6 日課
アストール邸に住まいを移してから一週間、だいぶここの生活にも慣れてきた。
と言ってもわたしの行動範囲はほぼユリウス様の部屋のみだ。たまに屋敷のサロンで寛ぐこともあるのだが、その時は必ずユリウス様が付き添うことになっている。
彼に許可を得ないと部屋から出られないため、自然と閉じこもるようになってしまったのだ。
しかし部屋にいても、特別することがあるわけではない。エルマさんが専属のメイドになってくれたので、彼女と話しをしたり、小さめの植木鉢を用意してもらって室内で育てられる花を植えてみたり、適当に時間を過ごしている。
刺繍や押し花なども興味はあったが、この左腕では細かい手作業はあきらめざるを得なかった。
ユリウス様は社交の場に出ることもないらしく、ふたりで外にでる機会もなさそうだ。
彼との距離も初日からあまり近づいた感じはしない。話しかけても短い会話で終わってしまうからだ。
もしかして迷惑がられているのかもと思ったが、エルマさんによると昔からこんな感じだったらしく、気にする必要はないと言われた。
仕方がないので最近のわたしの趣味は、もっぱら旦那さまの観察になっている。
ユリウス様は毎朝わたしより早く起きて庭に出る。そして準備運動から入り、しばらくすると木剣を片手に素振りを始めるのだ。
先日、彼が部屋から出る時の物音で目が覚めてしまい、朝日の眩しさにカーテンを閉めようとしたところで、朝の鍛錬を見つけてしまった。それからはいつもより少し早く起きて、窓から様子を眺めている。
素人目に見ても、彼の剣捌きはとても美しく見える。美しいと表現するのが正しいのかは分からないが、魅せられるものがあるのはたしかだ。
そんな朝日に透ける赤い髪を遠くから見るのが、わたしの日課になった。
「あら? 今日は短いのね」
いつもより短めの鍛錬を済まし屋敷へ引き返す姿を確認して、慌ててベッドに戻る。横になってから少しするとカチャリと静かに扉が開く音が聞こえ、足音はそのまま浴室へと消えて行った。
鍛錬の後はお風呂で汗を流す、これも彼の日課のひとつだ。
この日課をわたしがこっそり覗いていることを、彼は知らない。いつもお風呂に入っている間に目が覚めたことにしている。でないとわたしを起こしてしまったのかと思って、鍛錬をやめてしまうかもしれないからだ。
それくらいユリウス様はわたしに気を遣ってくれるので、噂のことなどいつの間にか忘れていた。
今日はいつもより早めに戻ってきたので、彼が浴室から出てきて少ししてからもぞもぞと身体を動かす。小さく伸びをしてベッドの上に起き上がると、濡れた髪をガシガシと布で拭き取っているユリウス様と目が合った。
「おはようございます」
「おはよう」
相変わらずの怖い顔だけれど、これが彼の普通と分かってからは恐怖は感じない。けれども今日はいつもより眉間にしわを寄せてじっと見つめてきたので、つい問いかけてしまう。
「どうかされましたか?」
ユリウス様はわたしから視線を外し、悩むようなそぶりを見せてから口を開く。
「今日、王都の中心街にいく用事があるんだが……一緒にくるか?」
「同行してよろしいのですか?」
「構わない。ただし楽しいことは何もないぞ?」
念を押してきた彼の言葉に問題ないと頷く。部屋にいても干からびてしまいそうだし、許可をもらえるのであれば積極的に外に出たい。
そういうでわけで、本日は旦那さまの用事に同行することになった。
馬車に乗るのは7日ぶり、アストール邸に来た日以来だ。
中心街までは馬車でも1時間ほどかかるため、その間は向かい側に座るユリウス様とふたりきり。普段は比較的動きやすい格好をしている彼だが、今日は違った。
礼装に近いグレーの服に身を包み、首元には紺色のタイを締めている。さらにいつもは降ろしている前髪を横に流しているので、表情がよく見えた。
こんな正装に近い格好をして、いったいどこに行くのだろう。いまだに行き先を告げられていないので、楽しみな反面少しだけ不安もある。
考えていても仕方がないので、会話のきっかけにするついでに尋ねてみることにした。
「今日はどちらに行かれるのですか?」
「どこだと思う?」
「……そうですね、ご両親に会いに行かれる、とかですか?」
質問で返されてしまい、予想のうちのひとつを口にした。
ユリウス様のご両親であるアストール侯爵と侯爵夫人は、今は中心街にある別邸で暮らしている。侯爵が病を患い、すぐに医者を呼べるように中心街に住まいを移したそうだ。
ベッドからあまり起き上がることができないため、いずれ侯爵位を継ぐクライド様が、現在は領地運営のほとんどを担っていると聞いている。
その別邸にはクライド様の奥様も住まわれているらしい。
以前屋敷のサロンで出くわした時に聞いたのだが、奥様は社交好きで、中心街から離れたアストール邸には住みたくないと言い出し、別邸に身を寄せたのだとか。
クライド様は領地に近い本邸の方が仕事をするには便利で、別居状態なのだと言っていた。
わたしは一度もご両親に会ったことがないので、ご挨拶にでも伺うのかと思ったのだが、ユリウス様は窓の外へと視線を向けて「着けば分かる」とだけ答えた。
先ほどからどうにも目を合わせてくれない。会話も続かないし、気に障ることを言ってしまったかと不安になる。
結局ほとんど話すこともなく、馬車は王都の中心地へと到着した。大通りを抜けて、そのままさらに奥へと進む。どこまで行くのかと窓の外を眺めていると、大きな美しい建物が目に飛び込んできた。
「王城だわ!」
初めて目にするお城に、つい子供のような声を出してしまう。昔ながらの様式美を残した王族の住まう城は、まるで切り取られた一枚絵のようだ。美しくも壮大で、その建物自体にさまざまな物語を感じられる。
上から下までじっくりと眺めていたわたしは、馬車が王城の大門を通過したことにしばらくしてから気づいた。
あれ、わたしたちが向かっているところってもしかして……
まさかと思い、ユリウス様へと視線を戻したところで予想を肯定する一言が。
「着いたぞ」