「飛散」(5)
研究所のどこか……
緑色の空間に仁王立ちするのは、これも深緑の鎧に身を堅めた騎士だ。
思慮深く考え込むようにして、エメラルドは各々のトラップ部屋を監視している。脳内にある研究所の図面をくまなく確認しつつ、緑騎士は独りごちた。
「こちらの部屋で時間流の罠を破ったのは、黒野美湖。あちらの部屋で金属生物とのデスマッチを制したのは、倉糸壮馬。そして……」
城主のカレイドから、エメラルドがたまわった任務はふたつあった。ひとつは天敵たる逆吸血鬼を召喚の魔法陣から追い払い、そのまま抹殺すること。残るひとつはマタドールシステム・タイプOの奪取だ。
エメラルドは愚痴った。
「エリーとやら、なんという頑丈さか。さらにはその無学っぷり。並の吸血鬼なら千回は滅びている。もうすこし容易くタイプOは手に入るかと思ったが」
体内の各所で繰り広げられる攻防を、エメラルドは慎重に観察した。
「逆吸血鬼め、いったいどこへ向かっている? 一直線に、脇目もふらず。もしや、我が結界の突破口がわかっているというのか?」
緑騎士はひらめいた。
「これこそがタイプOの特殊能力とやらだな。念のため、迷宮の配置をなお複雑に組み替えておく。よし、これで逆吸血鬼と出口の位置はさらに遠のいた」
怒号が響き渡ったのは、次の瞬間だった。
「安泰じゃッッ!!」
おお。
乱暴に自動扉を蹴り開け、エリーが緑騎士の私室に突入してきたではないか。
あまりの突拍子のなさに、さしものエメラルドもたたらを踏んでいる。じぶんと緑騎士の部屋が隣り合わせになった瞬間を、エリーたちは見逃さなかったのだ。
いったいここまで、いくつの罠をくぐり抜けてきたのだろう。謎めいた絶対零度の霜を張る女子高生の制服は、もはやぼろぼろだ。
枠組みだけになった扉に、エリーは息を荒げて必死にすがりついた。たじろぐ緑騎士をまっすぐ見据え、不敵に笑う。
「つ、ついに見つけたぞ、罠師よ」
「ま、まさか……」
恐るべき事実を悟り、エメラルドはあとじさった。
「まさか逆吸血鬼、きさま逃げるでもなく、我を目指して突き進んでいたのか? 結界の核となる我を狙って?」
まだ高圧電流の罠にしびれる手を振りながら、エリーはうなずいた。
「そのとおりじゃ。買ったぞ、わらわと組織に売られたその喧嘩。おとなしう罠の迷宮を解除してお縄を頂戴するなら、吸う血は九割五分にとどめよう。だがもしも逆らうのなら……」
耳に心地よい金属音を奏でて、タイプOはエリーの掌で変形した。眼帯を開封されたエリーの片目から生き血をさずかり、真紅の大剣は高速回転の火花を放ち始める。
鋭刃を上段に引きつけ、エリーは告げた。
「もしも逆らうのなら、三枚おろしに料理して美味しく食らってくれる」
「なめるな!」
エリーが床を蹴るのと、緑騎士が片手を跳ね上げるのはほぼ同時だった。
とたん、見えない壁にでもぶつかったようにエリーの勢いは止まっている。
見よ。エリーに絡みつくのは、呪力の緑柱石で紡がれた超極細の糸だ。とっさに赤剣を盾にして防いだものの、とても間に合わない。かざされた緑騎士の手のひらが閉められるとともに、エリーの体は宝石繊維の糸刃に強く締めつけられる。
じわじわと圧迫されて血を流しながら、エリーはうめいた。
「また下らん罠を……!」
ゆうゆうと踵を返しつつ、エメラルドは背中で言い残した。
「我そのものが目当てというのであれば、迷路も相応の陣形に組み替えよう。きさまが我に追いつくまで、はたしてその肉体は無限の罠の数々にもつかな?」
「ま、待てい! 逃げるのか、卑怯者! 尋常に勝負せよ!」
こんな場所で油を売っている暇はない。自分たちはすみやかに研究室の所員と魔法陣を取り戻し、ハオンたちの救助へ向かわねばならないのに……四騎士の最後の一騎も、やはり戦慄すべき強敵だ。
顔中を口にしてわめくエリーを置き去りにし、緑騎士は高笑いに肩を揺さぶった。
「なにも正面衝突ばかりが、吸血鬼の戦法ではないのだよ。では永遠にさらばだ、逆吸血鬼……うをッ!?」
エメラルドが尻もちをつくのは唐突だった。
開いた自動扉の向こうに、なにかがあったのだ。
いや正確には、なにかがいた。
暗闇の奥から部屋へ歩みだし、その人影はうっとうしげに舌打ちした。重装備の吸血鬼とぶつかってなお押し負けなかった肩を払いつつ、眼下の緑騎士を叱責する。
「なんやねん、痛いな。歩きケータイけ? まっすぐ前見て歩かんかい」
きつい方言とともにエメラルドの自室に現れたのは、制服姿の女子高生だった。その制服の型は、エリーと同じ美須賀大付属のものだ。
まったく、どんな強運が味方してここまでたどり着いたのだろう。とはいえここは、緑騎士の罠の発信源だ。危険極まりないことに変わりはない。
にも関わらず手ぶらの少女へ、エリーは大声で警告した。
「危ないぞ、うぬ! わらわがこの糸から抜けるまで、そこを動くでない! 呪力の罠で死ぬぞ!」
聞き慣れないはずの単語を、女子高生はなぜかきちんと理解したらしい。
「呪力に罠……そういうことやな」
困ったように頭をかきながら、少女はつぶやいた。
「いつもみたいにホシカを探して山歩きしとったら、おかしな場所に迷い込んだ。やっぱり呪力でできてたんけ、ここは」
すぐさま跳ね起きて、少女へ詰問したのはエメラルドだった。
「どうやって我の罠の山をかいくぐった!?」
恫喝するように緑騎士を下から上目遣いにし、不良学生はうなった。
「おんどれか、このはた迷惑な罠を作ったんは。道中、関係のない人間が何人も巻き込まれとったで。返答いかんによっちゃ、ただじゃすまさへん」
ばからしげに、エメラルドは笑い飛ばした。
「すまさない? ただでは済まさないだと? ハッ! なにができる、きさまのような生身の小娘ごときに?」
緑騎士の片腕は、ふたたび翻った。
返事をしたのは、室内のそこらじゅうで作動した未解明の罠たちだ。指先でたえまなく不可視の繰糸をたぐりながら、エメラルドは女子高生に問うた。
「我が迷宮のゴールに到達した褒美をつかわす。罠にはめ殺す前に、名前ぐらいは聞いておいてやろう。小娘、きさま何者だ?」
「逃げよ!」
叫んだのは、身動きがとれないエリーだ。
その間にも、ああ。無防備な少女の前後左右から起き上がったぶ厚い緑の壁は、獲物めがけて地鳴りをあげて迫っている。そのまま彼女は、アイロンがけされた制服のようにペシャンコに……
絶体絶命の状況下で、しかし女子高生は平然と名乗った。
「うちはシヅル。江藤詩鶴……〝魔法少女〟や」
強烈な呪力の奔流に、シヅルの髪は逆立った。
同時に、ほのかな輝きをはなってシヅルの瞳孔は広がっている。その片目に浮かび上がったのは、呪力で編まれた〝五芒星〟だ。
鼻先に触れた圧殺の罠めがけ、シヅルは呪文をとなえた。
「〝蜘蛛の騎士〟第一関門……〝死点〟」
いっきに白黒が反転した世界で、シヅルにだけは視えていた。
周囲の壁の〝ここを突けば死ぬ〟という呪われた〝点〟が。
壁だけではない。緑騎士の死点も、エリーの死点さえも。
壁が木っ端微塵に粉砕されたときには、シヅルの姿は一陣の旋風と化してエメラルドの背後に現れている。遅れて響き渡ったのは、頑丈な鎧が貫かれる金属音だ。
疾駆に急制動をかけたシヅルの指先、輝くのは細長い呪力の針ではないか。背中合わせになって動かない緑騎士に、シヅルはそっと耳打ちした。
「おんどれを生かす命の点は射止めた。さいなら、ナイトさま」
「お、おのれ……」
どうと倒れ伏したエメラルドは、そのまま赤熱する灰と化して散った。生死もあいまいな吸血鬼を、魔法少女が運命ごと必殺したのだ。その場には、緑柱石でできた異世界の宝石だけがぽつんと残されている。
刹那に迷宮の結界は解け、景色は急速に流転した。
身をひるがえしたシヅルへ声をかけたのは、束縛から自由になったエリーだ。
「助かったぞ、魔法少女とやら! わらわはエリザベート・クタート! また会おう!」
ふと思い当たったように、シヅルは顎をもんだ。
「エリザベートはん? たしかちょっと前、英語の授業でも似たような名前の臨時講師がおったような……ま、えっか。ほなまたな」
後ろ手に片腕を振るシヅルの背中は、風景ごとぼやけていった。嵐のように現れ、嵐のように去っていくとはまさにこのことだ。
もとどおり平和の戻った基地に、もはや魔法少女の姿はなかった。