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スウィートカース(Ⅶ):逆吸血鬼・エリーの異世界捕食  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第四話「凝固」
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「凝固」(6)

 幻夢境げんむきょうは、あたたかな夜明けの陽射しに照らされていた。


 カレイドの城が建つムナール山を、とぼとぼと下りてくる人影がある。


 よっつ。


 昏睡するアエネをおぶったエリーと、出血多量のハオンに肩を貸したエドだ。


 となりのハオンへ、エリーは感心した笑顔を投げかけた。


「よくこらえたの、小僧。カレイドの誘惑に最後まで負けなかった」


「あいつと俺をつなぐ見えない呪いの糸の間に、悪いけど何人分もの死霊に防壁になってもらってなんとか……でも、正直に告白すると」


 ハオンは肌寒げな表情をした。


「吸いたくて吸いたくてたまらなかったよ、だれかの血を。陽の光や十字架を見るのもキツかった。あとちょっとでもエリーが遅れてれば、俺が吸血鬼になってたのは疑いようもない」


「強い意思力じゃ。誇れ。うぬはもう一人前の死霊術師ネクロマンサーよ。わらわはもとより、こっちの竜動士ドラグナーの小娘も血の渇きは我慢できんかった」


 祈るようにハオンは弁護した。


「ごめんな、けっきょく最後の最後までアエナが操られっぱなしで。どうか彼女を蔑まないでやってくれ。ことの発端は、俺の力のなさが原因だ」


「過去の因縁を、いまさら蒸し返すつもりはない。ただ、この小娘……」


 エリーは生真面目な目つきになった。


「吸血鬼化は、人間をはるかに超えた呪力の限界値を引き出す。いずれは小娘も、あの高度な竜動呪ドラグーンの才能に目覚めるというわけじゃ。そのときわらわが、あるいは小娘が敵陣に寝返っておらねばよいがな」


「怖いこと言わないでよ……」


 すでに疲弊に満ちた顔色をなお悪くし、ハオンは話題の矛先を変えた。


 一見ひ弱そうに見えるくせに、彼を運ぶエドの力は強い。ハオンはエドへ、興味深げにたずねている。


「え? じゃああんたが、あのとき宮殿の地下牢で俺が降霊させた〝エド〟なの?」


 涼しい面持ちでエドはうなずいた。


「うん。たしかに生き返った」


「タイプ(オー)の武器の形から、人間の姿に戻るまであっという間だったね?」


「ああ。ここまでとても目まぐるしかったよ。微力ながらも今回の戦いのお役に立てたみたいだし、偉大なるハオン師匠には感謝の言葉もない。本当にありがとう」


 鼻の下をかき、ハオンは照れくさそうに笑った。


「ほめても悪霊しかでないぜ、へへ。こりゃますます、メネス先生には成績表の数字を上げてもらわないとな。俺も先生も約束を守った。ルリエも喜ぶよ」


「ルリエ?」


 目を丸くして、エドは問い返した。


「ルリエさん? まさか久灯くとうさんのこと? あの久灯瑠璃絵くとうるりえさんかい?」


「そうだよ。知り合いなの?」


「まあね。彼女はいまどこに?」


 しばし考え込み、ハオンは首を振った。


「わからない……」


「じつは組織ファイアの記録上でもまだ、彼女は逃亡者扱いのままなんだ。最後に消息が確認されたのはイレク・ヴァド決戦の直後だと、黒野くろのさんから聞いてる。また知らないところで悪さをしてなきゃいいけど」


「だいじょうぶ。ルリエなら、メネス先生の指揮下で正義のために活動中さ」


 驚くべき固有名詞を、ハオンは口にした。


「〝カラミティハニーズ〟の一員として、彼女は水面下で未来の悪と戦ってる。いまはたしか……魔法少女まほーしょーじょ、だっけ? の、シヅルというひとのサポートに回ってるって話だ」


「シヅルじゃと?」


 思わず口を挟んだのはエリーだった。


江藤詩鶴えとうしづる……彼女もあれのメンバーなのか?」


 下山する一行をふもとで迎えたのは、ものものしい集団だった。


 首都セレファイスの討伐隊ではないか。狂暴な怪物との戦いにそなえ、大人数の全員が重武装に身を鎧っている。


 よりすぐりの精鋭たちの先頭に見知った顔を認め、ハオンはその名を呼んだ。


「エイベル隊長!」


「よう、ハオン……」


 かわいい後輩の呪士を前にしても、エイベルは剣呑な雰囲気を崩さない。エリーたち四名に順番に睨みをきかせながら、用心深く問う。


「吸血城に入った全員が、無事にお天道様の下を帰ってくる……ってことは、カレイドの野郎は滅びたんだな?」


「心配には及ばん。この中にはもう、吸血鬼の感染者はおらぬ」


 エリーが示してみせた関係者たちの首筋には、すでに噛み跡ひとつない。ようやく利き手を長剣の柄から外したエイベルへ、エリーは告げた。


「城の吸血鬼は、すべて眠りについた。気をつけて調査に入るがよい」


「そうさせてもらう」


 背後の部下たちに合図して警戒を解きつつ、エイベルはつぶやいた。


「よくやった、ハオン、アエネ。そして地球の捜査官エージェントたち。感謝するぜ、邪悪な吸血騎士団を倒してくれたこと」


 エイベルを筆頭に、討伐隊はすみやかに吸血城の探索へ向かった。


 負傷者のアエネとハオンは、都のマクニール総合病院へ急行する馬車へすみやかに乗せられている。名残惜しげにエリーを見つめ、ハオンは心細い声をこぼした。


「また会えるよね、エリー?」


「いいや、期待はするな。どちらかの世界でわれらが顔を合わせるということは、すなわち戦のときじゃ。争いはなきに越したことはない」


「そっか……そうだよね。エリーの本来の住まいはこっちじゃないんだ」


 かたわらで、黄金の海が風にさざめいた。異世界の稲穂の畑だ。青空に舞った数えきれない綿毛の輝きを、エリーは眼帯越しにそっけなく眺めている。


 かすかにエリーの唇はほころんだ。


「そう悲しい顔をするでない。またうまい吸血鬼の話があったら、いつでも知らせよ。なにを置いてもすぐに駆けつける。ゆえにそれまでは、しばしお別れじゃ」


 ハオンの面持ちに、まさしく光は差した。


「わかった! こんどこそエリーのお荷物にならないよう、俺は頑張って修行する! だからエリーも元気でね!」


「ああ。幻夢境げんむきょうの未来は頼んだぞ、若き天才よ」


 じきに馬車は発進し、いつまでも手を振るハオンの姿も遠ざかっていく。


 残った討伐隊から一人、エリーとエドへ歩み寄る人影があった。


 セレファイスの紋章が染め抜かれた外套ローブをなびかせる佇まいは、文字どおり魔法使いであり、どこか洗練された職業人サラリーマンの薫りをもまとっている。慇懃に胸に片手をそえ、青年は挨拶した。


「やあ。はじめまして、ではないね。エリザベート・クタート?」


「だれじゃ、うぬは?」


 疑り深い顔つきをするエリーへ、青年は名乗った。


「ぼくだよ。メネス・アタールだ」


「ほう」


 エリーは片眉をあげた。


「指名手配の顔写真で見て以来じゃ。異世界電話の口調からすると、いかにも怪しい妖術師を想像しておったが?」


「こっちもさ。きみのことは失礼ながら、声が高いだけのお婆さんだと思っていた。まさか現物が、こんなにも見目麗しい美少女だったなんて」


「ふん、おおむね当たりじゃ」


「そちらは、凛々橋恵渡(りりはしえど)さんだね。ついに念願のタイプ(オープン)は完成したか。つねづねルリエから話はうかがってるよ」


 複雑な顔で、エドは返事した。


久灯くとうさんのことだ。またさんざ、ぼくのことを陰でけなしてるんでしょ?」


「そんなことはない。彼女はずっと、きみに一途なままだ」


「はン?」


 聞き逃さなかったのはエリーだった。


「なんじゃエド。うぬ、すでに先約がおったのかえ?」


「いや、それはその……」


 困ったように頭をかき、エドは嘆いた。


「〝星々(ほしぼし)のもの〟に〝逆吸血鬼ザトレータ〟ね。ものすごい方面に人気らしいな、ぼくは」


 乱ぐい歯を光らせ、エリーは不穏な笑いをこしらえた。


久灯瑠璃絵くとうるりえか。忘れぬぞ、その恋敵の名前」


「ところで、余計なことかもしれないが……」


 挙手したメネスは、エリーの服装を指差してたずねた。


「ボロボロだけどその格好、美須賀みすか大付属の制服だろ?」


「おう、くわしいな。さては制服フェチかや、うぬも?」


「その女子高生の制服ほど、いろいろと勇気づけられるものはない。きみもあの学校の生徒なんだね?」


「さよう。五百幾星霜も生きておれば、生徒であったり、ときには臨時の外国語教師であったりもする」


 おそらくはごく近い未来の戦火を遠目に幻視し、メネスは独りごちた。


「フィア、ホシカ、ナコト、ミコ、ルリエ、セラ、シヅル、そして……これで八人だ」


 メネスは、おもむろに右手をさしだした。


「ようこそエリー、〝カラミティハニーズ〟へ。歓迎するよ」


 黙然……


「組織の許しはまだないが、吸血鬼の血が吸えるなら火の中水の中じゃ」


 こころよく手を握りあった二人を、朝日が影法師シルエットに変えた。

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