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4  わたしの秘密



 頬を撫でる風に寒さを感じ、まぶたを押し上げる。ぶるりとひとつ身震いして、身体を起こした。


 寝ぼけた思考のまま辺りを見回し、開け放たれたままの窓から入り込む風を見つける。ベッドから立ち上がり窓際へと歩いていくと、外には暗闇が広がり始めていた。


「わたし、いつの間に寝てしまっていたの……」


 目を擦りながら窓を閉める。寒いというほどではないが、さすがに夜の風は身体に悪い。


「ユリウス様、まだ戻ってきてないのね」


 薄暗くなった室内に明かりを灯し、視界を確保してから再びベッドに沈んだ。

 あれから15分ほどして入浴を済ませたユリウス様は、早々に出かけてしまった。部屋から出る際に言われた言葉を思い出す。


『いいか、絶対に勝手にひとりで部屋から出るな。それから俺以外のやつが来ても中に入れないこと。この家じゃ、自分以外の人間は簡単に信用しない方がいい』


 あまりに真剣に言うものだから、こくこくと頷くことしかできない。


『夜までには戻ってくる。何か問題があったら、エルマというメイドを呼ぶように』


 着いて早々ひとりにされるとはなんとも心細いが、わたしに引き留める権利はない。だけれど、見送りの挨拶くらいなら許されるだろうか?

 上着に袖を通しながら扉の方へと歩いていくユリウス様の背中に、勇気を振り絞って声を掛けた。


『分かりました。いってらっしゃいませ、旦那さま』

『――だっ!?』


 一瞬だけ間があって、ユリウス様が勢いよく振り返った。今まで見せていた怖い顔は崩れ、黒い瞳をまん丸に開いてわたしを見ている。


『旦那さまと呼んではいけませんでしたか……?』

『……好きに、してくれ』


 そう言って手の甲を鼻にあてて顔を隠した。しかし、わたしは目ざとく見つけてしまう。彼の頬が、赤く染まっているのを。


 ……もしかして、照れてる?

 まったく以って意外なことだが、こちらからの攻めには弱いのかもしれない。これはひとつめの発見だ。



 そんなやり取りをしてユリウス様が出て行ってから数時間、退屈すぎてベッドに横になったままいつの間にか眠ってしまったらしい。


「お腹空いた……」


 昼食は出立の準備でバタバタしていたせいで食べ損ねたし、先ほど用意してくれたお菓子をつまんだくらいで、朝からまともな食事をとっていない。ぐうぐう鳴り始めたお腹を押さえて、小さく溜め息をこぼす。


 お菓子もお茶もなくなってしまったし、仕方なく人を呼ぼうかと扉の方へと歩き出す。


 たしか、エルマというメイドを呼べと言っていた。この部屋には呼び鈴もないし、扉を開けて呼ぶしかなさそうだ。

 そう思い取っ手に手をかけたのだが、ガチャッという音を立てただけで、扉が開くことはなかった。


「……鍵が閉められてる?」


 ガチャガチャと取っ手を動かしてみるが開きそうもない。


「今度は監禁? ……慣れてるから、いいけど」


 幽閉生活から解放されたと思ったら、次は監禁とは。一応こういった事態は想定していたので、さほど驚きはない。

 しかし、これでは出るなと言われても出られないではないか。どうしてわざわざ釘を刺したんだろう。


 腕を組んでうんうんと考え込んでいると、突然目の前の扉が叩かれびくりと肩が跳ねる。


「俺だ、入るぞ」


 慌てて扉から離れて返事をすると、両手に荷物を抱えたユリウス様が入ってきた。


「わるい、遅くなった」


 謝りながらテーブルの上を片付け、持ってきた荷物を置く。室内に漂い始めた香ばしくおいしそうな匂いに、鍵のことはすっかり頭から抜け落ちてしまった。


「それは……?」

「夕飯」


 紙袋の中から取り出したものを、手早く机に並べていく。その様子を呆然と眺めながら、わたしは考えた。


 夕飯? 彼が用意しているのは、とろけたチーズが乗ったわたしの手のひらよりも大きめの焼きパンや、中に何かが入っていそうなふっくらとしたパンが数個。それからハムのような肉の塊に、中身の分からない飲み物がいくつか。


 これはとても屋敷のコックが作った食事には見えない。どちらかというと、市場で売っているようなものだ。


「今日はこれで我慢してくれ。明日からはここで作らせたものにするから」


 食事に関しては頓着がない方なので、食べられればなんでもいい。……とは思っていたが、これは予想外だ。でも――


「こういうの、初めて食べます。おいしそうですね」


 お腹が空いているからかもしれないが、思いのほか胸が高鳴っており、促されるまま席に着く。

 実家では幽閉生活を強いられていたが、食事は基本的に家族と同じものを食べていた。それも全て、姉さまがお父様に抗議してくれたおかげではあるのだけど。


「口に合うといいんだが」


 そう言うユリウス様の眉間には相変わらずしわが寄っていたけれど、昼間のような怖さは感じなかった。きっと、あの赤く染まった頬を見てしまったからだろう。


 ぐぅーと鳴ったお腹に気づかれませんようにと願いながら、気になっていたチーズの乗ったパンを手に取る。しかし、少し考えてお皿の上に戻した。

 丸いテーブルの反対側に座ったユリウス様は、わたしの様子に首を傾げる。


「やっぱり、こういうものは苦手だったか?」

「いえ……そういうわけじゃ、ないんです。その……わたし、左手が上手く使えなくて……」


 6年前の事件の際、わたしは左の二の腕の内側に大きな怪我を負った。ナイフでざっくりと切り裂かれ、大量出血に意識を失い生死を彷徨ったのだ。なんとか一命は取りとめたが、その時の傷のせいで左腕に上手く力が入らなくなってしまった。

 よほど軽いものならば持つことはできるが、ナイフやフォーク程度の重さの物でも手から零れ落ちてしまう。


 右手は普通に使えるので、パンに直接かぶりつけば食べることはできるのだが……これでも一応淑女の端くれなので、他人の前でそれをするのは抵抗があった。


 簡単に左腕の状態を説明すると、ユリウス様は急に顔色を変えて黙り込んでしまう。


「クライド様から伺っていませんでしたか? わたしの傷のこと」


 クライド様は左腕が不自由なことを知っていた。であれば夫になるユリウス様も、当然耳にしていると思っていたのだが――


「……傷については知ってる。だが、腕が……そういう状態だとは知らなかった。すまない、食べにくいものを用意してしまって」

「いえ、ユリウス様が謝ることではありませんので、気にされないでください」


 そう言葉をかけるもどこか納得していない様子で、彼はもう一度「すまない」と、消え入りそうな小さな声をこぼした。


 それから急に立ち上がり、座っていた椅子をわたしの隣に並べて再び腰かける。何をするのかと追っていた視線の先で、ナイフを取り出しパンを小さく切り始めた。


「この大きさなら、食べやすいか?」

「……あ、はいっ」


 次々とパンを切っていき、ハムのようなお肉もフォークで刺しただけで食べられるような大きさに切り取ってくれる。

 実家では既にこの状態で自室に運ばれてきていたので、目の前で他人に切り分けてもらうのはなんだか新鮮に感じた。しかし、こんなことをさせてしまって良かったのだろうか……


「ありがとう、ございます」


 礼を言うと、今度は飲み物が入ったグラスを右手で取りやすい位置に移動してくれる。


「ほかに不便なことがあったら言ってくれ」

「大丈夫です。手間をかけさせてしまってごめんなさい」


 ここまで至れり尽くせりだと、逆に申し訳なく感じてしまう。これからもきっとこの人を頼る必要は出てくると思うし、どうしてわたしのような欠陥品を迎えた上に、ここまでしてくれるのだろう。


 最早彼に対する印象は変化していた。この人が噂のような人物だとは、到底思えない。


「俺には遠慮しなくていい」


 小さく切り分けられたパンやお肉を一緒につまむ夫の姿が、なんだかとても微笑ましく見えてしまった。



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