エピソード(前編)
十年前の物語です。
カルヴィスとメデューサの出会いです。
メデューサ視点です。
妾はため息を漏らす。
「退屈じゃな」
応える者はいない。この世界には妾の他に、生物などいない。
かつて人間だった頃の、一度殺された時を回想する。
はるかな昔、覚醒者となり、その美貌と実力で【世界最高の呪術師】と謳われていたあの頃。
ある日、暗殺者に瀕死の重傷を負わされ、生死の境を彷徨った。
暗殺者を雇ったのが自分に言い寄ってきた男だと知り、怒りと生への執着で魔人化した。
その時に、妾は髪を蛇に変えた。
もう、自分の恵まれすぎた容姿に吸い寄せられる虫がなくなるように。
ただ、親からもらった顔や身体を変えたくはなかった。
だから、髪だけ変化させた。
魔人化したことに、それほど後悔はしなかった。ただ、暗殺者への対策を怠ったことのみ後悔した。
もっとも後悔は短い間だった。妾は即座に復讐を決行する。
暗殺者と依頼人はどちらも恐怖を味わわせてから、石化させた。
ただ、その依頼人の身分がまずかった。今は当然ながら滅んでいるが、とある王国の王子だった。
王国全体が怒りに震え、妾へ大軍が仕向けられた。
彼女は多くの兵を石化させたが、さすがに敵兵の数が多すぎた。
矢に射抜かれ、槍に貫かれ、剣に斬られ、魔力の大半を再生に使い果たした。
存在維持ギリギリの状態で、創造していた夢の世界、夢幻界へ撤退した。
最後に自分を一刀両断にした兵は勇者と讃えられたことを後に知った。その兵を最初の眠り病の犠牲者としたときに。
この世界へ召還した魂は、彼女の意のままにできる。その記憶を盗み見ることなど造作もない。
さらに、その事件がきっかけに悲劇の勇者と忍ばれたことも、別の兵を眠り病の生贄にしたときに知った。
当然ながら、妾との関連を疑った者はいるが、対処法など見つけようもなかった。
まぁ、当然じゃの。隔絶した異世界にいるのじゃから。
妾が死ぬことで発動する最後の呪いなどと噂が流れたようだが、真相を手繰り寄せる者は皆無だった。
妾は魔人化してからは、一貫して石化の呪いしか使わなかった。
強大無比となる魔人化の代償に、石化の呪いしか使えなくなったと思わせた。
ゆえに、妾と眠り病の関連を疑う者はいても、魔人メデューサ本人の呪いと思い至る者はいなかったのだ。当時では、魔人についての知識はそれほど根付いていなかったのも幸いだったかもしれぬ。
眠り病。
それを思いつくきっかけとなったのが精神界である。
妾はもう現実界の生を望めない。
なので、自らが創造主となるため、意識改革。魔術による夢の世界、夢幻界を構築した。
妾はあらゆる反撃を予防していたが、全てが予想以上にうまくいってしまった。反撃などただの一度もなかったのだ。
永遠にも思える永い間、支配下に置いた者たちの記憶を眺めながら漫然と時を過ごしていた。
しかし、その世界に異分子が入りこんだ。
正確には、また一人眠り病の感染者を用意したのだが、その呪いを打ち破った者がいた。奇遇にも神である自分に対して、初の反逆者であった。
衝撃的な事実だったが、妾は込み上げてくる笑いが抑えられない。
「あはははははっ!」
これほど気分が高揚したことは、この世界の神となって初かもしれぬ。
ついに、まみえることが可能なのか?好敵手と。
眠り病は呪いの集合体といえる。四つの呪いから構成されている、妾の最高傑作だ。
一番目は、夢幻召喚。現実界から、生贄となる者の魂を夢幻界へ引きずり込む呪いである。
妾は精神界から帰還したことにより、異界越境という特殊能力を身に付けた。夢幻召喚はその力を利用している。
二番目は、夢幻呪縛。この世界に呪縛する呪いである。
三番目は、魂魄昇華。魂を純粋なエネルギー体へ変質させる呪いである。この呪いにより、人としての記憶も人格も外見もすべて失ってしまうのだ。
四番目は、魂魄吸収。魂をこの世界へ取り込む呪いである。吸収した魂がこの世界の動力源となるのだ。
この手順どおりに呪いは発動し、眠り病は完成する。
今回の反逆者は、夢幻召喚と夢幻呪縛にかかった。つまり、この世界の住民となった。
だが、魂魄昇華の呪いが解呪されたのだ。
呪詛返しが自動的に発動し、妾の魔力が相当量失われる。
魔人である妾には、呪いの効果は発動せず、呪いの威力に比例する魔力が奪われる。
「まずいのう」
三番目が解呪された段階で、四番目は発動しないよう設定されている。
結果として、この世界に創造主である妾以外に、記憶と人格を持つ魂が存在していることになる。
前代未聞の事件なのだが、妾は不敵に笑う。
「では、会いに行くとしようかの」
非常に楽しみだ。どんな傑物なのか?
夢幻召喚された魂が彷徨う場所、召喚の間へ足を運ぶ。というよりも、神たる妾は一瞬にして到達するが。
三番目の呪いを解除した、この世界で初の異分子を見学に来た。
医師、学者、戦士、王族。あるいは、魔人なのか?いずれにしろ、一流の魔術師であろうと見当をつけていたが、妾の予想はことごとく裏切られた。
不安そうに周囲を見渡しているのは、少年だった。
驚愕。それしかなかった。
まだ子ども。おそらく十にも満たない。こんな子どもに……
少年も、妾に気がついた。
その容貌を見た瞬間、少年の顔には隠しようのない恐怖が浮かんだ。
「メ、メデューサ……」
「おや?こんな幼子にまで、妾の名が知れ渡っているとは光栄じゃな」
妾は嫣然と微笑むが、少年は顔をひきつらせて後ずさる。
ふむ。髪を一斉に少年へ向けたのは間違いじゃったか。
「眠り病は……魔人メデューサの呪い」
恐怖が高まる少年に反比例して、妾の笑みは深まるばかりだ。
極上の獲物がかかったみたいだ。外見で判断してはいけないとは、この少年を体現する言葉かもしれない。
魔術を修得すると、大魔法円にその魔術の構成が刻まれる。大魔法円にはその人の魔術のすべてが入っているといっても過言ではない。
人間が魔人化すると魔力そのものとなるため、発動用の魔法円が不要となる。
人間は発動用の魔法円を介して、大魔法円は魔力によってつながれているが、魔人は大魔法円と一体化するのだ。不要となるのもうなずける。
動植物において、つまり魔物においても同様だが。
はっきり言えば、人間など魔人の敵ではない。
この少年は自分が呪いに感染したことを認知している。
未知の異世界へ飛ばされ、今までの人生観を根底から覆されたこの状況で、少年は正解を導き出した。
本来であれば、すぐさま人形化している。仮に一時的に防御が間に合ったとしても、我が身にふりかかった災いを再認識すれば絶望するはずだ。
発狂してもおかしくないこの状況で、正しい結論を下した少年がどれほどの才能を秘めているのか興味がつきぬな。
「さて。お主はどうやって妾の呪いを不完全ながらも打ち破れたのじゃ?」
少年は怯えながらも、とっさに身構える。
「ぬし自身の力?それとも、何かの偶然かの?」
そう発言しながらも、妾は後者の可能性を排除している。彼女の眠り病は完璧だ。偶然で破れる代物ではない。
「……」
少年は黙秘を貫いている。というよりも、妾を警戒している。
「名前くらいは教えてくれてもいいじゃろ?」
少年はやや迷う様子を見せたが、妾が促すと「カルヴィス」とだけ返答があった。
「カルヴィス。いい名前じゃな。絶対に忘れぬよ」
忘れるわけがない。敵となりうる初めての相手なのだから。