第十四話「休息」
一日に二回もこの世界へ訪れたのは、今日が初めてだ。
一度目と変わらず、湖のほとり。毎回、景色が変わっていたから、変わらずってのも初めてだな。
今日は初めて尽くしだわ。
そんなことをふと思ったが、よくよく考えると悪いことしかないが。
「よう戻ってきたのう」
メデューサが水辺からこっちへ、ゆったりと歩み寄ってくる。
視線を向けたけど、それだけだ。正直なところ言葉を交わす気力もない。
そいや、強制送還された時は、俺と対等以上なのはお前しかいないとか、言ったっけな。
自嘲する。
結局、【悪鬼】にも妖刀にもいいようにあしらわれただけだ。
俺はかけがえのない人を失い、あいつらは五体満足だ。
いつの間にか、メデューサの顔が目の前にあった。
「カルヴィス。お主、大丈夫か?」
俺はそんなにひどい顔をしているのか?メデューサの表情が曇っている。
「ダメだな」
素直に吐き出された言葉に、メデューサは一瞬唖然とする。
なぜ、そんな顔をするのか?
ノロノロと思考を働かせて、ああと思い至る。
今まで俺は、この魔女に対して弱音を吐いたことなんてなかった。
戦闘において、どれほど形勢不利だろうと、虚勢を張ってでも弱みを見せなかった。
なのに、その俺が至極あっさりと本音を漏らした。多分、初めてだ。
痛ましそうに俺を見つめるメデューサ。でも、それ以上、何も聞いてこない。
何もする気が起きなかったので、メデューサの顔を見つめる。
段々とメデューサの顔が近付いてくる。
真紅の唇がよく見える。
俺のと重なった。
やわらかい。
「よけないのう」
嬉しさといたましさが同居したような、なんとも言えないような表情のメデューサ。
「ああ。そうだな」
「なれば、妾の好きなようにさせてもらうぞ」
そう言うなり、キスの雨を降らす。
最初は唇が触れるだけ。
しかし、徐々に濃厚な口づけに変わっていった。
それは蹂躙するようでも攻めるようでもない。
この魔女にはありえないことに、慈愛に満ちていた。
キスされたことにも驚いたが、それについても負けず劣らず驚いた。
でも、襲うようなものでなかったら、抵抗しなかった。
もう……疲れたからって理由もあるが。
唇が離れ、メデューサがにっこりと笑う。
頭の蛇が一斉に躍りあがる。
あ?殺られる?
一瞬、そう思ったけど、蛇はどれも俺を見ていない。
なんだ?
顔から視線を移す。
蛇から普通の髪の毛に戻った。メデューサの身長よりも長い、艶やかな深緑の髪へ。
今のメデューサは、もはや魔人ではなく、人間に見える。
「は?」
すごく間抜けな声を出したと我ながら思う。
「どうしたのじゃ?見惚れておるようじゃが」
メデューサが面白がるように問いかけてくる。
「いや、まぁ。確かにきれいだわ……」
咄嗟に口から出てきた言葉は、今までのように肩肘張った返答ではなかった。
魔女ともあろう者が挙動不審になった。称賛されるとは本気で思わなかったんだろう。顔がみるみる真っ赤になった。
「どうした?動揺してるみたいだけど」
「ふん!まぁよい。お主の唇は手に入れた。第一目標は達成じゃ」
急ににんまりと邪悪な笑みを浮かべる。
「あー……第一って?」
恐る恐る問いかけると、我が意を得たりとうなずく。
「うむ。当面の目標じゃ。ちなみに、第二の目標はお主の心を手に入れること。この段階で、妾なしでは生きられなくなるぞ?
固まる俺。
「そして、第三にして最終目標がお主を魔人化させること。そうなれば、妾と未来永劫一緒じゃ」
「えーと、できんのか?そんなこと」
本気で言ってるものの、強制する気はなさそうだ。本物の恐怖は感じないが、感じないのだが、対応に困る。
「妾に不可能はないっ!」
堂々とした物言いだな……
「なんつーか、自意識過剰もそこまでいけば、立派だと思えてくるな」
いっそ清々しささえ感じられてきた。
「うむ。ついに妾の虜となったか。よきかなよきかな」
ため息が漏れる。まぁ、元気づけてくれてんだよな。目がマジっぽいけど。
「で、結局さ、その髪はどうしたんだよ?」
「聞いてくれるか!聞いてくれたのはお主が初めてじゃ……実はの、妾はある邪悪な魔術師によって、無理やり魔人にされてしまったのじゃ」
メデューサが瞳を潤ませる。辛そうに語り始めた。見事な泣き真似だ。
「その際に呪いもかけられてしもうた。その呪いを解く唯一の方法が、真なる愛に目覚め、聖なる口づけを交わすことじゃった」
絶望に打ちひしがれたような声で物語を紡ぐ。
「妾はどん底まで突き落とされた。じゃが、ついに巡り会えた。運命の人と」
そうか。それはよかったな。
「お前、演技力はクソだな」
「むぅ。さすがに無理があったか……」
メデューサが頬を膨らませる。
「誰のおかげで、俺が呪いに強くなったと思ってんだよ。目の前の相手が呪われてるかどうかなんて、一瞬で判断できるっての」
ため息をついて、
「で、本当のとこは?」
「秘密じゃ。謎が多い女ですまんがの――」
最後まで言い終わる前に、強引に口を塞いだ。唇を離すと、
「せ、積極的じゃな」
「よくよく考えたら、お前に遠慮する理由がねーしな」
珍しく慌てるメデューサに、我ながら余裕をもって反論して覆いかぶさった。
どれくらい時間が経ったのか?
俺たちは抱き合って寝転がっていた。
「不思議なもんだな。こんなことになるとは夢にも思わなかった」
「そうじゃのう。長生きはしてみるものじゃな」
メデューサの髪を撫でると、顔を俺の胸へ寄せてきた。
「後悔しておるか?魔人である妾とこんな関係になってしもうて」
「いや」
俺はゆっくりと体を起こす。自然、メデューサも起きる。
「ありがとな。おかげで、少しは元気になったと思う」
メデューサは微笑を浮かべた。
「じゃ、戻るわ。やらなきゃなんねーことがあるから」
メデューサは何も聞かない。ただ、頷き、
「またの」
「ああ。また明日」
現実界に戻ったが、俺はしばらくベッドの上にいた。
上半身は起こし、背は壁に預けた。
もう、あの戦いの事後処理は終わったのか?
アーサーは帰らぬ人となった。
その事実を改めて思い知る。
また、気が重たくなってきた。否応なく現実を直視しなければならない。
だが――
俺の心は壊れているのかもしれない。
アーサーが倒れたというのに、俺は冷静に、冷徹に、戦い続けた。
俺は……叔父上を恨んでいたのか?死んでほしかったのか?
自らが継ぐはずだった侯爵位を、アーサーにとられたことを密かに妬んでいたのか?
「そんなことはないですよ」
我に返ると、アイリスに抱きしめられていることに気づく。
アイリスが部屋の中に入ってきたことも、想いを口に出していたことにも気づかなかった。
「だって、ホントにそう望んでいたら、そんなに動揺したりしないです」
アイリスが優しく背中をさする。
「こんなにも苦しんだりしない」
声も出なかった。ただ、彼女の背中に手を回す。すがるように。
彼女は抱きしめ返してくれた。強く強く。
そのの温かさが身に染みた。
アイリスを抱きしめながら思う。
彼女に、どれだけ助けられただろう?その優しさに、どれだけ救われただろう?
魔女に魅入られて、親は二度と目覚めぬ眠りに堕ちて。人生を諦めていた。
周囲の人間を、どこか冷めた目で見ていた。
目標を熱く語っている奴。幸せを噛みしめている奴。いろんなのがいたが、意識して視界から外すようにした。
魔術書を調べ、依頼も漁り、でも成果は出ず。
心の奥底では、眠り病を解くことを諦めていた。認めたくないけれど。
そして、ランスロットから生活費を援助してもらっていくうちに、甘えが出てたんだな。
それで、俺が死ぬなら自業自得なのに、代償を払うのは俺じゃなかった。
「アイリス、ありがとう……」
「ううん。気にしないでください。私はあなたのそばにいます。いつまでも」
彼女は優しく微笑んだ。
「俺はいつ死ぬか分かんない。そんな無理しなくても――」
「私は命令されてここにいるのではありません!私の意志で、私自身がここにいたくているのです」
普段は俺を立ててくれるのに、今日は語調が強い。
「あなたがいなくなったら、私が生きる意味もなくなります」
「そんな重たく考える必要はないぞ?第二の人生を歩んでくれても」
俺は縛られて生きている。その辛さを知っているからこそ、俺に縛られて生きてほしくない。
「私も、父も母も、死ぬはずでした。すべてに見捨てられて。でも、あなたが救ってくれた。それでどんなに救われたか、今までのようにこれからも行動で示していきます。何を言われようと」
実は、そういう答えを期待していたのかもしれない。目頭が熱くなった。
「控え目に言って、最高の女だな」
「ようやく気づいくれましたね」
一転してうれしそうな顔になった。
しばらく眺めていたいと思ったけど、不意に睡魔が襲ってきた。魂がもってかれる眠り病の方じゃなく、純粋な身体を休めるための睡眠だ。
「悪い……少し……寝るわ」
「ええ。おやすみなさい。カル」
今は休む。
起きたら、反撃を始めてやる。