばーちゃんは笑う。
「まぁ、お前の父さんもそんな感じだったからいいけどね。最終日に焦ってやるタイプだったよ」
「父さんが?」
父さんは、提出物は全部期限前に出すような真面目な人だ。それが、最終日にやっつけ型だったとは。
いいことを聞いた。帰ったら問いただしてやろう。
そう思っていたらまたのれんからひょこりと顔が見えた。
『ほう、やっとるな』
「あー、赤織様いらっしゃいませー」
俺が適当に返事をすると、何がおかしかったのか唇の端を持ち上げた。
『だいぶ参ってるな。そのうち熱でも出すんじゃないのか』
そんなに俺が困っているのが楽しいんだろうか。……性格悪い奴。
『他人の不幸はなんとやら、という諺があったろう』
もう駄目だこいつ。心が全然温かくねぇ。血が通ってると思えねぇ……!
赤織様は俺の手元を覗き込んでニヤリと笑い、小声で訊いてきた。
『決めたのか、料理。煮しめは作ってくれるのか?』
「あーはいはい作ります作ります。明日買い物行くから……」
「何を作るんだい?」
ぎくりとする。ばーちゃん変なところ勘が冴えてるから。
「別に。宿題の話だよ、工作どうしようって」
「そうかい」
……おい、中三にもなって本気で工作すると思ってんの?
『バレなくてよかったじゃないか。内緒にしときたいんだろう?』
唇に人差し指をあてて笑う赤織様は、やっぱり男とは思えないくらい綺麗だ。
そのままそっぽを向いてやった。