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スウィートカース(Ⅶ):逆吸血鬼・エリーの異世界捕食  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第三話「飛散」
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「飛散」(1)

 翌日……


 フィスクの村、ウィレット医院。


 面会に訪れたのはハオンと、新品の制服をまとったエリーだった。病院の奥部、鉄格子で囲われた特別室には闇がわだかまっている。


 牢屋に等しいその外側から声をかけたのは、ハオンだ。


「アエネ?」


「…………」


「アエネ、起きてるかい?」


 暗がりの深層で、少女の瞳はなぜかそこだけ爛と輝いた。病室のベッドに三角座りしたまま、生気に欠けた声色で問い返す。


「なんの用?」


 ぶっきらぼうな対応に、ハオンも曇った面持ちになった。


「お見舞いにきたよ。具合はどう?」


 光が少なすぎるせいか、アエネの顔色はやけに青ざめて見えた。頸動脈の上に深々と残る牙の咬傷をさすり、そっけなく返事する。


「ご覧のとおり、まだ呪われたままよ……そちらは?」


 アエネが示したのは、ハオンのとなりにたたずむエリーだ。軽く咳払いして、エリーは名乗った。


「わらわはエリザベート・クタート。逆吸血鬼ザトレータじゃ。正義の遂行のため、地球からうぬらの助っ人に参上した」


「地球の逆吸血鬼ザトレータ……じゃああなたが、ウィレット先生も気にしてた〝吸血鬼の血を吸う吸血鬼〟ね?」


「さよう」


「あたしは人間よ」


 アエネの口調には険が混じっていた。


「あたしの血を吸いたいなら、完全に吸血鬼になってからにしてちょうだい」


 嘆息して、エリーは唇をへの字に曲げた。


「やれやれ。うぬのこと、優秀な竜動士ドラグナーと聞いてな。カレイドの城へかちこむ前に、戦力としてスカウトにきた。とはいうものの」


 ささやかにお手上げして、エリーは首を振った。


「とんだ見込み違いじゃったわ。とても使い物になりそうにない」


 石畳は震えた。怒りに任せて、アエネが地団駄を踏んだのだ。


「きゅうに現れたかと思えば、いきなり役立たず呼ばわり? なんなのあんた? カレイドでもあんたでも、やるなら戦ってやるわよ?」


「ほう、いい度胸じゃ」


 格子を挟んで睨みあう二人を、ハオンは仲裁した。


「はいストップ。エリー、アエネは吸血鬼に襲われて身も心も傷ついてるんだ。言葉はくれぐれも慎重に選んでくれ」


 斜に構えて、エリーは鼻で笑い飛ばした。


「わらわは事実を述べたまでじゃ。病院まで無駄足じゃったわい。おい、なり損ない。わらわがカレイドを狩るまで、大人しう豚の血でもすすっておれよ」


 血という単語に過敏に反応し、アエネは食ってかかった。


「なんでそんなに偉そうなの? 吸血鬼ごときが?」


「ごとき? ごときと抜かしたか、青臭い小娘が?」


 こめかみに青筋をたてたエリーにも、アエネは退く姿勢を見せなかった。


「なんどでも言ってやるわよ。この涜神のコウモリ人間。薄汚い血舐め野郎。若作りしちゃってるけど、どうせ大年増なんでしょ? あ、吸血鬼は鏡に映らないから、じぶんの顔の小じわまでは確かめられないか」


「なまいきなガキんちょめが、言わせておけば。よかろう、とっとと吸血鬼にでもなんでもなるがよい。さすれば最優先でわらわの贄としてくれる」


 たまらず割って入ったのはハオンだ。


「いいかげんにしろ、ふたりとも!」


「わらわは外で待つ」


 憤然と身をひるがえし、エリーは吐き捨てた。


「あまり独房に近寄りすぎるでないぞ、ハオン。下等な吸血鬼が伝染る」


「逃げるのね、この十字架アレルギー。覚悟しときなさい、いつかその薄っぺらい胸に白木の杭を突き立ててあげるから」


 ふたりきりになると、ハオンはアエネに陳謝した。


「ごめんね、アエネ。彼女も彼女で、なんども死ぬような目に遭って気が立ってるんだ」


「化け物の肩をもつの? そういえば彼女、男を惑わせる綺麗なお顔してたわね?」


「いや、俺はべつにエリーのことは……」


 言いよどんだハオンへ、アエネはうんざりと肩をすくめてみせた。


「そもそもあたしの大事な竜動呪ドラグーンが顕現するまでの間、ろくにルビーを食い止めきれなかったあんたにも責任があるのよ。いくじなしの死霊術師ネクロマンサー?」


「ほんとにごめん。退院したら、なんらかの形できちんとお詫びするよ」


 おずおずとハオンはたずねた。


「アエネ、いまなにか欲しいものはないかい?」


「ほしい、もの……」


 きつく瞼をつむったアエネは、いいしれぬ衝動を必死にこらえたようだった。


「な、ないわ。ひとりにしてちょうだい」


「そうなの? ほんとにいいのか?」


 病院の出口をまっすぐ指差し、アエネは怒鳴った。


「帰って!」


「わ、わかった。また来るからね」


 寂然と背を丸め、ハオンは病室をあとにした。


 だれもいなくなったのを慎重に確認した後、苦しげに息を吐いたのはアエネだ。いまやその瞳は人外の赤光に染まり、滝のような冷や汗が顎を伝っている。ベッドのシーツを破れるほど強く握りしめ、アエネは息も絶え絶えに独白した。


「の、喉がかわいた。血が、血がほしい。たすけて、ハオン。いかないで。ほんとはあたし、あなたのその優しさが好きなの。だから吸わせて、あなたの……」


 かすかにアエネの視界をよぎったのは、七色に輝くはばたきだ。


 無人のはずの空間に、その声はハスキーな響きを帯びて答えた。


「叶えよう、その欲望」


 いったいどこから、いつの間に入ったのだろう。


 気づけば監獄のすみに立っていたのは、簡素なシャツにスラックスを着た長身痩躯の若者だ。その背後には、全身を真っ青な鎧で包んだ騎士が片膝をついて控えている。


 極度の飢餓状態に置かれた今のアエネなら、反射的に獲物へ飛びかかっていても不思議はない。


 だが、それはできなかった。なにせ相手は、アエネ自身にかかった呪いの根源……吸血鬼の王なのだから。


 美しい万華鏡カレイドと、青騎士の蒼玉石サファイアだ。


 片手をポケットに差したまま、カレイドは薄く笑った。


「吸いたいんだってね、彼の血が?」


 恐怖に顔をゆがめ、アエネは背中で壁を拭くように後退した。くやしいが現在の彼女には、時間のかかる竜動呪ドラグーンを詠唱する余裕も体力も残されていない。


「そ、そんなこと、ありえないわ」


「悪いけど終始、話は盗み聞きさせてもらったよ。あの女吸血鬼のことをどう思う? 憎いだろ? 恨めしいだろ? ほっといたら、愛しのハオンくんはかわいい逆吸血鬼ザトレータに横取りされちゃうぜ?」


「……!」


 音をたてて、アエネの表情は石化した。悪魔のささやきをやめないカレイドは、あたかも少女の心の揺らぎを楽しんでいるかのようだ。


「私の陣営も危機的な人員不足でね。その素晴らしい呪力、ちょっとばかし私に貸してくれないかな? 竜動士ドラグナーちゃん?」


 強張った面持ちで、アエネは力のかぎり頭を左右に振った。


「断固お断りよ。人を呼ぶわ」


「好きにするといい。獲物が駆けつけたら、こっちのサファイアも黙ってないけどさ」


「!」


 助けは呼べない。吸血鬼にしっぺ返しをくらって、また自分と同じ犠牲者が増えるだけだ。例えばあの逆吸血鬼ザトレータについてきたハオンに、もしものことがあったりすれば……


「完璧に私の血の支配下に加わりさえすれば、竜動士ドラグナーの能力値は限界を超えて底上げされるよ。おまけに不老不死までついてくる。もうだれにも負けやしない。そのへんの魑魅魍魎ちみもうりょう逆吸血鬼ザトレータにだって。ただしアエネちゃんが完成するには、きみ本人の同意がなにより必要だ。ね? 血ならいくらでもご馳走するから、協力して?」


「い、いや……」


 甘い誘惑との葛藤に負けじと、アエネは声高に拒否した。


「あたしの意思はそんなに弱くない! 出てって!」


「困ったな……」


 投げられてナイスキャッチした枕を、カレイドは悩ましげに抱きしめた。


「呪力といっしょに、たしかに意志力も強い。ならば、これでどうだ?」


 ぱちんとカレイドの指は鳴った。


 同時にアエネは、猛獣使いに指示されたがごとくベッドへ倒れ伏したではないか。その形相はますます血色を悪くし、痙攣とともに無音の苦鳴が喉をつく。


 濃密な呪いの糸でつながったアエネの体から、カレイドがさらに血を奪ったのだ。アエネの穴という穴から空中に舞った赤い筋は、なぶるようにじっくりカレイドの掌へ吸い込まれていく。この凄惨な光景を前にしても、かたわらの青騎士は身じろぎひとつしない。


 狂った蛇のごとくのたうち回るアエネに、カレイドは再度うながした。


「さ、もいちど聞くよ。彼の血を吸いたくはないかい?」


 背骨が折れるほど仰け反って、アエネは涙を流した。


「あ、あたしは……あたしは!」

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