バイトです。
中学三年生の夏休み。
普通なら、受験に向けて必死で勉強しているだろう。
でも俺は銭湯の番台にいた。
◆
元々は俺が悪い。わかってる。
でも、
「こりゃねーよ、ばーちゃん!」
テレビの前のソファに陣取り、売り物(のはずだ)のアイスをばりばりと噛み砕くばーちゃんに思わず文句を言う。
ばーちゃんは振り返り、ニィと笑った。銀歯一つない綺麗な歯がちらりと見えた。
まったく、だいぶいい歳な筈なのに歯と知恵だけはいつまでも衰えない。
「いいじゃないか。ここまで来て文句言うなんて男らしくないね宮ノ佑。客が来ない間は宿題やっといていいぞって言った筈だが」
「だからって!」
何が悲しくてこんな田舎の寂れた銭湯の手伝いなんてしなきゃなんねーんだよ!
そう叫んだら、ばーちゃんに全力で殴られたことがあるから言わない。
「大丈夫、ほとんどの客は夜しか来んよ」
「じゃあこれは客じゃねぇのかよ!」
牛乳を売っている冷蔵庫の上で、でっぷりとした猫が眠っている。これが普通の猫ならいいんだ、普通のなら。
『嫌だわ、あたしを”これ”扱いなんて。これでも結構偉いのよぅ?』
ねちっこい喋り方で猫がこっちを向く。額には赤い模様。目は金色と瑠璃色。
よっこらせと立ち上がり、冷蔵庫から飛び降りる……というよりは落っこちる。
床に足がついた瞬間、猫は小さな愛らしい女の子へと姿を変えた。額の模様と、目の色はそのまま。だが、さっきの猫と同じなのはそこくらいで、デブ猫の面影はどこにもない。
そして俺の方にトコトコと歩いてくる。
思わず後ずさる俺を、ばーちゃんがおかしそうに笑う。
「何で妖怪に敬意を払って対応しなきゃなんねーんだよ。俺はこんなの認めない!」
しっしと手で追いやると、猫はまた冷蔵庫の上へと戻り姿を変える。
『くっく、初々しいわね。いじりがいがあるわぁ。宮ノ佑だっけ? じゃあこれから”みーやん”って呼んであ、げ、る』
「うるせぇ!」
気にしていないのか、猫はそのまま昼寝に入ってしまった。
「さっきの質問だがの」
ばーちゃんの声でようやくさっき自分が質問したことを思い出す。
「その猫はウチの銭湯の守り神だよ。だからあまり邪険にしないことだね」
「っ、ああ、もう!」
守り神って……変にいじめて機嫌損ねたらこの銭湯大変な事になるってこと?
本気で帰りたい……。
番台に置いた宿題を捲ってみるが、やる気が出ない。憂鬱な気持ちがどんどん募ってくる。
とにかくなんなんだこの異常な銭湯は。
っていうか妖怪って……! ここに来て三日目だが、まだ慣れない。
「まぁ、番台当番一日目だからってそうそう気張んなさんな」
「気張ってねぇよ。寧ろ帰りたいよ」
というか、ばーちゃんは平気なのか?
この銭湯はじーちゃんがやっていたもので、じーちゃんが十年前に死んでしまってからはばーちゃんが引き継いやっていた筈だ。
俺だって何度か入ったことがあるが、その時はまだこんな変なものはいなかった。
「赤織様だよ」
聞いてみると、即答で返事が返ってきた。
「赤織様はねウチの常連だったんだよ。それはそれは位の高い妖怪様でね。人だと思って接客してたら妖怪だって言うじゃないか。しかも『ここの風呂は気持ちがいいから妖怪専用にしたらどうか』って言うからさぁ、その通りにしちまったよ」
「そんな偉いからって言うこと聞く必要ないだろ」
「それがねぇ」
ばーちゃんが唇をつり上げる。お化けみたいだ。
「いい男なんだよねぇ。なんか赤織様見てたら他のことなんてどうでもよくなっちまうんだよ。だから他の奴らもあまり気にならないね」
……アホか。その歳で面食いって、どんなだよ。
いや、確かに男とは思えない程綺麗な顔してたけど。
何で俺がこんなお化け銭湯で番台をやってる(もとい、やらされている)のか。
その理由を知りたいのなら、三日前にさかのぼらなくては。
ばーちゃんの見るテレビのお笑い番組から聞こえてくる爆笑の声を聞きながら、俺は記憶をひっくり返す。
連載始めちゃいました。
更新が遅くなるかもですが、お付き合いして下さると嬉しいです。