第十一話「封印術」
俺はベッドから飛び起きた。
「カル!嘘……」
アイリスに呼ばれたことは気づいたが、反応する余裕がなかった。
今しがた、俺はメデューサ―の夢幻界にいたのに、現実界へ強制的に引き戻された。
戻った瞬間から、圧倒的なプレッシャーが我が身を襲う。気を抜けばそのまま押しつぶされてしまうと錯覚するほどの、強烈な圧迫感だった。
まるで、心そのものを鷲掴みにされたかのようだった。
今までただの一度として揺るがなかった強固な呪いが、あの魔女が創りだした奥義ともいうべき呪術が、実にあっさりと関わることを拒否する。
その事実に、改めて戦慄する。
「カル。まさか……目が覚めたの?」
信じられないものを見るようなアイリスの顔がすぐ近くにあった。彼女もプレッシャーに苛まれているのか、若干顔色が悪い。
【悪鬼】ってのはこれほどなのか。メデューサ以来の恐怖が押し寄せてきた。思わず、悪寒に身震いする。
「ああ。今……何がどうなってる?」
「ガルムを引き連れた【悪鬼】の強襲」
「やっぱりか……」
アイリスのその言葉だけで、何が原因か分かってしまった。
予期していたかのような俺の言葉に、アイリスは怪訝な顔になるが続けてくれた。
「これほどの魔力ですから、閣下とランスロット様、私は気づきました。お二人とも迅速に騎士団と【サジタリアス】を招集し、戦闘準備を整えました」
強襲といっても、迎撃態勢はできてたわけだ。
「ランスロット様がこちらにいらっしゃいましたが、その、カルが眠り病発動中だと知って、諦めてお戻りになりました」
協力を仰ごうとしたんだな。きっと。
「そして、予期せぬ問題が発生しました。」
「何?」
アイリスが震える声で、
「【悪鬼】の刀が超広域防護結界を消滅させました」
アーサー・フローベルの結界が消された?それは初めての事態だ。
思わず聞き返そうとしたが、こんな状況で冗談を言うわけない。
それに、いい加減気づいた。
さっきまでは【悪鬼】の強大な魔力にばかり気を取られていたが、本来アークレイを覆っているはずの結界の魔力が感じられない。それは、アイリスの言葉が紛れもなく事実であることを意味する。
メデューサの眠り病、強制送還に続き……
ったく。今まで順調すぎたかもしれねーけど、こうも次から次へと色々起きるのかよ。
苛立ちが抑えがたいが、何とか落ち着こうと深呼吸する。もう戦況は動き出してるんだから。
「誰が戦っている?」
「ガルムには、騎士団と【サジタリアス】が。【悪鬼】には……ランスロット様と閣下が」
その時になってようやく、カルヴィスは彼女が魔術を発動していることに気付いた。
「交信相手は伯父上か?」
「はい。ちょっと待ってください」
彼女が手の中の魔法円を操作する。すると、俺も交信対象に加わった。
『アイリス、どうしたのだ?黙り込んで』
アーサーの声が届いてきた。
彼女の交信術は使い勝手が非常にいい。複数の交信対象者が彼女を経由して交信することも、今では問題なくできるようになっていた。
【悪鬼】と戦うのは厳しいと判断して、アイリスの魔力操作を要請したのか?どんな理由にせよ助かった。これで、状況の把握が迅速にできる。
『おはよう。伯父上』
『カ、カルヴィス!』
顔を合わせていないが、アーサーが驚愕していることが手に取るように分かる。
『お前……大丈夫なのか?』
『寝てる場合じゃなかったですね。そこにいる化け物の魔力に当てられて、跳ね起きました』
アーサーはしばらく黙りこんでいたが、
『なるほどな。実際手合わせしてみると、そうなってもおかしくないと思えてしまう』
その言葉に、俺の緊迫感も増す。メデューサの眠り病が強制解除されたのは、人生初なんだ。それほどの異常事態を受け入れてしまうほど【悪鬼】は強大なのか?
『今、どんな感じですか?』
『何とか凌いではいるが、私一人ではどうにもならなかっただろうな』
アーサーが率直に負けを認めている。俺は驚きを隠せない。ランスロットとアイリスもいるのに、膠着状態っていうのかよ。
『こいつは黒炎だけではない。疾風迅雷と思わされるほどのスピードを誇る。アイリスの魔力操作からの干渉によって、幻術は阻止できているが、肉弾戦だけでも殺されそうだ』
俺は即座に立ち上がる。眠り病から生還した時に襲われる倦怠感はない。強制的に眠り病が解除されたせいか、あるいはプレッシャーで吹き飛んだか。
前者はないかもしれないが、後者は絶対にあるな。
『とりあえず、そっちに行きます』
『……分かった。頼む』
アーサーは迷いながらも受け入れる。
『魔人化が失敗したのか、こいつには理性がない。ただ、破壊衝動に突き動かされているだけ。だから、駆け引きなど通じない。おそらく、どちらかが死ぬまで終わらない』
アーサーの交信に、了解の意を示す。
アイリスへ向き直る。彼女は不安げだったが頷く。
「気をつけてください」
「ああ」
今の話を聞く限り、【悪鬼】と戦ううえで彼女の力は不可欠だ。
幻術を対処しつつ、高速戦闘をこなさなきゃならないんだから。
俺は魔術なら驚異的なスピードを誇るが、戦いは不得意な方だ。眠り病のために身体を鍛える時間がとれないのだから仕方ない。言い訳かもしれないけど。
装備を整え、早々に部屋を後にした。
『市民の避難が間に合いませんでした。なので、家や避難所から一歩も外へ出ないよう厳命が下っています』
結界があるゆえに、誰もが油断してしまった結果だな。
苦々しく舌打ちしながらも街へ出た。
幸いなことに、市民と遭遇することはなかった。
喊声が聞こえてくる方角へ向けて一直線に駆け抜ける。
やがて、一つの戦場にたどり着く。
【サジタリアス】とガルム三体。
エレインと名前を知らない団員二名だ。一人一体相手にしてるが、捌ききれてない。
ガルムが俺に気づいた。二体向かってくる。
『アイリス!ガルムが二体来たっ!封印術を使うぞ!』
『っ!分かりました』
両手に魔法円、ホワイトホールを展開する。
それを左右から襲いかかってきたガルムに向ける。左のガルムは大地を疾走して。右のは跳躍して。
ホワイトホールから放たれる白き光がそれぞれのガルムを捉える。光と接触した途端、二体のガルムは硬直した。しかも、右のは空中で。
【サジタリアス】が瞠目してる様を、視界の端で捉えた。
数秒後、二体のガルムは跡形もなく消滅した。さっきまで存在していたことが嘘のように。
『助かった』
『いえ』
今の魔術は、防御型の一つ、封印術。特殊型に匹敵するほどの希少な型だ。
防護術はアーサーのそれを、白刃はランスロットの武器創造を参考にした。
そして、封印術はアイリスの魔力操作を見て、閃いた。これは、解呪を発展させた魔術といってもいい。
効果は、対象者の魔力と同調し、文字通り封印するものだ。
解呪では、呪いの構成を見切った後に、その魔術を鎮静・停止させる。
しかし、封印術においては、魔力そのものを停止させる。
ただの人間であれば、魔術が使えなくなるだけだ。俺が解除するまで。あるいは、死ぬまで。
エレインとの決闘においても、俺はこの魔術を使って、瞬間的に彼女の魔力を封じた。結果として身体能力強化の魔術は一度消失したのだった。
人間相手ではその程度の効力しか発揮しないが、それが魔人や魔物であった場合、効果は絶大なまでに変わる。
魔力そのものと化した魔人相手に、封印術を行使した場合、魔人は消滅する。
【レオ】の称号をいただく原因となった魔人で、確認済みだ。
本来なら、俺は封印術を発動するには、他の魔術は使えない。だが、アイリスの魔力操作に助けてもらえば、防護術や白刃を併用できる。今回のように、二つの封印術を同時発動なんてこともできる。
さすがに驚いたのか、残ったガルムも動きを止めて警戒している。
そのおかげで、周りを見渡す余裕ができた。
エレイン以外の【サジタリアス】の団員は、男と女が一人ずつだ。エレインと女性団員は軽傷だったが、男性団員が腹部から出血している。手で押さえているが、浅くはない。ヘマをしたのか、女を庇ったのか。
「その男を治療してほしいなら、ガルムの相手はお前ら二人でやれ」
封印術を二発もこなしたから、魔力をそこそこ消耗した。ガルムの相手より、治療術を使う方がまだ回復できる。
二人の女が無言でガルムを牽制する。
それを一瞥すると、気丈に立っている男性団員へ近づく。
前回、見殺しにしたからか、治療されると思ってなかったんだろう。目を見張っている。
眠り病だったからと弁解する気はない。俺は目も合わせずに、魔術を発動する。ホワイトホールを出現させて腹部に近づける、治癒の光を放射させた。
数分後、負傷は完治した。
「すまない」
「俺は【悪鬼】のところに行かなきゃなんねー。あれの相手はお前らでやっとけ」
ガルムの方へあごをしゃくると、男は頷き、二人の仲間のもとへ駆けつけた。
エレインが口を開いたが、俺は構わずに走り出した。