三日前です。
三日前、俺は蒸し暑い実家から逃れるためばーちゃん家に来た。
ここは結構北の方にあって、少なくとも実家よりは涼しい。
涼しければ勉強もはかどるだろうと思って宿題をごっそり抱えて来たのだが……。
「なんだこれ、すっげぇ暑い」
思わず呟いてしまう程暑かった。なるほど、これが異常気象ってヤツか!
ばーちゃん家みたいな古い家にはクーラーなんてハイテクなものはない。せいぜい扇風機だ。
アイスを買いに行こうにも外に出たら俺が溶けてなくなりそうだ。
「なぁばーちゃん、死にそうなくらい暑いんだけど」
そう訴えると、ばーちゃんはハハハと笑って、
「あんたの家の方が暑いだろう」
「だってここはもっと涼しいと思ってた……」
「そうだねぇ、今年は変に暑いねぇ」
口ではそう言う割に、全然暑そうに見えない。
ばーちゃんはいきなり「いいことを思いついた!」と声をあげ、俺に宿題と筆記用具を持たせる。そして自分は『千人灯』と背中に大きく書いてある羽織を持って来た。
どうやら話を聞くと、店の銭湯の方はクーラーがあったらしいのだ。そこなら暑くないから、宿題もできる。
なんだ、そんな場所があるのか。天国じゃないか。
俺はいそいそとばーちゃんについて銭湯へ向かった。
◆
店の中は本当に涼しかった。ばーちゃんが特別にと、売り物のアイスを一つくれる。
「それ食べたらちゃんと宿題しなさいよ」
お母さんかっての。あんた俺のばーちゃんだろ。
そう言うと、ばーちゃんは風呂の掃除をしに行った。
俺はアイスの袋を破って口に入れる。冷たい。バニラ味が口の中に広がり、何とも幸せな気分になる。
やっぱり夏はアイスだよな。
「おおっと……」
クーラーが効いているとはいっても、やっぱり部屋の中ではアイスは溶ける。
溶けて手に垂れそうになったアイスを慌てて舐める。
どんどん溶けるアイスに、少し残念な思いになる。
だって、美味しいものはじっくり味わって食べたいじゃん。
『ほぉ』
急に後ろから声が聞こえてきて、驚いて振り向く。
流れる銀色の長い髪、白い顔、その中で妖しく輝く血のような赤い瞳。
白地に金色の豪華な刺繍を施した高そうな着物に、目と同じ色の真っ赤な羽織。
……誰。
店のドアが開いた音はしなかった。もちろん足音も。
『その気持ちは理解できんでもないな。私も好きなものはじっくり食べる派だ』
「いや、誰も訊いてねぇし」
って、ちょっと待て。俺、さっきそのこと口に出して喋ってたか……?
『心配しなくていい、口に出してはいなかった。顔には出ていたがな』
「えっ」
思わず自分の顔を触る。そしたら笑われた。
「口に出してなかったのに、なんでわかるんだよ」
男はニヤリと笑うと、俺の心臓のあたりにとんっ、と指をおく。
『心が見えた』
……大丈夫かコイツ。
『私にはおかしいところなどない』
うわ、また。
男に気をとられてアイスのことをすっかり忘れていた。
気が付いたのは、アイスが棒から溶けて俺の手にベッチャリとついたときだった。
「あ、あああああ!」
大好物のバニラアイス……。
『お前、それ好きなのか』
「そりゃもう! なのに、あんたのせいで……!」
『私のせいなのか』
「違うっていうのかよ」
もう駄目だ、コイツ。俺、コイツと友達になれる気がしない。
とりあえず手を洗ってこようと腰を上げる。
その時、ばーちゃんが風呂の方からひょいと顔を出した。
「どうしたんだい? 宮ノ佑。大声出して」
そう言いながら俺の後ろにふっと目をやって、固まる。
「赤織様! どうしたんです?」
「え、ばーちゃん知り合いなの、こいつと」
俺の言葉に目を吊り上げるばーちゃん。え、何か悪いこと言った?
「赤織様に対してこいつとはないんだい! この方は妖怪の中で一番位の高い方だよ!」
……………。
妖怪? 妖怪って、あの、いわゆるお化けみたいに分類されてるヤツ?
どういうこと。え、俺、正直言うとお化けとか心霊現象とか怪談話とかすっごく苦手なんだけど。
というか、普通に信じないでしょ、そんなもの。
『……お前、信じてないだろう』
「当たり前だろ! よ、妖怪なんて」
『怖いのか』
「そんなことねぇ!」
『そうか?』
性格が悪そうな笑顔だなぁと思っていたら、赤織様が不意に右腕を横にのばす。
ぱちんと指を鳴らすと、その人差し指に小さい青い火の玉がついた。
「は? いや、なんでこっちくるんだよ! おい!」
そのまま赤織様は俺の方にずんずん歩いてくる。ちょっと、マジ駄目だって。怖い、怖すぎるって!
「こっち来んなって!」
無我夢中で腕を振り回すと、確かにヤツに当たった感覚があった。
ただ、一つだけやっちまったと思うことが一つ。
「ご、ごめん」
アイスがべったりとついた手で思いっきり綺麗な着物を汚してしまったことだ。
ばーちゃんが何とも言えないような声を出していたような気がする。
でも肝心の赤織様は大して気にした様子もなく、呑気に汚れた着物を見る。
『あーいいぞ、別に。そろそろこれにも飽きてきたところだったしな』
その声音にほっとしつつも、ちらりとばーちゃんに視線を送る。
なんだかものすごいオーラを放っている気がする。
「宮ノ佑!」
「はいっ!」
幼い頃からの躾で、最高に人が怒っている時には反射的に返事をしてしまう。
「あんた、夏休み中バイトしてその着物代返しな!」
一度言い出したばーちゃんに逆らうなんて、ウサギがトラを狩って食べるようなものだ。
何も言えず、俺はこのお化け屋敷銭湯で夏休みの間バイトをすることになってしまった。
◆
と、まぁ、こんな感じで俺は今番台にいる訳だが。本音を言うと、怖くてたまらない。情けないけど。
俺は思いっきり自分の頬を叩き、気合いを入れる。
そしてシャープペンシルを持ち、宿題を捲る。
数学はあまり得意じゃないねぇんだけど……。
なんだかさっきとは違い、今はやる気と気合いでいっぱいだった。