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5  旦那さまはどんなひと



 夕食のあとは、ユリウス様が皮をむいてくれた林檎をかじりながら、今更の自己紹介をした。お互いに名前は知っていたので、話は自然とそれ以外の内容に移る。


「それでは、今は騎士として身を立てているのですか?」

「そんなところだ」

「では明日からは仕事に?」

「いや……今は長期の休暇をもらったから、しばらくはこの家にいる予定だ」


 もしかして、わたしの輿入れに合わせて休暇を取ってくれたのだろうか。だとしたら婚儀についても、休暇中に済ませる予定なのかもしれない。


「式は挙げるのですか?」

「君がやりたいなら追々考える。けど今は立て込んでいるから、すぐには無理だな」


 どうやらわたしの予想は外れたようだ。休暇中に済ませるわけではないらしい。そもそも急に決まった婚姻だったし当たり前である。


 そのあとも適当に会話をしていると、扉を叩く音と一緒に女性の声が届く。


「エルマです、お待たせしました」


 ユリウス様が扉を開けると、落ち着いた色味の金髪を後ろでひとつにまとめた、メイド服を着た女性が姿を現す。大人びた顔立ちをしていて、わたしよりも年上に見える。


「悪いな」

「いいのよ、ユリウス。私にできることならなんでも手伝うわ」


 エルマと名乗った女性は、ユリウス様を見上げて得意げに笑う。口調からしても、随分と親しい仲のようだ。


「オルテア、紹介する。うちで働いてるメイドのエルマだ」

「初めまして、オルテア様。本日からご入浴のお手伝いをさせていただきます」

「……入浴?」

「ええ、おひとりでは大変かと思いますので」


 さあ、どうぞどうぞ、と首を傾げているうちにエルマさんに連れられて浴室に到着する。移動する際にユリウス様となにか言葉を交わしていたようだが、恐らくわたしの腕のことだろう。


 確かにこの左腕ではひとりでの入浴は無理があるため、手伝ってくれるのはありがたい。しかし、あまりの手際のよさに、あっという間に素っ裸にさせられて浴槽で湯に浸かっていたときは、感謝よりも驚きの方が勝った。


 ヴィトランツ家にいたどのメイドよりも、仕事のできる人だ。まあ、実家のメイドは父の影響か、みんなわたしに好意的ではなかったからかもしれないけれど。


「オルテア様のお肌は、真っ白でツルツルしていて羨ましいです」


 わたしの髪をわしゃわしゃと洗いながら、エルマさんが言う。肌に関してはずっと部屋に閉じこもっていたせいで、ほとんど日光に当たらなかったおかげだ。


「父には白すぎて、幽霊みたいで気持ち悪いなんて言われました」

「まあ、それはきっと褒め言葉ですよ。濡れたような艶のある黒い髪と、白い肌の対比がとても美しいですもの」


 父の発言が褒め言葉であるはずはないが、エルマさんの言ってくれたことは素直に嬉しい。短い6年間の記憶のなかで、わたしを褒めてくれたのはアマーリエ姉さまだけだったから。


「エルマさんとユリウス様はどんな関係なんですか?」

「あら、気になります?」

「はい。旦那さまのことはひとつでも多く知っておきたいので」

「あらあら、ユリウスに聞かせてやりたいわ」


 カラカラと笑いながら、わたしの頭に添えた腕を豪快に動かす。一見乱暴な手つきに見えるのに、程よい力加減で気持ちよく感じるのが不思議だ。


「ユリウスとは学園の中等科に通ってたころ、3年間クラスが同じだったのです」


 学園というと、このブルトニア国内では基本的に王都学園を指す。中等科と高等科に分かれており、どちらも3年制だ。

 入学金として一定額以上を収めれば身分に関係なく入学できるため、上は大貴族から下は平民までさまざまな生徒が通っている。


「今はお互いに22歳になったので、10年間友達を続けていたらこんな感じになってしまいました」


 10年間も親しくしていてただの友達で済んだのか、多少疑問に思うところはあるが、エルマさんが話を続けたので口には出さなかった。


「高等科に上がる際にユリウスは騎士コースに進んで、そこからクラスは別々になったので安心してください」


 心を読んだかのように言ってくるので、少しだけ怖くなる。仕事だけじゃなくて、読心術までできるの?

 そんなことを考えながら、負けじと質問をする。


「学生時代のユリウス様は、どのような生徒だったのですか?」

「よくぞ聞いてくれました。すごいですよ? 高等科の騎士コースと言えば学園内でも最もレベルの高い学科のひとつですが、そこで3年間首席をとっています」

「3年間首席!?」


 中等科の途中で退学した記憶のないわたしでも、3年間首席を取り続けることがどれだけ大変かくらいは分かる。


「騎士コースで首席を取るには実技はもちろんですが、学科でも最高の成績を収める必要があるので、相当大変だったようですね」

「そこまでして首席をとりたい理由があったのでしょうか……」

「ええ。夢というか、目的というか……本人からしたら、使命感のようなものがあったのかもしれません」


 先ほどまでの勢いは収まり、いつの間にか頭を洗い終えたエルマさんは、優しく撫でるようにわたしの髪を手で梳いていた。


「さ、終わりましたよ。そろそろ上がりましょうか」


 まだまだ聞きたいことは沢山あったが、女同士のおしゃべりの時間は終わりらしい。促されるままに浴室を後にする。


 夜着に着替えて部屋に戻ると、ユリウス様はソファで横になっていた。わたしの着ていた服を持って、エルマさんは早々に部屋から出て行ってしまったので、今はふたりきりだ。


 もしかして……寝てる? パタパタと歩く音を立ててみても、目を開ける気配はない。せっかくだから今のうちに観察してみようかな?


 起こさないようにそーっと近づき、ソファの前に膝を突いて顔を覗き込む。男性的だが、本当にきれいな顔をしている。

 この顔で3年間首席だなんて、女子からは相当人気があったんじゃないだろうか。


 目を閉じているといつもの鋭利さがない分幼く見えて、物珍しさに「ふふ」と吐息を漏らしてしまう。その瞬間ぱちりとまぶたが持ち上がり、黒曜石の視線とぶつかった。


「……ぁ」


 小さく声を漏らしたわたしを見ながら、ユリウス様はおもむろにベッドを指さす。


「あんたはあっち」

「……あっち?」

「ベッド、使って」


 寝るならベッドでということだろうか。それは理解したが、まさか――


「旦那さまはこのソファで寝るのですか?」

「ああ。訓練で野宿には慣れてるから、気にするな」


 そういう問題ではない気がするのだけど……

 寝る時は別の部屋を使うのだろうと思っていたので、これは想定外。そのうえ夫をソファに寝かせて、わたしだけベッドで寝るなんて……


「あの、せめて一緒にベッドで――」

「却下」


 即答されてしまい、続く言葉は飲み込むしかなかった。

 こんなにあっさり拒絶されると、噂通りのことをされないのも手を出さないのも、あるひとつの理由からなのではと思い至る。


「わたしはそんなに魅力がないでしょうか……」

「…………は?」


 ぽかんと口を開けたまま、ユリウス様はまじまじとこちらを見つめ、少しして勢いよく身体を起こした。


「おまえに魅力がなかったら、俺はこんなに苦労してない!」


 詰め寄るように顔を近づけて言われたので、ついびっくりして身体がのけ反る。


「苦労、ですか?」

「あっ……いや、なんでもない。とにかく、あっちで寝てくれ」


 気まずそうに頭を掻きながら反対側を向き、そのまま再びソファに横になる。そのあとは何度声を掛けても、振り向いてくれることはなかった。


 仕方なくひとりでベッドに入り、眠気がやってくるまで彼の背中を眺めていた。



   ◆◇◆



 とくとくと琥珀色の液体がグラスに注がれていく。

 薄暗い室内で、真っ赤な血のようにも見える深紅の髪を持つ男が、不満げな表情でグラスを揺らしながら呟いた。


「まさかユリウスが戻ってくるとはな」


 独り言のようなその呟きを拾うのは、彼の背後に立つ人物。


「申し訳ございません。メイドが知らせたようです」


 白髪が濃くなった長めの髪を後ろでひとつに結い、皺ひとつない黒の燕尾服をピシリと着こなした老齢の執事が、深々と頭を下げる。


「ああ、あの金髪のメイドか」

「はい」


 こくりと喉を上下させて、グラスの中身を口に流し込んだ。


「あの女の輿入れが決まったのは一週間前だぞ? 辺境の地からどれだけ急いで来たんだか」

「馬を乗り継いで夜も走り続けたようですね。おふたりが屋敷に到着される数分前にいらしたばかりです」


 執事の言葉に「ふむ」と頷き、脚を組み替える。男の表情に変化はないが、その低い声からは多少の苛立ちと呆れが滲んでいた。


「厄介だな。やっとあいつの噂を浸透させたというのに」

「ユリウス様にも気付かれてしまいましたね」

「いや、噂についてはすでに耳に入っていただろう。でもまさか、あの女を手に入れるために利用するとは思わなかっただろうな」


 くくっという笑い声が響く。後ろに控えていた執事が、滑らかな動作で空になったグラスにお酒を注ぎ足した。


「あんな方法でヴィトランツ公爵が簡単に娘を手放すとは、ユリウスも思わなかっただろう」

「世間では娘を心配するあまり、家から出さなくなったと言われていましたしね」

「まったく……手早く婚姻を結んでやったんだから、感謝してくれてもいいと思わないか?」

「おっしゃる通りでございます」


 おどけたように言う主人の声に、執事が大きく首振って頷く。その様子に満足そうな顔をして、男は言葉を続けた。


「あの女がいる限り、ユリウスは下手に動かないだろう。しばらく注意して様子を見ていろ」

「承知しました。メイドの方はどういたしますか?」

「好きにさせておけ。――壊すのは簡単だからな」


 うっすらと口元に笑みを浮かべて、机に置かれていた一本のワインボトルを手に取る。銘柄のないそのボトルの内側で、透き通ったルビーのような赤い液体が揺らめいていた。



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