7 辿り着いた場所は
そろそろと、なるべく足音を立てないようにして通路を進む。
煌びやかなシャンデリアや、壁一面に施された豪華な内装は、まさしくここが王族の住う場所だと主張するかの如く、華やかさに溢れている。
何処もかしこも眩しくて目移りしてしまう光景だが、わたしは前を行く人の後ろにぴったりとくっついて、必死に縮こまりながら歩いていた。
「……おい、もう少し離れろ」
「い、いやです」
「逆に目立つだろ」
「大丈夫です。旦那さまは背が高いので、前にいてくださればわたしはすっぽり隠れますので」
「俺が目立つだろうが」
馬車を降りてからしばらく歩き、今は王城内のロビーと言われる場所にいる。
一見して貴族だと分かるような仕立ての良い服を着た者や、可愛らしい制服を着たメイドが複数名その場にいた。
6年間実家に幽閉されていたわたしは、もちろんこのような場に来るのは初めてで、厳かな雰囲気にどうしても尻込みしてしまう。しかも王城にくるなんて聞いていなかったから、服装も普通の外出着で来てしまった。
とは言ってもわたしが持っている外で着られるようなドレスは、姉さまからいただいた夜会用の一着しかない。事件以降に買ってもらった服は部屋着のみで、外に着ていけるような服はすべて姉さまのおさがりだ。
この薄紫色のロングスカートのワンピースも、そのうちのひとつ。
「だ、旦那さま、わたし浮いてないでしょうか……」
「浮いてないし、服装も問題ないから安心しろ」
「でも、少し地味すぎる気がします。もう少し可愛い服を選んでくればよかった……」
「おまえは十分可愛いから気にするな」
「それならよか――……え?」
聞き捨てならない言葉を耳にした気がして、前を歩く人の後ろ姿を仰ぎ見る。
「旦那さま、いまなんて――」
「受付に行ってくる」
ユリウス様はわたしの言葉を無視して、スタスタと歩いて行ってしまった。
急に熱を持ち始めた頬に両手をあてて考える。聞き間違いじゃなければ、彼はいま――
「かわいいって言った……」
たしかに、そう聞こえた。
ユリウス様がわたしのことを可愛い? 衝撃が大きすぎて巨大な石が頭の上に落ちてきた気分だ。今まで会話もろくに続かなかったのに。
きっといま、この顔は真っ赤になっているに違いない。たった一言、いつもは言わない言葉をもらっただけなのに、どうしてか……すごく嬉しい。
「謁見を申請していた、ユリウス・リーエンベーグです。リーエンベーグ大公の親書を預かっています」
「かしこまりました。案内の者を呼びますので、少々お待ちください」
どんどん速くなる鼓動の煩さに、すぐ近くから聞こえてきた会話は耳に届かなかった。可愛いという一言が、ずっと頭の中をぐるぐると反響している。
「オルテア」
「……かわいいですって……ふふふ」
「おい、いい加減戻ってこい」
ぽんっと肩を叩かれ、やっと思考が現実に戻る。声のした方を向くと、柳眉を寄せたままものすごく怖い顔でこちらを見下ろすユリウス様がいた。
「ぁ、ごめんなさい。どうしました?」
だんだんとこの顔に耐性が付いてきてしまったわたしは、首を傾げながらいつもの調子で聞き返す。たぶんだけど、これは怒っているのではなくて照れているだけのはず。
ユリウス様はじっとわたしを見つめてから小さく溜め息を吐き出して、眉間のしわを解いた。
「陛下と謁見してくる」
「国王陛下とですか!?」
「ああ。しばらく離れるけど、ここで待っていられるか?」
「もっもちろんです。子供じゃないので、戻られるまでロビーでお待ちしています」
ぎゅっと拳を握りしめて任せなさいとアピールすると、ユリウス様はおもむろに右手を持ち上げ、わたしの頭の上にそっと載せた。
「行ってくる」
そのまま何をするでもなくすぐに手を離し、迎えにきた者の後に続いて奥の通路に消えていく。残されたわたしは、ただ茫然と扉の先に消える背中を眺めていた。
◆◇◆
ひとりになってどれくらい経つだろうか。
彼に言われた言葉と、頭に触れた手の感触がずっと離れない。触られたのなんて、初日に抱き上げられたとき以来だ。
「ユリウス様……」
初めの頃は隣にいるだけで、彼の纏う空気感にびくびくしていた。今でも会話が続かなくて、怒らせてしまったかと不安になることもある。
それでも少しだけ、本当に少しだけど、距離が縮まった気がして嬉しかった。
「早く戻って来ないかな……」
いつの間にか彼を信頼し始めている自分に気づき、可笑しくなって「ふふ」と吐息を漏らす。
ロビーの壁際に設けてある椅子に腰を下ろし、先ほどのことを思い出しながらしばらくひとりで上機嫌に時間を潰していたのだが、急に頭上から影が落ちてきて視界が暗くなる。
ユリウス様が戻ってきたのかと思ったわたしは、慌てて顔を上げてから訝し気な視線を向けることになった。
「君、さっきから見ていたんだけど、暇なら僕と庭園でも見に行かないかい? よかったら案内するよ」
黒に近い茶色の髪をした男の人が、にこにことした笑顔を浮かべてわたしの顔を覗き込む。
「どちら様ですか? わたしは人を待っているので、庭園には行きません」
正直、王宮の庭園に興味がないのかと言われれば嘘になるが、この突如現れた身分もよく分からない人と行く気にはならない。服装からして使用人ではなさそうだし、こんな場所に平民が居るわけがないので貴族ではあるのだろうけど。
「僕はアイギル。ラント家の長男って言ったら誰だか分かるかな? 君さ、肌が真っ白ですごく可愛いね。瞳の色も珍しい色できれいだし。こんなに目立つ子なのに初めて見るなあ……夜会には頻繁に参加してるんだけど」
ラント家の長男? 自慢じゃないが、6年間幽閉されていたわたしには、この男が何者なのかさっぱりだ。しかもこちらが黙っているのをいいことに、ひとりでべらべらと喋り出す始末。
「ねえ、待ち人が来るまでの間でいいから、ふたりで話そうよ。どこのお嬢さんなのかも気になるし」
どうあしらったらいいものか悩んでいると、何も言わないことを肯定と取られたのか、急に左手を掴まれ強く引っ張られる。
「離してください……! ここで待っている約束なんです!」
抗議してみても、「いいから、いいから」と言って止まってくれる気配はない。力の入らない左腕では振り払うこともできず、ずるずると引きずられるようにして、人気のない方へと連れて行かれる。
握られた腕の痛みと恐怖で涙が滲んでいく。無意識に別れたばかりの人の名前を呼びそうになったとき、背後から聞き覚えのある低い声で呼び止められた。
「オルテア、何故おまえがこのような場所にいる?」
よく通るその声は、怒鳴っているわけでもないのに地に響くような恐ろしさで、その場に居合わせた全員が振り返った。
「お父、さ……ま」