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8  新たな事実



 ――どうしてここに父が?


 そんな愚問はすぐに捨てた。

 父はこの国の外交関係の政務を司る、最高責任者だ。政務の要所でもある王宮は、言ってしまえば父の職場。

 先ほどの問いかけの通り、場違いなのはわたしの方なのだ。


 氷のように冷めた瞳が全身を突き刺すように見て、やがてわたしの背後にいる人物を捉えた。


「ラントの放蕩息子か」

「こっ……これはこれはヴィトランツ公爵閣下、こちらのお嬢さんは閣下のご息女でしたか」


 まずい人物に手を出してしまったと思ったのか、アイギルと名乗った男は慌てて掴んでいた手を離す。


「こんなところで遊んでいないで、とっとと職務に戻るんだな。また息子が抜け出したと、ラント伯爵が泣きながら探していたぞ」

「あ、はは……、そうですね。休憩ももう終わるので、僕はこの辺りで失礼しますっ!」


 父の言葉に気まずそうに頷いて、茶髪の男は脱兎の如く逃げ出した。残されたわたしは父に向き直り、腰を低くして頭を下げる。


「……助けていただき、ありがとうございます」

「助けた? 馬鹿を言うな、助けたのはラントの息子であっておまえではない。おまえのような穢れた娘に手を出して、ラントの血が汚れたら不憫だからな」


 穢れた娘。今まで、父からは何度もそう呼ばれてきた。記憶のないわたしにはそれに足ることをされたという自覚はないが、父が言うのだから間違いはないのだろう。


「それより、アストールの者がおまえを連れ出したのか? 家からは出さない約束だったはずだが……まったく、やはりあの次男は噂の通りろくでもない男だったか」

「ユリウス様はそんな人ではありません!」


 思わず勢いのままに言葉を発してしまう。だって……わたしは知ってしまった。彼が噂のような人物ではないことを。

 自分のことを悪く言われるのはいい。でも、なにも知らない人にユリウス様を貶されるのは許せなかった。


「オルテア、私に口答えするのか? 家から出て随分と生意気になったようだな。やはり一生をあの部屋で過ごさせるべきだった。――そうだな……このまま連れ帰って、今度は二度と外に出さないようにするか」


 ひとりで納得し、大股でこちらに歩いてくる。

 どうしてそこまでわたしの存在が許せないのか。それは父にしか分からないが、このままではまたあの屋敷に逆戻りだということだけは理解できた。


「やめてください! わたしはユリウス様を待っているだけです。用事が済みましたら、すぐにアストール邸に戻りますから……!」

「駄目だ。アストールは約束を破った。もうあれも信用ならん。このまま連れ帰る」

「いやです、帰りません!」


 今までは父の言うとおりにしてきたが、今回ばかりは引き下がれない。

 アストール家が父とどういう取引をしたのか分からないが、ユリウス様の行動には理由があるはず。彼の名誉のためにも、このまま連れて行かれるわけにはいかなかった。


「大人しく言うことを聞け!」


 反抗する娘に業を煮やしたのか、父は大きく右手を振り上げる。


 ――叩かれる!


 そう思い咄嗟に目を瞑り、歯を食いしばった。直後にパァンッ――と言う乾いた音がその場に響く。……しかし、いつまで経っても痛みは襲って来なかった。


 恐る恐る開いた目に最初に飛び込んできたのは、夕日と同じ色の赤い髪。そしてわたしと父の間に無理やり割り込んだ、広い背中。


「ユリウス、さま……?」


 彼は一瞬わたしを振り返り、安心したように瞳を細めてまたすぐに前方に向き直る。その頬は一見して分かるほど赤く腫れており、父の暴力を誰が受け止めたのか明らかだった。


「貴様が……ユリウス・アストールか」


 彼の背中越しに見えた父の顔には、驚きと憤怒が入り混じっていた。この国の要人とも言える男にこんな顔を向けられては、誰もが委縮してしまいそうだが、わたしを守るように立つ人は臆した様子もなく言う。


「ヴィトランツ公爵閣下、彼女はすでにヴィトランツ家の人間ではありません。勝手に連れて行かれては困ります。少し落ち着かれては?」

「はっ、アストール侯爵家の次男風情が私に口答えするのか?」


 ピリピリとした空気が肌を刺し、怒りを隠そうともしない父の声に身体が震え出す。それを真正面で受け止めているユリウス様は、次にまったく予想していなかった事実を口にした。


「失礼ですが、俺はもうアストール家の次男ではありません。先日、正式にアドルフ・リーエンベーグ大公の養子となりました。今の俺はユリウス・リーエンベーグです」

「なん、だと……?」


 初めて父の顔に動揺が浮かんだ。だけれど、それは私も同じで。親子そろって彼の顔を仰ぎ見る。


「ですから俺と婚姻を結んだオルテアも、今はリーエンベーグの人間です。彼女を連れ戻したいのなら、アドルフ様の許可を得てください」


 アドルフ・リーエンベーグ大公。世情に疎いわたしでも知っている。現国王陛下の弟君で、戦の神と異名のある人物だ。

 我が国ブルトニアは、その西側に面しているガーシュウィン王国と長年対立関係にある。そして十数年前に起きた領土戦争を勝利に導いたのが、若き日のアドルフ様なのだ。


 現在両国は平時を保っているが、戦争が再開しないとは限らない。そのためガーシュウィンとの国境に面している西側の地域を、リーエンベーグ辺境領――通称リーベ領と称し、そこら一帯をアドルフ様が管理している。


「男児のいないアドルフ大公が後継を探しているとは聞いていたが……たしかに母親の血筋であるアストール家から養子を取るのは、不自然ではないな」


 ギリッという歯ぎしりの音が聞こえそうなほどに顔を歪ませて、父はユリウス様を睨みつける。


「アドルフ様はすでに俺たちの婚姻を認め、リーエンベーグの一員として受け入れを決めております。オルテアを連れ戻すことは、アドルフ様の意思に反する行為。外交の責任者でもある閣下が西の守護神と対立するのは、甚だ愚行がすぎると存じ上げますが」


 ユリウス様の言葉に、父は鼻で笑って問い返す。


「……なるほど。だが、貴様の言葉を私が信用すると思うか?」

「俺の言葉だけでは、信じて頂けないのは理解しています。先ほど国王陛下と謁見し、アドルフ様の親書を手渡してきました。そちらに現在の西側の情勢と、リーベの後継について詳しく記されているはずです。陛下に直接確認して頂ければ宜しいかと」


 まさかこんな形で、今日この場に来た理由を知ることになるとは思わなかった。目の前で交わされている会話は全く現実味がなく、自分のことだと言うのに他人の話を聞いているようだ。


 父は小さく舌打ちをして、仕方がなさそうに頷く。


「……そこまで言うなら信じるしかあるまい。まったく……アストール家に嫁にやったというのに、この穢れた娘がリーベの人間になるとは」

「嫁にやった? 娘を売ったの間違いではないですか?」


 今度はユリウス様の低い声が響く。怒りを隠そうとしないその声に、背後にいたわたしもびくりと肩を揺らした。


「兄からは、ヴィトランツ家の娘を買い取ったと聞いております。金で売ったのであれば、これ以上貴方がオルテアに関わる権利はないはず。今後はもう一生、彼女に関わらないで頂きたい」


 わたしをアストール家に売った? 父からは、そんなことは一言も聞いていない。それが事実であれば、持参金を支払ったというのも全くの嘘で、実際にお金を受け取ったのは父の方になる。


「小僧が偉そうに言いおって……」

「閣下、お気づきかと思いますが、だいぶ人が集まってきております。これ以上話を続けたら、口止めが困難になるのでは?」


 世間には、ヴィトランツ公爵は娘を心配するあまり、家から出さなくなったと知られている。しかし、今までのやりとりを聞かれたら、そうでないのは明らかだ。

 無理やり人気のない通路に連れて行かれたため、最初はまばらだった人の数も、父の怒鳴り声にだんだんと数が増してきていた。


 これ以上続けても分が悪いと悟ったのか、父は何も言わずもう一度舌打ちを残して、わたし達の横を通り過ぎる。そして最後の抵抗と言わんばかりに、吐き捨てるように言った。


「その娘、私も知らなかったんだが随分と阿婆擦れのようだ。私が来るまで顔のいい男と手を繋いで、楽しそうに話していたぞ」


 ククッと笑いながら靴音を鳴らして、父はわたしたちの前から遠ざかって行った。



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― 新着の感想 ―
…毒親、ここに極まれりですね。 ヤバそうなところにお嫁に行かされるところに来た旦那さま、どういう人か気になってきましたね。
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