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スウィートカース(Ⅶ):逆吸血鬼・エリーの異世界捕食  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第四話「凝固」
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「凝固」(4)

 石造りの階段を、エリーが駆け登ったあと……


 場面は戻り、真っ暗闇の地下水路。


 猛スピードで飛び交う蚊人間ガーストの群れの中を、エドは用心深く歩いた。


 進路を閉ざす蚊人間ガーストの兵士へ、拳の宝石を展開して見せる。おお。蚊人間ガーストはおびえたように後退ったではないか。他の虫人も、遠巻きにエドを眺めるだけしかできない。


 エドから放たれる不可解な呪力の正体を、蚊人間ガーストたちは知っていた。


 特別な吸血鬼の魂……宝石の四騎士の核だ。


 だがそんな代物を、なぜこんなからくり人形が所持している?


「わかってくれたようだね。ぼくは敵じゃない」


 秘宝のきらめきに顔を縁取らせながら、エドは蚊人間ガーストの集団へささやいた。


「知ってるよ。きみたちのリーダー、女王様クイーンが苦しんでるんだよね。ここを通してくれさえすれば、解決してみせるよ」


 奇妙な顫動音せんどうおんを鳴らし合って迷ったのち、蚊人間ガーストはためらいがちに道を開けた。


 しばらく進むと、水の迷宮はどんどん通路幅と天井を広げていく。


 やがて、エドがたどり着いたのは漆黒の大空洞だ。これまでと異なるそこは、ひときわ多くの蚊人間ガーストの軍隊に守られている。


 その最奥に、エドはちらりと見た。


 苦しげに地面にへたり込む輝きを。


 それは他の蚊人間ガーストとは違う白い……すきとおった羽の生えた可憐な〝少女〟だった。


 無論、少女は人間ではない。その額からちょこんと生えた触覚と、星のように美しい複眼が証拠だ。


 しかし少女は、うずくまったまま苦しげに呼吸していた。か細い彼女の体にびっしり貼りつくのは、コウモリの形をした七色のアザだ。どう考えてもカレイドのしわざに違いない。吸血王の呪いは、少女を物理的にも魔力的にも真綿で首を絞めるように苛んでいる。


 接近するエドに気づき、〝女王クイーン〟は顔をあげた。その視線は厭悪にあふれ、また疲労感たっぷりだ。


 蝶々の舞い踊るような桃色の声音で、女王は人の言葉を介した。


「……なにものだ?」


 丁重に一礼し、エドは名乗った。


「ぼくは凛々橋恵渡(りりはしえど)。悪い吸血鬼を退治する者さ」


「人間、ではないな。吸血鬼、のにおいもするが違う。わたしに何用か?」


「きみを助けにきた」


「よけいなお世話だ。く失せろ。おまえたち、なぜこんな怪しいやからを通した?」


 母親に叱られて、蚊人間ガーストたちは羽ごとしゅんと落ち込んでいる。


「まあまあ。彼らもなんとか治したいのさ、きみの病を」


 あたりをなだめて、エドは続けた。


「わかるよ、女王様。怒ってるんだよね。身も心も、呪力も痛いんだよね」


「さわるな!」


 さしのべられたエドの手を、女王はガラス細工のような腕ではじいた。ただやはり、ふたたび力なく地面に膝をついてしまう。生命をむしばむカレイドの呪いに悪戦苦闘しながら、女王はいまいましげに愚痴った。


「きさまらのせいだ。きさまら類人猿の身勝手で、わたしの大切な子どもたちは嫌々戦わされている。あいつが、ホーリーがカレイドをそそのかしてからだ。それまで我々は、争いなど好まず平和に暮らしていたのに」


 後頭部をおさえ、エドは悲しげに謝罪した。


「ごめんなさい。でもホーリーは未来からおとずれた敵で、ぼくらは現代で必死にその悪事を食い止めてるんだ。そこのところの区別はわかってくれるよね?」


「そんなことは知っている!」


 女王はまた癇癪を起こした。


「わたしの前にも現れたからな、ホーリーは! わが子どもたちの力を、戦争に貸してほしいだと!? ハっ! そんなふざけた直談判は、即座に断ってやったわ! するとこんどはどうだ! かわりにカレイドを動かして、わたしに封印の呪いをかけるときた! くそ、どいつもこいつも!」


 腹立ちまぎれに地面を叩く女王を、エドは身振り手振りで心配した。


「どうか落ち着いて。体に障るよ。そっか。思ったとおり封印なんだね、その水晶のアザは。ちょっとぼくに見せてみなよ」


「うるさい! 寄るな!」


「そう言わずに。これでも頑張って勉強したんだよ、いろんな封印の解き方を。きみの呪いを払うから、ちょっとばかり触れさせてもらえないかな?」


「おまえたち!」


 女王に指図され、蚊人間ガーストたちはエドを羽交い締めにした。力任せに少年を退がらせる。


 息も絶え絶えに、女王は言い放った。


「消えろ、機械人間。わたしはこれから自害する」


 エドは顔を強張らせた。


「自害? なんで?」


「呪いに束縛されない子どもに、新たな女王の座をたくすためだ。ただし継承までの一定期間、わたしの子どもたちは制御を外れて混乱し、暴走する」


「そんな。それじゃ、なんの関係もない命までもが巻き添えに」


「知ったことか。巻き込まれて、吸血鬼も人間もまとめて滅んでしまえばいい」


 拘束されたまま、エドは残念そうに肩を落とした。


「わかった、ぼくの負けだ。もう放していいよ、帰るから。だけど……」


 立ちふさがる蚊人間ガーストの近衛兵をぬって、エドは女王へ訴えた。


「これだけは知っておいて、女王様。この瞬間にもぼくの恋人は、上の城で命がけで戦っている。カレイドと、その血の呪いに支配された罪なき人々のために。戦争のない未来のために。必死に運命にあらがってるんだ。では、きみたちは? きちんと平和を取り戻すために努力したのかい? 色々とあきらめてないかい?」


「く……」


 押し黙ってしまった女王へ、エドは無表情にうなずいた。


「きょうはお目にかかれて光栄だったよ。ところで、ところでさ、女王様?」


 気だるげに女王は聞き返した。


「なんだ?」


「さっきからずっと気になってたんだけど。頭に引っかかってるそれ、蜘蛛の巣?」


「え?」


 光沢のある自分の髪に、女王はつられて触れた。昆虫の類とはいえ、やはり女性だ。清潔には余念がない。だが、なかなか異物の位置を特定できずに苦労している。


 首を振って、エドは女王を指差した。


「ちがうちがう。もっと下。そこ、ちょっと横。ああもう、やきもきする。それを取るのを手伝ってから帰るよ。かまわないね?」


 女王は、くやしげに歯噛みした。たしかに一般の蚊人間ガーストの手は、こういった細かい作業に向いていない。ましてや身だしなみ用の鏡は、離れた別室にある。


「ふん。わたしに触れる無礼を許してやる。さっさと取れ」


 兵士の合間をくぐり抜けると、エドは女王の頬にそっと手をあてた。


 あっという間に拳の宝石を展開するや、エドはちいさく舌をだしている。


「ごめんね、うそついて。きみはチリひとつない綺麗なままさ」


「!」


「マタドールシステム・タイプ(オープン)基準演算機構オペレーションクラスタ擬人形式ステルススタンスから鍵人形式キーマンスタンス変更シフト……解除開始アンロックスタート


 女王の細身がほのかに光を放つなり、虹色のアザは粒子と化して蒸散した。


 エドの能力によって、カレイドの呪縛は消え去ったのだ。


 唐突に呪力や体力が回復したことは、女王の顔色にみなぎった生気を見ればわかる。水晶コウモリの失せた手足をあぜんと確認する女王へ、エドはささやかにピースサインしてみせた。


「僭越ながら、邪悪なカレイドの封印は解かせてもらったよ」


 やや照れたような、うらめしいような表情で女王はエドを睨みつけた。


「だましたな……」


「かさねがさね、ごめんなさい」


「しかし呪いが解けようが依然、おまえらはわたしの敵だ。わたしたちは、やられた仕打ちを決して忘れない」


 軽く両手を天井へ向け、エドは肩をすくめた。


「そうだね。憎しみを消すまでの力はぼくにもないよ。でもさ。そろそろ呼び戻したほうがいいんじゃないの、城でむりやり働かされてるお子さんたち?」


 女王は、思わせぶりな微苦笑を浮かべた。


「わたしたちは、受けた恩も忘れない」


 ひとつ咳払いし、女王は大きく息を吸い込んだ。人間だったときの癖が抜けきらず、エドは反射的に指で両耳に栓をしている。


「帰ってこい! わたしのかわいい子どもたち!」


 女王の金切り声は、地下世界から吸血城まで大きく駆け抜けた。

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