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スニーカーで踊る

 三十歳を迎えた僕は気が狂いそうになっていた。

 誰かの所為にしたかったが、ただただ自分の不甲斐無さが原因なのだろう。

 唯一の救いは、眠るのに丁度いい季節ということだけだった。

 雨に散らされた桜が、地面の染みになっていた。



 三十歳を迎えて七日経った日、僕は告白されて告白し返して、そして振られた。

 急転直下。付き合っていた時間は四、五時間に満たないだろう。

 好き、付き合ってと言ってくれた彼女は、まだ人気の無い焼き肉屋の店内で、現実味の無い輝きを放っていた。その瞳は射るように僕を見つめていて、じっと見返すことは憚られた。

 面と向かって人に告白されるのは初めてだった。誰かを好きになっている人は随分美しく見えた。

 好きと口にするのは神秘的に感じた。そもそも彼女が僕にとって女神のようであったからかもしれない。

 三十にもなってろくに恋愛経験の無い僕は、涙が出そうになるくらい嬉しくて、しかしただどぎまぎするしかなかった。



 彼女とは看護学校の同級生だ。去年、初めての実習で一緒のグループになった。

 実習のオリエンテーションで初めて顔を合わせた時から、変な奴と思われたようで弄り倒された。

 というのも、自分の「ゆ」の書き順がおかしかったらしく「変じゃないですか? 変わってるって言われません?」と彼女ともう一人の女子に揶揄された。

 彼女は佐藤さんで、もう一人の方は山田さん。山田さんが隣の席で、小柄な目の大きな可愛らしい子という印象だった。佐藤さんの方は山田さんの向こうの席だったので、遠目からきれいな弄るのを楽しんでいる人という印象だった。

「ゆ」の書き順を、僕はずっと縦の弧を描いてから左下から右へぐるんと膨らみを描き左へ持ってきて最後に跳ねる、といった書き方をしていた。

 長年間違ってきたことを訂正してくれて、十個も違う年下女子に感謝しかなかった。

 そう、二十九歳で入学した僕は、高校卒業したばかりの現役生とは十歳離れている。

 切羽詰まっていた。行き詰っていた。アラサーになって経歴もぼろぼろ、資格も特に持っていない。手に職を付けなければならなかった。

 そこで、看護専門学校に入学した。お金は二年前に亡くなった父親の保険金が自分にも四分の一ほど入ってきていたので、それでしばらくは大丈夫そうだった。

「ゆ」の書き順を指摘した彼女らは、その後のグループワーク中、何度も質問を投げかけてきた。聞かれて面倒に思う内容もあったが、久々に異性に弄られているのがとても心地良かった。

「なんて呼んだらいいですか?」と山田さんに聞かれるも、「なんでもいいよ」と返す。結果、下の名前を文字って「たかぴろ」と呼ばれることになった。

 実習本番はというとみっともない姿のオンパレードだった。昼休憩後に遅刻はするは、記録の書き方はてんでだめだは、始めと終わりの挨拶もなってないはで、憂鬱だった。

 病棟実習最終日、実習時間の最後の方に待機室で記録物を書いていると、前の席の山田さんが振り返って「この後ご飯でも行きますか?」と声をかけてきた。「えっ?」と突然のことに苦い顔をしていると「冗談ですよ、冗談」とすぐ前に向き直った。まだ何も言ってないのにと口惜しく思っていたら、「行きます?」と再度振り返って尋ねられた。とはいえ十個も年が離れているので、「誘ってもらって嬉しいけど、二人で行ってきなよ。二人の方が会話弾むでしょ。それにさっき冗談って言ってたし」「冗談っていうのが冗談じゃないですか」「いいよいいよ、二人で行ってきなって」なんてやり取りをして実習最後の挨拶を終え、更衣室前で別れた。

 別れ際にも特に何もこの後の話はしていなかったので、打ち上げは二人でやるんだろうと思っていたら、着替え終えてスマホを見るとグループラインで「駅前待ち合わせ」と告げられていた。

 夜に差し掛かった町を駅まで一人歩く。十二月の下旬で風がこじんまりとした寒さをたたえていた。

 ライン上では、佐藤さんが「叙々苑希望」などと冗談を言っていた。

 二人に遅れて駅前に着くと、先になか卯に入っているとのことだった。

 店外から中を見ると、奥のカウンター席に並んで座る二人が見えた。

 店に入り、二人の隣に座る。

「遅れてすみません」「奢ってくれるんですか?」「えっ、まあいいけど。二人には感謝してるし」「わーい!」とすぐさま奢ることになった。

 入口の券売機に行き、「好きなのどうぞ」と二人にタッチパネルを促した。

「値段はどれくらいまでいいですか?」「いいよ、あんまり気にしないで」「イクラ丼! 大きいの食べていいですか?」「ちょっとは気にして欲しいけど、それぐらいだったらいいよ」「わーい! あっ、ちょっとカッコよく見えるかも」

 二人ともイクラ丼の大きいサイズを頼んでいた。僕は生ものが苦手なので親子丼にした。

 料理が出来上がるまで並んで座ってたわいもない話をした。主に隣に座る佐藤さんと話した。山田さんはスマホを弄りながら時折話に入ってくる感じだった。

 慣れないことばかりで憂鬱な実習だったが、二人のおかげでいくらか気持ちも和らいだ。だから二人にはとても感謝していた。

 料理が出来上がったので二人の分も運んだ。実習の労いと改めて二人への感謝を伝えて「いただきます」

 食べながら、隣の席の佐藤さんに色恋についてあれやこれや聞かれた。「彼女はいたことあるんですか?」「好きなタイプは?」「結婚願望は?」

「大学時代にちょっと」「優しい人」「できるならしたいけど」からかわれてるみたいで何だか気まずかった。

 あまり人と目を合わせない僕は、隣の佐藤さんの顔もちらちらとしか見られなかった。ただ、彼女が自分の方を見て話してくれているのを感じていた。

 食べ終えて一緒に店を出る。そのまま駅へ行くかと思いきや、駅前の小さな噴水で二人が軽く遊びだした。

 薄暗がりの中、ぽつぽつとライトアップされた噴水は、数秒おきに低い水を噴き上げた。

 スニーカーで踊るかのように無邪気に笑う二人。足先を薄っすら張った水に浸け、舞い上がった水飛沫は二人を夜に際立たせた。

 二人の世界に割り込みたくはなかったが、別れを告げずには帰りづらかったので、二人の傍に恐る恐る近寄った。

「あっ、すいません。お先失礼します。お疲れ様でした」

「じゃーねー、たかぴろー! また明日ー!」

 まだまだ二十歳くらいの二人は、街の灯のような明るさで僕を見送ってくれた。

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