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王子の理屈

 カレンは、憂鬱だった。


 今夜の夕食を二人で食べようとエリックに誘われたのだ。騎士団の食堂で夕食を取ることを拒否し、部屋で一人で食べていたカレンに、エリックが「食堂で食べるのが嫌なら、僕と一緒に食べよう」と誘って来た。エリックは口調こそ穏やかだが、こうと決めると強引で、拒否することを許さない所がある。


 従騎士ローランと一緒に、どこに連れて行かれるのだろうと思いながら廊下を歩く。やがて二人はエリックの執務室の前に着いた。エリックは王子だけあって、彼専用の執務室を持っている。


「ここで食べるの?」

 カレンが不思議そうな顔をローランに向ける。

「はい! もう支度はできていますよ」


 ローランが扉を開けてカレンを執務室の中に案内する。カレンがここに入るのは初めてだ。ブラッドの副団長室よりも狭いが、大きな机と沢山の本が並んだ本棚があるのは一緒だ。分厚いカーテンが閉められた窓の前には大きな丸テーブルがあり、テーブルの上には既に二人分の食事がセットされていた。


「どうぞ、おかけください」

 ローランは椅子を引いてカレンを座らせる。

「ありがとう、ローラン」

 ローランはにっこり微笑み「すぐにエリック様が参りますので、少々お待ちください」と言い残して部屋を出て行った。


「……これなら騎士の食堂で食べた方が良かったかな」

 天井を見上げながらカレンは独り言を呟く。


 王都からの長旅で、エリックとはずっと一緒だった。エリックはカレンが思っていたよりもずっと紳士的な男だった。女性に対して手が早いとの噂だが、旅の間ずっとエリックはカレンを気遣い、必要以上に近づいてこなかった。宿に着いてからは、ブラッドの弟ジェフリーがカレンのそばにピッタリ付いていたので、エリックと常にべったりというわけでもなかった。


 以前はカレンをからかうようなことばかり言っていたエリックが、急にカレンに対して誠実に振舞うようになったのは、カレンが聖女になり立場が変わったからだろう。


(まあ、私に興味がないってことなんだろうけど)


 聖女として大切に扱われているのは有り難いが、なんだか調子が狂う毎日だ。




 テーブルに着いて待っていると、ドアがバタンと開いてようやくエリックとローランがやってきた。

「ごめんね、お待たせ」

 エリックは少し息を切らせ、ローランが引いた椅子に腰かける。


「ローラン、後はいいよ。君も食事をしておいで」

「はい、エリック様。それでは僕は失礼しますね、カレン様もごゆっくり」

 ローランはカレンに微笑み、部屋を出て行った。


「さて、食べようか。お腹空いたでしょ?」

 エリックは微笑みながらナプキンを広げた。カレンもナプキンを広げて膝に置き、二人だけの奇妙なディナーが始まった。


「カレンは食堂で食べるのがどうやら嫌みたいだから。だったら僕もそれにつき合おうかなと思ってさ」

「すみません、嫌ってわけじゃないんですけど……」

 二人ですっかり冷めたスープを口に運ぶ。他の料理も全部冷めているのに、エリックは全く気にする様子もなく、楽しそうに過ごしていた。ノクティアで領主ダリオンの屋敷に行った時のことを、エリックは面白おかしくカレンに話して聞かせた。




「……ノクティアにはいい温泉があちこちに湧いててね。ダリオン叔父さんの屋敷には、温泉のお湯を引いた大きなお風呂があるんだよ」

「温泉があるんですか!? いいなあ。日本にも沢山温泉があるんですよ」

 カレンは目を輝かせながらエリックの話を聞いている。

「カレンの国にも温泉があるんだね。ダリオン叔父さんの所のお風呂は最高だよ、広いしマッサージの女性達もみんな綺麗だし」


「お風呂でマッサージ?」

「そうだよ。香油をたっぷり塗って全身をこう……」

 そこまで言った所で、エリックはカレンが冷たい表情になっていることに気づいた。


「お風呂で女性にマッサージしてもらうのって、みんなやってもらうことなんですか?」

 エリックはごまかすように水を一口飲んだ。

「……みんなってわけじゃないよ、断る奴もいるし。でも別に変なことしてるわけじゃないよ? 彼女らはそういう仕事なんだ。男性だけじゃなく、女性も同じようにやってもらうし……」


「ああ、そういう感じですか。てっきり私エロいことしてもらうやつかと思って」

「エロい?」

「あー……ええと……男と女の、その……」

 エリックはカレンの気まずそうな顔を見て、ようやく意味を理解すると苦笑いした。


「まあ正直言って、そういう目的で女性を呼ぶ場合もあるのは確かだね。特に町の公衆浴場なんかでは多いみたいで、商売になってるくらいだから」

「やっぱりそうですか」

 カレンは(どこの世界も一緒だな……)と眉をひそめながら水に手を伸ばす。


「……カレンの国では、こういうことは非常識なのかな?」

 エリックは困ったような顔でカレンを見た。

「非常識というわけじゃないんですけど……ちょっとびっくりしただけです」


「そうか……じゃあ、もうマッサージをしてもらうのはやめるよ」

「どうしてですか? 別に、変なことしてるわけじゃないんでしょ?」

 エリックの言葉にカレンは戸惑っている。


「カレンが嫌な思いをするなら、もうしないよ」

 エリックは微笑みながらパンを手に取る。

「護衛騎士だからって、そんなに私に合わせなくても大丈夫ですよ。エリック様は今まで通りにしてください。今日も一緒にご飯食べてくれて有難いですけど、エリック様はこれまで通り、食堂で食べてください」


 エリックはカレンを見て悲しそうな顔をした。

「……僕と一緒に食べるの、嫌だった?」


 カレンはぶわっと体中に嫌な汗をかいた。


「そ、そんなことないですよ! 一緒に食べるのが嫌なんじゃなくて、エリック様に気を使わせるのが嫌なんです」

 エリックはパンを皿の上に置く。


「カレン。ここで言うつもりじゃなかったけど、いい機会だから言うね。王都に君を迎えに行った時、僕は王城で父上に会ったんだ。父上からは、君を妻にしろと言われてる」


 カレンは無言のまま、じっとエリックを見た。

「前に話したよね? 僕はいずれ、アウリスの聖女を妻にすることになる。父上はカレンこそが僕に相応しい聖女だと言ったんだ」


「それで……あなたのお父様の言う通りに、私を妻にしたいってことですか?」

 低い声でカレンはエリックに尋ねる。


「君に、僕の妻になって欲しいと思ってる。でもそれは父上と関係なく、僕の本心だよ」


 エリックは真剣な顔でカレンを見つめていた。いつもにやけたような顔をしている彼が、真っすぐにカレンに訴えている。


「……それは……私が『聖なる炎を持つ聖女』だからでしょ? 私が使用人のままだったら、エリック様は私に結婚を申し込むなんて考えもしないはず」

「それは違うよ、カレン」

 エリックは焦ったように言う。


「君が聖女として目覚める前から、君がアウリスの聖女だったらいいのにって思ってたんだ。だから君が聖女になった時、本当に嬉しかったよ。僕の願いが叶ったんだって思った」


 カレンは目を伏せた。エリックが自分と結婚したいというのは、どうやら本気で言っているようだが……


「じゃあエリック様は、もしも私が聖女じゃなくなっても、私と結婚したいと思いますか?」


 エリックは一瞬目を泳がせた。

「……そんな、仮定の話をしても仕方がないと思うけど」


 カレンはふうっと息を吐いた。

「エリック様。聖女と結婚することが、エリック様にとって大切なことなのは分かります。でもその相手は私じゃありません」


「どうして……? この結婚は君にとってもいい話だよ? 君は結婚する気がないなんて言ってるけど、いずれは騎士の誰かを選ばなきゃいけないんだ。僕なら君に何の不自由もさせないよ。遠い国から来た君のことを守ってあげられるのは、僕しかいないんだよ」


 首を振りながら、カレンはナプキンをテーブルの上に置いた。

「ごめんなさい。エリック様のことは信頼してるし、大切な友人だと思ってます。でも結婚は……この話はもうしないでください」

「待ってよ、カレン……」

 カレンは椅子から立ち上がり、部屋を出て行った。




 一人廊下を歩いていたカレンは、ふと立ち止まった。


「何なのよ……みんな聖女聖女って……」


 カレンは顔を覆い、ポツリと呟いた。

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