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スウィートカース(Ⅶ):逆吸血鬼・エリーの異世界捕食  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第一話「脈動」
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「脈動」(1)

 人々が寝静まった真夜中……


 ここは赤務あかむ市、蛇日だにち町。


 町の総人口は少なく、山に面しているため緑も多い。ふもとのスーパーまで、車を使ってもだいたい二時間はかかる。いわゆる田舎だ。


 そんなまばらな民家のうちの一軒を、古代の恐怖は人知れず襲った。


「ぷはァ」


 暗闇に満足げな吐息を放ち、唇の血をぬぐった彼は何者だろう。手放された獲物の人間は、完全な貧血におちいって床で痙攣している。


 血を失って土気色になった住人の首筋、うがたれるのは醜い〝牙〟のあとだ。加害者の男の口もとで輝く犬歯は、哺乳類にしてはやけに長く鋭い。


 男のまとった古めかしいマントと燕尾服……


 その瞳がはなつ血のような赤光……


 この出で立ち、彼はまさか……


 デクスター伯爵の前に、足音もなく集まった人影がある。別の部屋で、不幸な獲物の生き血を吸ったサイダムとリーガンだ。霧のような声で、三名はささやきあった。


「もう一階にエサはいない」


「残るは二階か」


「たしかに匂うぞ。若い女のかぐわしい香りが」


 下卑た笑いをかわすと、男たちはいっせいにばらけた。


 そう、分解したのだ。おびただしい数の真っ黒なコウモリへ。コウモリどもは歓喜の鳴き声をひいて、民家の階段を駆け登っていく。


 わずかに開いた扉の隙間から、コウモリの群れは二階の寝室へ忍び込んだ。


「いた」


 ベッドで眠るのは、ひとりの少女だった。


 月明かりに照らされたその顔立ちは想像以上に美しいが、少女の片目には眼帯が着けられている。ものもらいにでも罹っているのだろう。階下で家族に降りかかった惨劇にも気づかず、彼女はただ静かに寝息を漏らすだけだ。


 あっという間にコウモリたちは集結し、それぞれ男の姿に戻った。上等なご馳走を取り囲み、男たちはいやらしいニヤつきを浮かべている。


 あわれな獲物の頭上で、三人は無言でじゃんけんした。


 勝ったのはリーガンだ。


 ガッツポーズに両腕をあげるリーガンへ、デクスター伯爵は念押しした。


「ひとりで吸い尽くすんじゃないぞ。平等に、きちんと三等分だ」


「げひひ、わかってやすって」


 うまそうな少女の芳香に耐えきれず、リーガンは血なまぐさいヨダレをシーツにこぼしている。少女の首筋めがけて牙をむき出しにし、リーガンはつぶやいた。


「お初をいただきやす」


 生々しい響きがこだました。少女の素肌に、リーガンが噛みついたのだ。


 待ち遠しげに、デクスター伯爵とサイダムは貧乏ゆすりした。背徳の情景が繰り広げられる中、壁かけ時計の秒針だけが孤独に音を刻む。


 よほどじっくり味わうほどの旨さなのだろう。呪われた〝吸血〟行為はまだ終わらない。


 いいかげんシビれをきらし、デクスター伯爵はリーガンの肩に手をおいた。


「おい、後がつかえているぞ。三分の一はとっくに吸ったろう。譲り合いだ」


 そこでようやく、デクスター伯爵はその〝異常〟を知った。


 少女の血をすすっているはずのリーガンの肌が、なぜか古い新聞紙のように渇いているではないか。


 怪訝な面持ちになったデクスター伯爵の眼前で、リーガンはそのまま力なく床にくずおれている。


 残った二名は、飛び上がることになった。


 失血死も寸前なはずの少女が、はっきりと言葉をつむいだのだ。


「わらわは遠慮せん主義での。三分の一どころか、九割五分は吸い返してやったわい」


 声色こそ若いが、少女の口調は百歳超えの高齢者のように年老いている。


 すばやく飛び離れた男たちの前で、眼帯の少女はベッドから半身を起こした。


 男たち同様、少女の顔は夜目にも青白い。寝間着姿のまま、少女はよく通る声で告げた。


「デクスター伯爵チャールズ・ウォード。うぬを十三件の殺人および血液強奪の容疑で逮捕する」


「なに!? なぜ我が名を!?」


 少女の手首にきらりと輝いたのは、無骨な銀色の腕時計だ。


 通信、盗聴、投影、自爆、その他数えきれない機能を備えたその独特の猟犬の首輪のことを、デクスター伯爵もうわさには聞いている。動揺に震える指で少女をしめし、デクスター伯爵は大声をあげた。


「その時計は、特殊情報捜査執行局〝ファイア〟……小娘、きさま政府の捜査官イヌか!」


「さよう。わらわは……」


 えらそうに名乗ろうとしたのが、少女の命取りだった。


 気づいたときには、サイダムはあぎとを剥いて少女に飛びかかっている。野生のチーターの速度をゆうに超え、ヒグマの怪力をほこる〝夜の眷属〟の攻撃だ。さっきのリーガンがどんな手品で倒れたかは、いまはどうでもいい。繊細な少女の体は、かよわい小ネズミのごとく引き裂かれ……


 強い衝撃とともに、サイダムは止まった。


 目にも留まらぬ少女の回し蹴りが、サイダムの腹腔を直撃したのだ。


 同時に、なんだろう。常識離れした脚力で宙に浮かされたサイダムの体からは、少女の爪先めがけてなにかの脈打つ音が連続している。


 おお。リーガンに準じ、サイダムの顔までもが急速に干からびていくではないか。


 デクスター伯爵は、戦慄のうめきを漏らした。


「そんな、そんな馬鹿な……我らの血を飲んでいるのか、きさま?」


 そう。さいしょのリーガンは噛みついた牙から逆に、サイダムは少女の刺した足から血液を吸われている。ほとんどの水分を喪失して気絶したサイダムは、かたわらに蹴り捨てられて本棚を崩した。


 口を隠して、軽いげっぷをこぼしたのは少女だ。


「うむ、美味い」


 そう評すると、少女は親指で床を指さした。


「ちなみに階下で失神している者どもも、組織ファイア捜査官エージェントじゃ。耳をそろえて返してもらうぞ、盗った血液を」


「くそ!」


 とっさに逃げようとしたデクスター伯爵だが、もう遅い。後ろ手に、少女は退路の扉にカギをかけてしまっている。ぶち破ろうとした窓側にも、少女は胡蝶のごとき足運びで事前に立ちふさがった。


 あの伝説の怪物を、みずからといっしょに個室へ監禁する存在……


 失禁しそうになるのを自尊心だけでこらえながら、デクスター伯爵は誰何すいかした。


「我らの血を吸うとは、きさまいったい何者だ!?」


「わらわのエサじゃ、うぬらは」


 悪魔より邪悪な笑みを浮かべ、少女は問うた。


「想像したことはないかえ? 人間は豚や野菜を食べる。その人間の血を、うぬら吸血鬼は食す。ならば、その吸血鬼の血を吸って栄養源にする〝魔物〟もいるのでは、と?」


「う、ううう……」


 もともと色味の悪い顔を、デクスター伯爵はなお青ざめさせた。その視線の先、少女はおもむろに片目の眼帯をずらしている。


 眼帯は、おそるべき血の門を閉ざす封印に他ならない。


 現れた真っ赤な瞳から、ひとりでに滴り落ちたのはまとまった量の鮮血だ。少女の手もとで生あるもののごとく蠢いた不吉なそれは、ある形態をとって硬化する。


 すなわち、血でできた優美な長剣の姿に。


 真紅の刃を上段に構えながら、少女は言い放った。


「わらわは〝逆吸血鬼ザトレータ〟……吸血鬼の血を吸う、吸血鬼じゃ」


「ひィ! たた助け……!」


 吸血鬼ヴァンパイアの恐怖の悲鳴は、鋭い風音に断たれた。

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