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スウィートカース(Ⅶ):逆吸血鬼・エリーの異世界捕食  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第三話「飛散」
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「飛散」(2)

 満月の夜……


 ムナール山の頂き、カレイドの吸血城は黒い妖気を漂わせていた。


 山のふもとで、準備運動の屈伸をするのは制服姿のエリーだ。そのそばでは、ハオンが落ち着かなげにあっちへこっちへ右往左往している。


「エリー。なにも夜に乗り込むことはないんじゃないか、吸血鬼の根城へ?」


「昼はだめじゃ」


 エリーは簡潔に説明した。


「日中はあやつら、だれにも見つからん場所で棺桶の眠りについておる。掘り起こすのも無理な深い地中や、場合によっては特製の異空間での。探し回るうちに日は暮れ、やがて吸血鬼の時間は訪れる。くたくたになった冒険者を餌食にするために、な」


 胸前で両手を組み合わて裏返らせ、エリーは関節をぽきぽき鳴らした。


「城の防衛機構も当然、あやつらが眠っておる間がもっとも堅い。一個一個ていねいに解除しておれば、やはりいずれ夜になる。かたや夜は憐れな犠牲者を招き入れるため、罠の手を緩めるのが吸血鬼の常套手段であり習性じゃ」


「くわしいんだね……」


「わらわ自身も大昔、そうやって暮らしておったからの。獲物こそ人間ではなく吸血鬼じゃったが」


 全身で柔軟体操しつつ、エリーは続けた。


「わらわの力が最高潮に発揮できるのも、夜。総合的に考えて、この時間帯に攻めるのがいちばん効率がよい」


「勉強になる。ところで俺は、なにを手伝えばいい?」


「しっかりアエネを見張っておれ」


 エリーの声色には、かすかな配慮の気配があった。


「態度こそ強がっておったが、小娘、人間と吸血鬼のはざまで戦っておる。孤独に、必死に。竜動士ドラグナーの力は信用しておるが、小娘が血の渇きに絶対に傾かぬとも断言できん。そばについておってやるがよい」


「なんだ。口ではいがみ合ってても、エリー、じつは他人思いなんだね。見直したよ」


「ふん。わらわには五世紀もの年の功がある」


 軽快にフットワークを刻んでシャドーボクシングするエリーに、ハオンは願った。


「頼むから無理しないでくれよ。さっき伝書鳩は返事を運んできた。セレファイスの討伐隊は都を出発したそうだ。たったひとりで戦う必要はないぜ」


「あまり気乗りはせんの。一歩間違えれば、敵の吸血鬼をさらに増やすことになる。ここは吸血鬼狩りの玄人プロであるわらわに任せい」


「わかった……」


 心もとなげに見守るハオンの前で、エリーはいよいよ登山を開始した。


「気をつけてな、エリー。危なくなったら、すぐ逃げろよ」


「心配には及ばん。では行って……」


 鋭い飛来物が、エリーを背中から貫いたのは次の瞬間だった。


 凛と響いたのは、聞き覚えのある少女の声だ。


竜動呪ドラグーン……〝狙撃竜ハイペリオン〟」


 胸の刺し傷から血を噴き、エリーは衝撃で前のめりに倒れ伏した。極限まで圧縮された空気の塊……風呪ふうじゅの矢が彼女を射抜いたのだ。


 あまりに突然のことに、ハオンはまだ事態を把握しかねている。フィスクの村がある方角へ、ハオンは振り向いた。


 ああ。気品あふれる足取りで丘を登ってくるのは、同級生のアエネではないか。


 たじろぐハオンへ、アエネは艷っぽく微笑んでみせた。その唇は夜目にも鮮血のような紅に染まり、隙間で光るのは牙そのものの八重歯だ。


 うつろげにアエネはささやいた。


「ごめんね、ハオン。あたし結局、吸血鬼の虜になっちゃった。見て、これ」


 五体の先端から複雑な金属音を鳴らし、アエネは物々しい鎧に包まれていく。最後にその顔は、かんだかく閉じた眉庇バイザーの向こうへ消えた。兜に覆われた暗闇で、種火のごとく輝いたのはふたつの眼光だ。


 アエネは蒼玉石サファイアに変身した。青騎士じたいが、他者への寄生とその能力増幅を生業とする吸血鬼なのだ。


「サファイアの騎士として、あたしはカレイドさまに従うことにした。だからハオン」


 抜けるような青いマントをひるがえし、アエネは告げた。


「優しく吸ってあげるわ、あなたの血」


 怒気を放ったのは、地面のエリーだった。


「見損なったぞ、小娘……血晶呪ナイハーゴ血矢ニール〟!」


 エリーの言葉に、青騎士の呪文は重なった。


竜動呪ドラグーン防壁竜イオルムンガ〟!」


 アエネの背後に飛び出した巨竜の幻影が、その眼前に吐いたのは超高熱の火呪かじゅだ。エリーから猛スピードで発射された血の矢は、打ち広がる豪炎の障壁に阻まれて蒸発した。 


 倒れたままのエリーの腕の中、タイプ(オー)は弓の状態に変形している。眼帯をずらされた瞳からしたたる血潮が、まばたきひとつで赤い矢と化してアエネを襲ったのだ。


 しかし血晶呪強化装置(タイプO)を経由したにも関わらず、反撃は失敗に終わった。以前の竜動士ドラグナーにはなかった超高速の詠唱だ。とんでもない早口なのに舌ひとつ噛まない。その激しい呪力の高まりといい、吸血鬼化がアエネの覚醒を招いたのは間違いない。


 背後に半透明の翼竜を引き連れたまま、アエネはさらに討って出た。


竜動呪ドラグーン掘削竜ヴリトラ〟!」


 存在しないはずの地呪ちじゅの竜爪が叩いた地面は、計算された角度で踏み台代わりに爆裂して青騎士を加速させた。残像をひいて右に左に跳躍するアエネに対し、エリーはタイプ(オー)を血の大剣へと組み替えている。


「〝血刀ペンジ〟!」


 だが速い。速すぎだ。正面に立ち上がった土の壁をエリーが斬ったときには、青騎士は忽然とその背後に現れている。


 バイザーの陰でにやりとし、アエネは邪竜に命じた。


「終わりよ。竜動呪ドラグーン断裂竜ラハブ〟」


「!」


 吐き気をもよおす音がした。


 きりきりと宙を舞ったエリーの赤剣は、無慈悲に大地へ突き刺さっている。その柄をまだ、エリーの手は握ったままだ。


 血相を変えて、ハオンは絶叫した。


「エリー!?」


「ぐ、ぐぬ……」


 苦しげなうめきが、エリーの答えだった。ひとつふたつ後退し、片膝をつく。


 なんということだ。エリーの片肘から先は、鋭利な断面をみせて切り離されているではないか。大剣ごと切断された腕の先から、噴水のように鮮血が流れ落ちる。最初に不意討ちで食らった心臓すれすれの風呪ふうじゅとあわせて、まだ息があるのが不思議でならない。


 エリーを切り裂いたのは、深海底を超える圧力が加わった水呪すいじゅのムチだった。幻竜の顎からほとばしる液状の刃を自由自在に振り回し、勝利に破顔したのはアエネだ。


 無尽蔵に近い吸血鬼の呪力供給と身体能力、それに加えて電光石火の竜動呪ドラグーンの投影……最強の敵だった。


「さあこれで、やっかいな武器はなくなった。ねえハオン?」


「な、なんだ?」


「選んで、この間抜けな逆吸血鬼ザトレータの処刑方法を。じわじわと一本ずつ残りの手足を刎ねる? それとも土手っ腹を掻っ捌いて、ひとつずつ慎重に臓物を引きずり出す?」


 悲しげに身構えると、ハオンは両手に死霊術の風をまとわせた。


「もうやめてよ、アエネ。もう十分だ。きみの勝ちでいい」


「なに、その目つきは? ああそっか、それが化け物を見る眼差しってやつね」


 皮肉っぽく笑いつつ、アエネはハオンへ近寄った。


「あたしもあなたと同じ景色が見たい。あなたと、いっしょに。たとえそれが、歩く人間すべてが餌に見える血まみれの光景であろうとも。先にあなたの血を吸うわ、ハオン。だいじょうぶ、ちょっとチクッとするだけだから」


 ふらつく足運びで、ハオンの前に立ちふさがる人影があった。


 隻腕のエリーだ。ひどい出血のため、ハオンを押しのける力も弱々しい。


「逃げろ、ハオン。あやつはわらわが止める」


「止めるったって、その傷でどうやって!?」


 ハオンの言うとおりだ。頼みのタイプ(オー)はエリーとアエネの中間地点に立っている。これを取り戻すよりも、竜動呪ドラグーンがエリーを殲滅するほうがどう考えても早い。


 絶体絶命のピンチ……


 救いの光が差したのは刹那のことだった。


「!」


 文字どおり、タイプ(オー)が強く発光したのだ。もっと正確にいえば、剣に埋まったルビーとダイヤの宝石ふたつがまばゆい輝きで夜闇を照らしたのである。眠りから目覚めた〝彼〟がエリーたちの危機を察知したらしい。


 とたんに、視覚を焼かれたアエネはくの字に身を折って苦悶している。思わず目を背けたエリーも、その光の要素は重々承知だ。呪力で擬似的に再現されているとはいえ、吸血鬼が大の苦手とするそれは……


「太陽の光じゃ!」


 弾丸のごとくエリーは駆け出した。吸血鬼の瞳が再生するまで、半秒あるかないか。


 ひったくったタイプ(オー)を地面に放ったときには、それは瞬時にハイヒールの外観に変形している。疾走する勢いそのままに片足だけのハイヒールを履き、エリーはいっきに青騎士へと肉薄した。


血晶呪ナイハーゴ血針トスカ〟!」


 戛然……


 エリーの踵から伸びた血の槍は、飛び越えるようにしてアエネを上から串刺しにした。


 体から赤い棘を生やしたまま、ぼうぜんと嘆いたのは青騎士だ。


「そんな、まさかお陽さまが、こんなにも恐ろしいだなんて……」


 ばらばらに解体した吸血鬼の鎧の中央で、アエネは気を失って崩れ落ちた。

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