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スウィートカース(Ⅶ):逆吸血鬼・エリーの異世界捕食  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第三話「飛散」
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「飛散」(4)

 現実世界……


 美樽びたる山にある〝ファイア〟の秘密基地。


 研究室の魔法陣から、呪力の輝きは途絶えた。その上に倒れ伏すのは、異世界から転送されてきたエリーだ。いっしょについてきたタイプ(オー)も、床へ転がっている。


「くそ!」


 あたりを見渡すなり、エリーは勢いよく床を殴った。敗北の現実を一瞬で知り、眼下のタイプ(オー)に怒鳴る。


「この大ばかもの!」


〈なんだよ、八つ当たりか!?〉


「うぬまで追ってきてどうする!?」


〈だってあのままじゃ、ぼくはカレイドのものになっていたぞ!?〉


 口の減らないタイプ(オー)を、エリーはとがめた。


「たったいまも吸血城のそばには、ハオンとアエネだけが残されておる。うぬまでこっちに来てもうたら、だれが小僧っ子どもを守るのじゃ?」


〈悪いけど、ぼくはエリーに使ってもらわなきゃなんの役にも立たない。さっき機体をじぶんで動かせたのも、とっさの奇跡みたいなものさ〉


 うずくまったまま、エリーは頭をかかえて苦悩した。


「ああ、この間にもハオンらはカレイドに……」


〈ぼくもちゃんと計算してる。エリーが行くんだよ、彼らを救いに〉


「どうやってじゃ? またあのドロドロの血溜まりの姿から、時間をかけてやり直せと言うのかや?」


 タイプ(オー)は冷静に否定した。


〈それは心配ない。ぼくの能力があれば、きみを五体満足のまま幻夢境げんむきょうへ送り込むぐらいはできる〉


「なぬ。ほんとうかえ?」


〈確実を期すために、あとひとつ吸血鬼の宝石は欲しいところだけど……〉


 視覚に相当するセンサーで、タイプ(オー)は床をながめた。


〈いまぼくたちの立っている場所が、召喚の魔法陣だね?〉


「さよう」


〈なら、いそいで呪力を流し込んで起動して〉


「承知した……とはいうものの、わらわひとりの力では魔法陣は立ち上がらん」


 身を起こして、エリーは室内を一望した。


 なぜか研究員の姿は見当たらない。手近な時計でうかがえる時刻からしても、少なくともひとりはここに常駐しておらねばならないはずだ。


 苛立ちまぎれに、エリーは大声を張り上げた。


「お~い! だれかおらんのかや~!?」


 研究室の外側から、かすかな答えはあった。


 悲鳴だ。


「なんじゃ?」


 胡乱げな表情で、エリーは部屋の出口へ向かった。空気の圧搾される音を漏らし、自動扉が開く。


 となりの空間へ足を運ぶと、エリーはさらに首をかしげることになった。


「なんじゃここは? 前にあったかの、こんな部屋?」


 そう。


 こんな部屋が存在したことは、いまだかつてエリーの記憶にはない。じぶんが異世界を旅する間、事情があって改装でも行ったのか。いや、それにしてはやけに仕事が早すぎるし、なにより室内はがらんどうだ。用途もわからない室内は、ほのかな緑色に輝いている。


「お?」


 部屋の端っこに、エリーはそれを発見した。白衣の研究員が倒れているではないか。最強の防御セキュリティを誇るこの要塞において、急病人を放置するなどただごとではない。


 急行したエリーは、研究員を助け起こした。


「おい、うぬ。いったいなにがあ……!」


 エリーは言葉をつまらせた。


 揺り起こした白衣から、おぞましく床に広がったのは人型の赤いゼリーだ。未知のなにかを浴びたらしく、もと研究員だったろう肉汁はまだ悪臭の蒸気を泡立てている。


「ど、どうしたことか、これは!?」


 思わず飛び離れたエリーに、タイプ(オー)はホルスターから回答した。


〈周囲に吸血鬼の呪力反応を感知した〉


「吸血鬼じゃと?」


〈信じられない。カレイドはエリーの送還とほぼ同時期に〝緑柱石エメラルド〟を現実世界へ送り込んだ。ぼくが、タイプ(オー)がこっちに逃げることをあらかじめ見越してね〉


 エリーは生唾を飲んだ。


「なんと抜かりのないやつ。ではこの研究員を毒牙にかけたのも、エメラルドの能力かえ?」


〈能力というよりは、この部屋そのものがエメラルドの呪力でできている。つまりここはエメラルドの体内というわけだ〉


「体内じゃと。そんな気持ちの悪い場所、とっとと脱出するに限るわい」


〈エリー、不用意に動いちゃ……!〉


 タイプ(オー)が注意したときにはもう遅い。


 緑色の部屋がきらめいたかと思いきや、透明な液体がエリーに降り注いだのだ。


 エリーの素肌は煙をあげた。


「ぎィやァあああッッ!?!?」


 あられもない苦鳴とともに、エリーは顔を押さえてよろめいた。


 毛髪は頭から皮ごと剥げ落ち、瞳は神経をひいて眼窩をこぼれる。じくじくと多くの穴を広げる柔肌からは鮮血があふれ、むき出しになるのは白い骨だ。美しい爪も歯も、あっという間に抜け去っていく。あわれな研究員を襲って衣服だけにしたものの正体も、これに他ならない。


 恐怖の酸性トラップ……


 制服を着た溶解人間と化したエリーに対し、タイプ(オー)は悲鳴をあげた。


〈こ、これは異世界の人食い微生物じゃないか! その一個一個が超極小の吸血鬼でできている! もうだめだ!〉


 外見を不定形に変えながら、エリーはひゅうひゅう風穴を鳴らす喉笛でうめいた。


「きゅ、吸血鬼? この液体も吸血鬼なのか……ちょうどよいわ」


〈へ?〉


 人間でいうところの目をぱちくりさせたエドへ、エリーは言ってのけた。


逆吸血鬼ザトレータを甘く見るでない。わらわの細胞もまた、そのひとつひとつが吸血鬼を食らう捕食者じゃ。ちょうど栄養失調に悩まされておったところじゃわい」


 エリーの食事は開始された。


 彼女の皮膚じゅうに生じた顕微鏡サイズの口は、人食い微生物を片っ端から捕らえては吸収していく。みるみるうちに、エリーの負傷はふさがっていった。


 もとの姿へ戻り、かすかなげっぷに唇を隠したのはエリーだ。


「ああ美味かった。満腹じゃわい」


 生気を取り戻したエリーへ、タイプ(オー)はおそるおそる聞いた。


〈だ、大丈夫なのかい?〉


「安泰じゃ。むしろさっきより体の具合が万全になったぞよ」


 エリーの腰で、タイプ(オー)は小刻みに震えた。


〈我が主ながら、なんて凄まじい生物なんだ、きみは〉


「牛や鶏を食べる己を棚にあげて、よく言うの。うぬも腹が減ったら飯を食うじゃろ。それといっしょじゃ。機械の体じゃから、いまは電気とオイルとかかや?」


〈そりゃそうだけど……〉


 問答の間にも、基地のあちこちから阿鼻叫喚は響き渡っている。組織の仲間たちが、次々と呪力の罠にかかっているに違いない。


 呪いの部屋の出口へ、エリーは猛然と走った。


「いま助けにい……!」


 新たな部屋に踏み込んだとたん、エリーの頭上から飛来したのは灼熱の業火だ。


 顔面を火だるまに包まれたまま、エリーは床をのたうち回った。


「だッはァあああッッ!?!?」


〈エリー!? もうおしまいだ!〉


 ひととおり悶絶した後、エリーはあお向けに落ち着いた。その美貌はいまや完膚なきまでに炭化し、醜悪な生焼けの白煙を漂わせている。


〈ヒぇッ!?〉


 またタイプ(オー)は裏返った喘ぎをこぼした。


 いきなりエリーが起き上がったのだ。ぽろぽろと床に落ちる焦げ跡の下から、新品の青白い顔がのぞく。あぜんとタイプ(オー)はたずねた。


〈な、なんともないのか、エリー?〉


「安泰じゃ。火刑なぞ、中世のころから日常茶飯事の慣れっこよ。日本でいう幸を招く護摩行ごまぎょうの、さらに直火バージョンと思えばよい。制服が無事でよかった。ところで……」


 いちめん若草色の処刑室を見回し、エリーは舌打ちした。


「また同じ部屋じゃ」


〈どうやらエメラルドは、空間を操作する能力に特化している。この施設は現在、ほとんどぜんぶが緑騎士のテリトリーと化しているはずだ。ちょっと待ってね。いまぼくのセンサーを総動員し、呪力の流れ方を確認している……〉


 しばし考え込むと、エドは答えにいたった。


〈わかったよ、出口の位置が〉


「ほう、いがいと優秀じゃの」


〈とにもかくにも、いったんエメラルドの世界から脱出しよう〉


「そんな頼りになるうぬに一件、ぜひ案内してもらいたい場所がある」


〈え? いいけど……いったいどこへ?〉


 エリーの眼差しは、獰猛な獣の光を帯びた。


「エメラルドは、わらわと組織に喧嘩を売った」


 こりずに次の扉を開けるや、エリーの視界に飛び込んできたのはやはり緑翠の部屋だ。


〈エリー、ここからは慎重に……!〉


 四方八方から瞬間的に生えた針の山は、みなまで言わせずエリーを蜂の巣にしている。


 全身から血煙を噴きつつ、エリーははりつけにされて地獄のような絶叫を轟かせた。


「ぐゥえェえええッッ!?!?」


〈あひッ!? こんどこそ終わりだあァッ!〉


 ハオン救出までのタイムリミットは、刻々と迫ってくる……

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