異変・1
それからしばらくの間、カレンは穏やかな日々を送っていた。セリーナが実家に戻り、ブラッドは心配事が一つ消え、表情が明るくなった。
セリーナとブラッドの結婚はなくなったらしいと人々は噂し、代わりにブラッドとカレンが恋人になったという噂が流れた。夕食をしょっちゅう二人きりで食べていることは騎士達に知られている。他にもカレンがブラッドの訓練を見学に来たり、ブラッドがカレンと一緒に馬にブラシをかけていたりと、二人の姿を見ていればそれがただの護衛騎士と聖女の関係ではないことは一目瞭然である。
平和な中でも、次の魔物討伐に向けての準備も進んでいる。ブラッドも町の外に監視に出かけたりと忙しい毎日を送っていた。
そんなある日、ブラッドとエリックは訓練場で剣の訓練に励んだ後、二人で休憩しながら世間話をしていた。訓練場の中央では、他の騎士達が模擬剣を使った試合をしていて、他の騎士達がそれぞれ声を張り上げて応援したりしている。
「ん? あれって、セリーナ様の侍女だよね?」
エリックはこちらに向かってくる女性を見つけ、ブラッドに尋ねた。ブラッドは試合をしている騎士達を眺めていたが、エリックの言葉に女性の方に目をやる。
「そうだな、あれはセリーナ様の侍女、コートニーだ。こんな所に来るなんて珍しいな」
コートニーはブラッドとエリックの姿に気づくと、足を速めてやってきた。
「ブラッド様、エリック様……突然こちらに押し掛けてしまい申し訳ありません」
コートニーは手に小さな小包を持ち、その顔色は冴えない。コートニーの様子がおかしいことに、ブラッドとエリックは怪訝な表情で顔を見合わせる。
「どうしたんだ? 何か急用か?」
「ブラッド様……じ、実は至急お伝えしたいことがありまして……」
小包を持つコートニーの手が微かに震えていた。
「ブラッド、彼女を中に案内しよう」
「ああ、そうだな」
何か重要な話をしようとしているコートニーを、ブラッドとエリックは騎士団の館の中に案内した。
♢♢♢
ブラッドの副団長室に、ブラッドとエリック、そしてコートニーの三人が入った。ブラッドは従騎士アルドに「誰も近づけさせるな」と言い、扉を閉める。
三人はブラッドの大きな机のそばに立っていて、机の上に置かれた小包に目を落としている。
「……セリーナ様のご実家からは、明日には教会に戻る予定だと手紙が届いておりました」
「俺も聞いている。ひと月は戻らないだろうと聞いていたんだが、随分早く戻られるとは思っていた」
ブラッドはコートニーに頷く。
「コートニー、この小包は?」
エリックは小さな小包を指さした。それは手のひらに乗るくらいの大きさで、既に一度開けられた跡がある。
「……それは、セリーナ様がご実家に戻られてすぐに、私宛に届いたものです」
コートニーは震える手で小包を開けた。そこにはとても小さなガラスの小瓶が一つと、折りたたまれた一枚の紙が入っていた。
「何だ? これは」
ブラッドは小瓶を見て眉をひそめる。小瓶には透明な液体が入っているようだ。
「これが届いた時、セリーナ様のメッセージも添えられていました……」
コートニーは折りたたまれた紙を取り出し、震える手でブラッドに差し出した。ブラッドはそれを受け取り、開いてエリックと一緒に中身を読んだ。
『これはカレン様への贈り物のバラのエキスです。紅茶に入れるといいと聞きます。私が教会に戻った時に感想を聞きたいので、ぜひ私が戻るまでにカレン様にこのバラのエキスを試してください』
「確かに、この字はセリーナ様のものだが……」
ブラッドの眉間の皺が深くなる。
「バラの香りはするけど弱いね。中身は何か別のものだね?」
エリックは小瓶の蓋を開けて匂いを嗅いだ後、厳しい声でコートニーに尋ねる。コートニーは今にも泣きだしそうになりながら、顔を上げた。
「私は……この小瓶を怪しいと思いました。セリーナ様が突然、カレン様に贈り物だなんておかしいと……ですから私、教会の治癒師に中身を調べていただいたのです」
「治癒師はあらゆる薬に詳しいからな」
ブラッドは睨むように小瓶を見つめる。
「治癒師からは、これの中身は毒薬だったと言われました」
「毒薬……!? だが聖女は自己治癒力がある。特にカレンはその力が大きいんだ。毒では死なないはずだ」
「通常の毒薬では、そうです。ですがこの薬は、口にすればあっという間に体が麻痺し、聖女の自己治癒力でも間に合わないうちに死に至るそうです。恐らくカレン様でも……。治癒師はこの毒薬を『魔女の涙』だと仰いました」
「魔女の涙だって……?」
エリックは焦った顔でブラッドを見た。
「……魔女が作ったとされる薬だな。何故セリーナ様が魔女の涙を持っているんだ? 彼女はどこで薬を手に入れた?」
怒りの表情のブラッドに詰め寄られたコートニーは、涙を流していた。
「わ……私には分かりかねます……私は、セリーナ様がこんな恐ろしいものを用意したことが信じられなくて……どうしても私は、カレン様にこれを飲ませることができませんでした。ずっと隠し持っていたのですが、明日セリーナ様が戻られますし、もうこれ以上黙ってはいられないと思い……」
泣きじゃくるコートニーを、エリックは優しく慰める。
「よく話してくれたね、コートニー」
ブラッドも少し膝を下げ、コートニーと視線を合わせた。
「あなたはカレンを救ったんだ。あなたのことは必ず我がアウリス騎士団が守るから、心配しないで欲しい」
コートニーはブラッドを見つめ、再び顔をくしゃくしゃにして泣きだした。
「私はセリーナ様のことを尊敬しておりました……筆頭聖女であるセリーナ様は私の誇りでした……それなのに、セリーナ様がカレン様を……カレン様の命を奪おうとするとは……あの方はもはや、聖女ではありません」
ブラッドとエリックは、困惑した顔でお互い目を合わせた。




