「凝固」(3)
吸血城の王室は、常闇に覆われていた。
広く敷かれた豪奢な絨毯や、装飾品の数々を照らすのは月光だけしかない。
なぜか王の椅子には、死霊術師のハオンが座らされている。越権行為の罰とばかりにその体を座席ごと縛るのは、太くて頑丈な麻縄だ。
ああ、なんということだろう。ハオンの首筋には、すでにくっきりと吸血鬼の噛み跡が刻まれているではないか。
じきじきに牙をたてたのは、吸血王の美青年……カレイドだ。ハオンのうなだれる椅子の背もたれに肘をつき、少年の鼓膜に色っぽく囁きかける。
「ねえねえ、ハオンくん?」
「…………」
「そろそろ私の呪いに屈してくれないかな? 吸血鬼と死霊術師ほど相性抜群な組み合わせはない。きっと最強の吸血戦士ができあがるはずだ。すなおに私のチームに加わってくれさえすれば、保証するよ、高待遇を。お給料や、地位や、血や……花嫁は、そちらのアエネくんで決まりだね?」
「や……やなこった」
悪夢にうなされでもするように、ハオンはあえいだ。
「俺の心強い死霊たちは、呪力の壁になって俺とおまえの血の契りをさえぎる。いくら待っても脅しても、俺は絶対におまえの配下になんてならないぞ」
そう。ハオンはもちまえの死霊術を応用して、なんとかカレイドの洗脳を食い止めているのだ。
「でもそろそろ、人間の血が恋しくなってきてるんじゃなくて?」
冷や汗を流すハオンのあごに淫猥な指使いで触れたのは、竜動士のアエネだった。彼女は完全に、カレイドの呪いに心も体も侵食されてしまっている。
「好きよ、ハオン……そんな愛する人が我慢して苦しんでるのを見るのも、一種の快感だけど」
人ならざる情動の熱を帯び、アエネはハオンの耳たぶを甘噛みした。そこだけやけに赤々と濡れる唇からは、研ぎ澄まされた乱ぐい歯の光がのぞいている。
「喉がカラカラでしょ? つらいでしょ? ならカレイドさまのおっしゃるとおりになさい。気持ちいいわよ? なにもかもスッキリするわよ? 吸血鬼になりさえすれば?」
「こ、断る」
頑固なハオンに根負けし、吸血鬼ふたりは顔を見合わせて吐息をついた。
瞳にやや真剣な色を混じらせ、つぶやいたのはカレイドだ。
「もう間もなく、〝開封の鍵〟はここに到着する」
「か、カギ? なんのことだ?」
「タイプOとエリーのことさ」
思わず顔をあげ、ハオンは問い返した。
「エリーがまた幻夢境に……?」
「そ。もうじきここにたどり着くよ。ろくな武器もなしに、またどうやって私と張り合うつもりなんだろうか?」
「エリーは、エリーは……」
声を震わせ、ハオンはせいいっぱい強がった。
「エリーは吸血鬼なんかに負けたりはしない。すぐに食われるんだ、おまえらは」
「まあ結局、私が勝つんだけどね」
へらへら笑いながら、カレイドは肩をすくめた。
「勝ったらタイプOは私がいただき、ホーリーに渡す。渡したら、それをきっかけにホーリーは開始するそうだ、本格的な戦いを。呪力使いを皆殺しにする最終戦争を」
「な……」
愕然とするハオンの顔を、おぞましい影がまだらに染めた。窓外の真夜中を、大量の黒コウモリが不吉に飛び過ぎたのだ。
演技がかった大げささで、カレイドは慌ててみせた。
「ハオンくんも呪力使いだし、さあ大変だ。そこで朗報。じつは未来の超存在は私と〝吸血鬼は狙わない〟という堅い約束をかわしてるんだよ。ということは? ハオンくんも吸血鬼になっちゃえば、いままでどおり安心して平和を満喫できるというわけさ」
うっとりと続いたのはアエネだった。
「太陽の光とお別れするのはちょっぴり寂しい気もするけど、まずは命が最優先ね。未来の戦争に巻き込まれて死んじゃったら、元も子もないわ。吸血鬼になっていっしょに生きましょうよ、夜の世界を」
静寂を、けわしい声が切り裂いたのはそのときだった。
「なぜ戦わぬ、未来と?」
高級木製の大扉は、王室めがけて吹き飛んだ。
いきなりの侵入者にも、カレイドは不敵なほほ笑みを崩さない。
「案外お早いご到着で。じゃあ残らず晩御飯になったんだね、警備の吸血鬼たちは」
「エリー……!」
暗闇からぬっと現れたエリーは、両手になにか重たいものを引きずっている。
道中で仕留めた吸血鬼の首から、食べ歩きのように指で血を吸っているのだ。生き血のほとんどを失って痙攣するふたりの吸血鬼を、エリーは左右へ投げ捨てた。音をたてて床から舞い上がった風が、制服のスカートを揺らす。
王の椅子をびしっと指差し、エリーは言い放った。
「そうやって罪罰の十字架からも太陽からも、運命からも逃げるのがうぬら吸血鬼の弱さじゃ。いいかげん年貢の納め時じゃぞ、カレイド。腹をくくるがよい」
相好を崩して、カレイドはたずねた。
「なんとなく雰囲気が変わったね、エリー。身も心も〝武装の塊〟が信条だったはずのきみが、どうして丸腰なの。この短期間で、なにか珍しいことでもあった?」
「わらわも己なりに決めたのじゃ、覚悟を。いまのわらわが素手に見えるとは、いよいようぬの目も腐ったのう」
「OK、OK」
椅子に頬杖をついたまま、カレイドはそばのアエネに目配せした。
「けっこういい勝負してたよね、前回? やっちゃいなよ、竜動士」
「ありがとうございます、憎っくき逆吸血鬼に復讐するチャンスをくださって」
前に進み出たアエネから、にわかに召喚の呪力はほとばしった。カレイドの血の庇護をふんだんに授かった今回は、彼女の能力は一味違う。
大声で制止したのはハオンだ。
「よせ、アエネ!」
ハオンの必死の訴えも、少女たちの視線と視線に散る火花を消すことはできない。
アエネの背後に、巨竜の幻影が浮かび上がったのは次の瞬間だった。
「竜動呪〝爆導竜〟!」
魔竜の牙がかっと剥かれるなり、エリーはあたりの造作物を巻き込んで爆発した。
一撃必殺のアエネの召喚術には、地水火風すべての呪力が込められている。すなわち現代風に解析すれば電磁誘導、水蒸気爆発、超高熱、竜巻等々……猛煙のむこうに、エリーの姿は跡形も残っていない。
いや、業火を突き破り、赤い人影がアエネに接敵したのは刹那のことだった。
「血晶呪……〝血鎧〟!」
鋭い衝撃が、アエネを貫いた。
同時に、アエネの背中からは幾本もの真っ赤な棘が生えている。頭頂から爪先まで真紅のボディアーマーに包まれた鎧騎士が、彼女の腹腔にアッパーカットを見舞ったのだ。
くの字になって宙を飛んだあと、アエネは吐血とともに床へ叩きつけられた。失神した彼女の耳に、エリーの声で吐き捨てたのは謎の赤い戦士だ。
「スキありじゃ」
映像を逆再生するかのように、紅蓮の鎧はほどけた。
中から現れたのは、エリーに間違いない。高威力の竜動呪からエリーを守った強固な装甲は、それぞれ彼女の血に戻って両手と両足に吸い込まれる。
エリーの手足で輝くのは、よっつに分離変形したタイプ02の拳鍔とハイヒールだ。宝石の四騎士を参考として形成した〝血鎧〟は、防御に徹するあまりどうしても動きが鈍くなるため解除する。
つかのま呆気にとられた男ふたりのうち、悲鳴をあげたのはハオンのほうだった。
「そ、そんな! なにも殺すことは!?」
もとの姿へ戻り、エリーは首を振った。
「殺してはおらん。また峰打ちじゃ」
「いや、刺さってますって!」
突っ込んだのはカレイドだった。
それを合図に、天井にへばりついていた何者かはエリーを狙って降下している。四体の醜怪な人影に手足を拘束され、エリーはあっという間に床へ這いつくばった。とんでもない怪力だ。動けない。そのままエリーの体のそこかしこに突き刺さったのは、注射針の化物みたいなぎざぎざの口吻である。
渾身の力で暴れながら、エリーは苦悶した。生命と武器の源である彼女の血液が、急激に吸い取られていく。
「ぬうッ!?」
「なんだ!?」
括目したのはハオンだった。
じたばたするエリーを取り押さえるのは、巨大な蚊人間どもではないか。四匹いる。
カレイドに意識を集中しすぎたのが仇となった。敵が吸血鬼ならどんな姿勢からでも反撃できる自信はあるが、いまは相手がちがう。気配もなく自由自在に飛行する非人間・非吸血鬼の兵士を、まさか地下水路いがいにも潜ませていたとは……
もたげた掌に〝血呼返〟の水晶の輝きを遊ばせ、カレイドは満面の笑みをこぼした。
「ほ~らやっぱり、第三ラウンドも私の勝~ち♪」
「……!」
こんどカレイドの召喚術で、エリーが地球に強制送還されたらどうなる。エドの助力もなしに無事に幻夢境へ戻ってくることは、ほぼ不可能だ。もたついていれば、ハオンをふくめたこの世界をどんな運命が襲うかは想像に難くない。
またまんまとカレイドの策に陥れられた。負ける。絶体絶命だ。
とらわれのエリーに涼しげな足運びで近づきつつ、カレイドは告げた。
「チェックメイトだよ、エリー」
独特な昆虫の金切り声が、城じゅうに響き渡ったのはそのときだった。