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3  連れられた先は



 ふわふわと一定間隔で身体が上下に揺れる。

 階段を上って、曲がって……それから……また曲がったっけ? 緊張のせいでよく覚えていないけれど、広い屋敷の中を抱き抱えられたまましばらく歩いていたことだけは分かる。


 わたしを腕に抱くこの人が、ユリウス・アストール。アストール家の次男で、わたしの夫になる人物。いや、恐らくすでに婚姻契約書は提出されているはずだから、もうわたしの旦那さんなのかも。


 怖い顔に、鋭い目つき、そっけない言葉。だいぶとっつきにくそうな人だ。まずは好かれることから始めようと思っていたけれど、これはかなり先が長いかもしれない。

 けれどもクライド様に似て、顔立ちは整っている。目つきの悪さのせいで損をしているが、笑ったらきっと女性に騒がれるほどの美丈夫だ。


 そんなことを考えながら、目の前にある赤い髪に埋もれたつむじを見つめていると、ひとつの扉の前で揺れがぴたりと止まった。


「降ろすぞ」


 突然喋ったと思ったら、宙に浮いていた足が地面に触れる。しっかりと地に足をつけたことを確認すると、腕の拘束が解かれた。目の前の扉を押し開いて、ユリウス様が一言。


「入って」


 言われるがままに足を踏み出すと、彼も後に続いて部屋に入る。きょろきょろと辺りを見回すわたしの横をすり抜けて、窓にかかるカーテンを勢いよく開いた。薄暗かった室内に光が差し込み、中の様子がはっきりと目に映る。


 大きめのベッドとソファがひとつずつに、窓際にはギリギリ二人が座れそうな丸いテーブルがひとつ。他には本棚にクローゼットといった、生活に必要なシンプルな家具が置かれていた。


「あの、ここは?」

「俺の部屋。今日からあんたが住む場所」


 ん? わたしが住む場所?


 たしかに夫婦ならば同じ空間で生活するのも分かる。しかし広さはそこそこあるが、どう見てもひとり部屋だ。家具だって一人分しか置いていない。


「……自室はもらえないのですか?」

「用意してはいると思う。けど、ここにいた方がいい」


 そう言いながらユリウス様は窓を開け、部屋の中を探り始める。ベッドの下やクローゼットの中など、まるで何かを警戒するように状態を確認していた。


 よく分からないけれど、自室は使わせてもらえないということだろうか。ということは……これからここでユリウス様と二人暮らし?

 ……いや、恐らく彼は別の部屋を使うのだろう。


 悶々と考え込んでいると、コンコンというノック音が耳に届く。ユリウス様が扉を開くと、先ほどセルジュと呼ばれていた執事と、メイドが数名立っていた。


 彼らは私が持ち込んだ鞄と、事前に送っていた洋服などの荷物を運んできてくれたようだ。ついでに疲れているだろうからと、お茶と軽く食べられるお菓子をテーブルに並べてくれる。


 わたしが丁寧にお礼を言っている横で、ユリウス様は並べられたお菓子をぱくぱくと頬張り、お茶を一気に飲み干した。あまりの勢いに呆然と見つめてしまう。


 もしかして、お腹が減っていたのかな?


「大丈夫そうだから、腹が減ってるなら食べたらいい」

「お腹が減っているのは、ユリウス様の方に見えますが……」

「別に俺は腹が減ってるわけじゃない」


 じゃあなんで、あんなにい勢いよく食べたんだろう?

 減った分をメイドが追加で並べ直して、そのまま部屋を出て行った。そうして室内には、わたしとユリウス様のふたりだけ。


 とりあえず初めて会うのだし、今さらではあるが自己紹介からきちんとするべきだろうか。そう思い開こうとした口からは、悲鳴に似た声が飛び出した。


「なっ……なにしてるんですか!?」


 わたしの視線の先でユリウス様が急に上着を脱ぎ、中に来ていたシャツも剥ぎ取るように床に捨てたのだ。


 しっかりと筋肉の付いた、少しだけ日に焼けた肌が目に飛び込む。見てはいけないと思い両手で顔を覆うも、あまりに男性的な美しい体躯に、指の隙間からちらちらと覗き見してしまう。


 なんでいきなり脱いだの……? もしかしてこのまま襲われたりなんて――


 やっぱり残虐非道な侯爵令息の噂は本当だったのかと、恐怖心が胸を支配し呼吸が浅くなる。

 だんだんと青褪めていくわたしを横目で一瞥して、ユリウス様は端的に言葉を投げた。


「風呂」

「……え?」

「風呂入ってくる。3日間馬で走り続けたから、ずっと身体洗ってないんだ。臭かっただろ、すまん」


 言いながらクローゼットから新しい服を取り出して、入り口とは別の扉に手をかけた。


「ここ、風呂とトイレ。使う時は俺が部屋から出るから、ここを使って」

「あ……はい」


 返事をすると、ユリウス様は浴室へと消える。


 一人になった部屋で、わたしはぺたりと床に座り込んだ。まだ心臓がどくどくと大きな鼓動を刻んでいる。

 どうやら早とちりだったらしい。襲われるなんて、噂から安易に考えてしてしまった自分が恥ずかしい。


 ユリウス様に好かれるように頑張ろうと考えていたのに、わたしのほうが先入観で彼を悪いものとして見ていた。これでは何も始まらないではないか。

 ゆっくりと立ち上がると、とぼとぼと窓辺のテーブルまで歩き椅子に腰かける。


「だめね。まずは噂のことは忘れて、ユリウス様と向き合わなくちゃ」


 もちろん最悪の事態を想定しておくのは大事なことだ。お風呂から上がった彼が、何もしてこないとは限らない。


 でも、そうじゃない可能性だって大いにある。だって……さっきまでわたしに触れていた彼の手は、乱暴さのかけらのひとつも感じられなかったから。


「まずはたくさん話をして、彼のことを知って……」


 怖がってばかりじゃだめだ。わたしからも一歩を踏み出そう。そして、普通の夫婦になるんだ。

 わたしが幸せになれば姉さまだって喜ぶし、わたしを捨てたお父様にもささやかな復讐になるかもしれない。別にお父様を恨んでいるわけじゃないけれど、少しくらいならやり返したっていいだろう。


 窓の外から聞こえる鳥の声を聞きながら、そんなことをぼんやりと考えた。


 しかし、ここにきてからずっと不思議な感覚が付きまとっている。でもどうしてかその正体に気づいてはいけない気がして、忘れるように少し冷めてしまったお茶を口に流し込んだ。



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